「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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うれしい変化

(今日のムフフ)

関西、ここまで迫害されていると思わなかった!ただでさえ、レギュラー番組3本観られないのに、情報番組までこっちではやっていないなんて、ひどい(「王様のブランチ」って何?こっちは丸ちゃんだよ)!それだけで引っ越したくなるわ、もう。

 

 

 

体験談が掲載された業界紙が届きました。

 

通訳翻訳ジャーナル 2020年10月号

 

 

コロナ禍、どう乗り越えますか?私の周りでは、逆に、もう仕事はそこそこでいいか、って言い出した方も複数います。

先日のオンライン飲み会でも、「これまで仕事中心で走ってきたけど、そろそろ人生楽しんでもいいかなって思う」との同業者の意見に深く賛同。年齢的なこともあると思うのですが、コロナに関係なく、最近、がっつく気持ちが薄れてきたのですよね。でも、翻訳の仕事をやめるつもりはない、というのも共通していて、仕事として悪くない、いや、いい仕事だと思っている(自分にとってね)。ただ、人生においての位置づけが少しずつ変わってきているということでしょう。

 

 

1日1捨てプロジェクト、続いています。リビングの引き出しから子どもたちのDS一式が出てきたときはもう笑っちゃった。化石ですよね、今やスイッチですから。まるごと売りに出そうと思っています。二束三文だろうけど構いません。なぜその引き出し、ずっと開けていなかったのだろう。本当に時が止まっていたなと感じます。それこそ、仕事に意識が向きすぎて、リビングの引き出しの中身のことなんて忘れていたのですね。

 

「コロナで断捨離始めた」という友だちに、「私も始めたよ」と伝えたら「必要ないのでは?」と言われました。その友だちは何度もうちに遊びに来ているし、昨年の夏には「R様まつり」で半日うちでDVDを観ながら過ごしてもらったけど、そういう印象を持ってくれているようです。

それはそれで、お客様をそこまで不快にすることがなかった、という点で、よかったと思うけど、例えば引き出しの中身を忘れているとか、そういうことがいっぱいあるのです。外向きには気を遣っているけど、実は中身は…。そういうことがあぶり出されます。自分の思考のクセ。外ばかり取り繕っていて、自分を大切にしていない、とか。とはいえ、ありのままの自分でいるけど、それが何か?みたいな人は、ちょっと苦手です。それはあまりに横暴。人への気遣いは必要だと思っています。でも、それと同じくらい自分も大切にね。自分しか開けない引き出しの中をきれいにするとか、普段使いの食器を良いものにするとか、そういうこと。

そういうことを意識しだすと、どんどん捨てられます。笑えます。おもしろいです。そして少しずつだけど前進です。

 

 

人生の2周目は、突っ走らず、優雅に過ごし、好きなものに囲まれていたい。そういえば、持続化給付金をもらった分、経費を使わなきゃ、と仕事場の椅子を買うことにした友人もいます。私の使っているものを教えてとのことで、調べてみたら現在では10万円くらいするみたいで。「確かに高いけど、元は取れるよ、だって、毎日どれだけ座ってる?」とおすすめしたら、納得し、注文したようです(ただし、現在売り切れ。リモートワークが増えているからですね)。座っている時間が1日4時間程度だったとしても、その4時間を大切にするかどうか、ですよね。我慢はやめましょう。昭和世代の得意分野ですが。

そういえば、会社員の友人から、「今後は完全に在宅になるから、ネスプレッソについて教えて」との連絡がありました。在宅ワーカーが増えるの、うれしいです。それにしても、椅子はいいのを使おう、とか、ネスプレッソはいいよ、とかはすべて、かつて師匠から教わったこと。どれだけ勉強させてもらったかわかりません。なので、自分も後輩に向けて何かできたらいいな、と今回、業界紙に協力させていただきました。「自分が自分が」という気持ちが薄れてきたのですよね。なんだか、いろいろとうれしい変化です。

1日1捨てプロジェクト

(今日のムフフ)

もうすぐ始まるドラマの主題歌も、グループが歌うミディアムバラード(?)になったわ。楽しみがさらに増したわね!

番宣の動画では、ちょっと頬がこけていたような。例の雑誌に向けての絞り込みの影響?もう少し丸顔に戻ってもいいわよ。

それにしても映画はいつ公開されるのかしら?いろいろあるんだろうけど(Iちゃんが陽性だったりね)、カメラの前ではいつも笑顔で元気よくして、人に対して嫌なことは絶対言わない(ラジオやメンバーといるときは素でいるけどね)その姿に励まされるわ。ほんともう頭が下がるわね、そのプロ意識の高さには。

 

 

なんて名付けてよいのかわからない私の「おうちスッキリ計画」。断捨離?ときめき?捨て活?ミニマリスト?シンプリスト?まあなんでもいいわ、呼び方はね。とにかく、それを始めています。

とりあえず、最低限自分に課した「1日1捨て」。そう思って日々過ごしているとなんとか捨てられますね。

余裕のあるときは物置の奥の大物。わ〜、なんでこんなもの取っていたのだろうと笑えちゃうくらい。

「あ、今日はまだ捨ててない」と気づいたときはキッチンの棚を開け、「あ、これ捨てよ」って感じ。

洋服の ”1 in 1 out” は当たり前。それどころか、1つ買ったら2つ以上は処分しています。また、テクニックとして最近とりいれているのが、毎日タンスの引き出しの手前から服を1着取り出してそれを着て、洗濯したら奥にしまう、というもの。タオル類は以前からそうやっていたのだけど、そのやり方だとまんべんなく服を着ることができるし、手前にあるから今日はこれを着る順番ってときに「なんか着たくないな」と思えばもう手放しどき。タンスの引き出しだけでなく、クローゼットでもやっています。左から着て右に戻すというやり方でね。そのやり方をとりいれると、今日何着ようと迷うこともなくなるのですね。さすがにスティーブ・ジョブズみたいに全部黒のタートルだったかTシャツだったか、それのみ、ってことはしていないけど、なかなかおもしろい試みと思って楽しんでいます。

 

そうやって捨てていく(ものと向き合う)と、自分は自分を大切にしてきたつもりが、実はそうではなかったことがわかってきました。使いにくいのにギューギューにキッチン道具が押し込められている状態などは、それを使うときの自分に優しくないですよね。そしてお客様用の食器などで場所が塞がれていたり。よくあるのが、普段自分が使うコップは、壊したくないからなんて理由で安物なのに、めったに使わないお客様用カップは上等、なんてパターン。先日、お友だち(紅茶教室に通っている)が「ひとりのときもいいカップで紅茶飲んでるよ」と言っていて、それをまねして私もウエッジウッドを取り出し、それを使ってひとりで紅茶を飲んだことを話したら「いいカップで飲むと紅茶の味も変わるから」と言ってくれました。

お客様用ではなく自分用。自分をもてなす心。それがまだまだ自分には足りないと思いました。だから、使いにくくてもガマンしていたりね。

いいものに囲まれるための第一歩は、不要なものを取り除くこと。目的は、(自分にとって)いいものに囲まれること、なのですね。いいものに囲まれる=いらないものが目に入らない。冷静に自分の環境をチェックしたときに、ゴミや不用品、そして一番好きではないものに囲まれていることに愕然とし、それは自分への虐待だったと気づく。ただ「捨てろ捨てろ」ではなんだか寂しいし、マイナスのイメージがあったけど、逆なのですね。好きなものをたっぷり楽しむためにそれ以外のものは手放す、という感じ。難しい場合は、まず「絶対これがほしい」というものを手に入れるのも手ですね。服なら服。今これを絶対着たいと思うものを1着手に入れる。そして着倒す。すると、それ以外のそこまで好きではない服が分かってくる。まず「好き」ありきかなと。そしてそれを選ぶとき、値段は見ない!「安いからこれいいね」、ではなく、とにかく「これいいね」。もちろん定価で買う前提。結果としてセールならラッキー。その観点でものを選び出すと毎日が楽しいです。もちろん大物はそう簡単には手に入らないけど、一番好きなものを選ぶんだ、と決めると買い物の仕方が変わってくる。そしてどんどん捨てられるようになりますね。

 

まだまだ途中ですが、少しずつスッキリ活動すすめています。なんだかそれだけで不思議と毎日楽しいです。

 

 

 

 

 

さて、これはどう名付ければ

(今日のムフフ)

ライブDVDと例の雑誌が届き。ライブではまさかのソロパートで一瞬声が出なくなるという今まで見たことがないハプニング。

去年の年末年始、体調崩していたもんね〜。でもそれ以外は完璧。まあ、顔力(?)にやられたわ。例の雑誌、一応娘たちの目に触れないように隠してある。まあなんというか、きれいさが先にたって、ショックとかどうとかの感情は湧いてこなかったわね。それにしても撮影10日前からは水分までも制限していたってどんだけストイック。朝からDVDを観たくなる気持ちをぐっとこらえて仕事。だって〜、観だしたら止まらないでしょ。ちらと観た娘が「汗が化粧水にしか見えない」と言っていた。ほんまそれ。見ているだけでこっちまできれいになれたらどんだけいいか。翻訳では良い文章に触れることが自分の訳文の質の向上にもつながる、なんて言うのだけどね。だから、SNSなどの、プロのチェックを受けていない文章を読む量が、書籍などの文章を読む量を上回らないようにずっと気をつけてきたのだけど。どうなんでしょう、何らかのR様効果ってあるのかしらねぇ(いや、たぶんない(泣))。

 

 

 

今日のタイトル「さて、これはどう名付ければ」の「これ」について。

最近、暮らし系のYou Tubeにハマっていて、そこから素敵な人の書籍を読んでみたり。

がぜん、片付けがしたくなりますよね。こういう素敵な人たちの素敵な暮らしを見させてもらうと。

でね、最近、いわゆるミニマリストとして活動(?)されていた方が、思うところがあってこれからはミニマリストという肩書(?)をおろして活動するらしいのです。ふむふむ。

 

憧れますよね、ミニマルな暮らし。そしてシンプルって言葉も超多いです。「シンプルな暮らし」とか。ミニマルとシンプルとどう違うの?まあ定義はおいといて。だいたいイメージはわきますよね。

 

断捨離、ときめく片付け、それらもイメージ的には似ていませんか?もちろん創始者(?)の方にはそれぞれ立派な哲学があるとは思いますが、ざっくり見たときにね。

 

なんとなくなんだけど最近、ミニマリストになった人、なろうとしている人が疲れてきているような気がするのです。

シンプルやときめきも同じ。

 

決してそれらの「ものを減らして軽やかに」「ものだけでなく、いろいろ面倒なことはなくしましょう」みたいな引き算の考え方に異を唱えるつもりはありません。すごくいいことだと思うし、そこが自分には足りない気もするから、ぜひ今後も取り組んでいきたいし。

 

でもね、まったくすべて取り除いたら、究極、生きている自分自身も邪魔な存在になってきませんか?

 

 

自称元ミニマリストの方(冒頭の方ではありません)の著作を最近読んだのですが、その方はミニマリズムを極めた結果、ダイニングテーブルやテレビも捨ててしまい、配偶者の勤務先のご夫婦がおうちに遊びにいらしたときに、座る場所がなくてそのご夫婦が困られていたとか。でもそのときは「なんで困っているんだろう?床に座ればいいのに」って思っていたらしいです。

そして2度と誰もおうちに遊びに来なくなり、何もない家ではなんだか癒やされないため、休日は夫婦で3食外食、テレビがなくて小さいパソコン画面で我慢していた反動で、映画館通い、ついにはパチンコ屋にも通い詰めてしまったらしく。

ミニマリズムの功罪について身を持って体験され、そこからは程よくものを取り入れた暮らしをされているようです(といっても自宅はめっちゃ片付いていてものが少ないです)。うん、なんでも程度が大事ですね。

 

 

冒頭の方は確か「ミニマリスト」ということに執着してしまっている自分に気づいた、とおっしゃっていました。

うん、そう、執着。執着から離れるためにいろんなことをしているのにそれに執着してしまう。

 

 

どうなんだろう、なんでも減らす、シンプルに、そして無駄なことはやめましょう、そういう考え方に縛られるとどうなるんだろう。

もっともっと自分の深いところの気持ちを見つめたい。

 

自分が作り出した自分のイメージや、自分が目指していることに縛られてしまう。

それだとなんのためにやっているのかわかりませんよね。だって、自分が快適になりたいのに、本当はそうではなければ。

 

で、今日のタイトルですが、

自分が快適に暮らすためのキーワードが今、見つからないのです。

シンプル?ミニマル?スッキリ?ていねい?効率的?なんなんだ?

 

どれもその言葉にとらわれてしまいそうで。

 

そのキーワードを特に見つけないまま、家の片付け、やっていこうと思います。

やっていることは同じなんですよ。でも、それにとらわれる怖さを感じる。

 

私は〇〇です、なんてとても言えない。でも、言えなくてもいいか。自分の気持ちに正直にやっていきたいですね。

 

最近よかった本

(今日のムフフ)

R様の新しいドラマは9月からだそうで。

それまで仕方ないから「不時着」楽しんでいたわよ。ええわぁ。また韓流にハマりそうやわ(笑)

 

 

 

最近、ここ数年で一番なくらい心が穏やかで。

理由は自分でもわかっていて、それはまあ、大げさに言えば道が開けたということ。

自粛期間に本をいろいろ読んだのがよかったです。

ブログにまとめようと思いつつ、仕事以外で机に座ることを極力避けていると、どうしても後回しになってしまって。

遅くなったけど、読んだ本とともに心の変遷を少しずつ書き留めてみようかと思います。

 

 

読書感想文をすぐに書かないのは、次から次に書いても、次から次に読むから、本当に自分が変わるところまで影響を受けた本になるかどうかはしばらくたたないとわからない、ということがあるから。

なので、今でも「ああ、あの本だったな」と思えるものだけをピックアップします。

 

まずは、『ピックスリー: 完璧なアンバランスのすすめ』

 

 

仕事しなきゃ、家事もしなきゃ、家族や友だちとの時間も大切に、自分磨きも…、なんてやりたいこと、やらなきゃと思っていることがてんこ盛りの気持ちを沈めてくれた本。著者はFACEBOOK創業者のお姉さん(だったかな?)。

毎日3つだけテーマを選んでそれ以外は別の日にやりましょう、罪悪感を抱かないようにしましょう、ということが書かれています。

 

この考え方には当時、大いに救われました。全部をいっぺんには無理、だから毎日どれかだけ。それさえやればOK!

今でも「ああ、今日は何もできなかったなあ」と思ってしまいそうな就寝時に「いや、でもあれとあれはした、だから十分」と思えます。

 

 

この本自体はよかったのですが、これを読んだあとでも、まだ心穏やかではなかったですね。

さて、次の本は、

 

 

『お金の減らし方』

 

 

 

いやあ、これは衝撃を受けました。

 

 

お金って増やしたくないですか?

でも、お金を減らす、つまりお金を使う意味って考えたことなかった。

とりあえずお金はあればあるほどいいしって。

完全に間違っていたなと今では思えます。

その、お金の減らし方、なんですが、完全な自己満足に使うのが一番いいようで。

つまり、SNSにアップしなくても、人に自慢しなくても、満足できる使い方がベストということです。

これは考えさせられましたね。

自分が一番満足できるお金の使い方って何なんだろう。

これはお金だけではなく時間にも当てはまりますね。

とりあえず、これを読んでからインスタグラムへのアップ頻度は減りましたね〜。

あと、インスタにあげるから、これしよう、これ買おう、これ食べよう、という考え方をやめました。

結果として相変わらずインスタにはたまにアップしているけど、そちらが目的ではない、という感じですね。

そういえば、『すべてがFになる』ってドラマで観たなぁ。この人が作者だったなんて。

私、何がしたいんだろう、何が欲しいんだろう、ってもう一度考えさせられました。

 

 

次に読んだのは『15分あれば喫茶店に入りなさい。』

 

 

2010年出版で少々古く、ツッコミどころもありますが(女性が読むと少々カチンとくる箇所あり)、自宅でもなく職場でもないサードプレイスを持とう、という考え方がよかった。

これを読んで、スタバに行きたくなりましたね〜!

 

 

齋藤先生の著作をもう少し読んでみようと、次に買った本がこれ。

 

『人生は「2周目」からがおもしろい 』

[齋藤 孝]の人生は「2周目」からがおもしろい


50歳からの生き方指南ですね。なるほど、と思うところが多かったです。1周目と同じことを追い求めるのではなく、違うことを違うやり方で。そうか、今は2周目の始まりだなと思うとなんだかワクワクしてきました。この本はよかったですね〜!

この本のいいところは、参考書籍を紹介してくれるところで、その中から買ったものがこちら。

 

 

『「ゆっくり動く」と人生がすべてうまくいく 』

いやあ、これはよかったです。私のようなせっかちタイプには特にね。著者も以前はせかせかタイプだったそうで、親近感も持てますし。

早速何をするにも呼吸をして、ていねいにやるようにし始めたら、大げさかもしれないけど、人生が変わるほどの変化!

ああ、私ってなんて交感神経優位で生活してきたのだろうと反省しきり。

つい焦ってしまう夕食準備も、あえてゆっくりと始める。別にわざと作業を遅くするのではなく、気持ちをゆったりと保つ。それだけでいろんなことにストレスフリーになるのです。

 

 

最後に紹介する本は、書店で見かけて、この手の本はもう買わないと決めていたのに、なぜかどうしても気になり買ってしまったもの。

 

『自分の機嫌は「家事」でとる』

 

いや、ありえないから、家事で自分の機嫌を取るなんてさ、とアンチな立場にいるはずだったのに、なぜだろう、これにも衝撃を受けて、また大げさだけど、人生が変わった。

家事って必要だけどできればやりたくないもの、って思っていませんか?

私はそうでした。誰かやってよと。なんで私がやらなきゃいけないのと。私には家事以外にやりたいことがいっぱいあるのよと。

ところが、この本を読むと、そんな気持ちがどこかに飛んでいってしまいます。

ここで紹介されている方たちのVlog(?Youtubeのブログ)がもうたまらない。それを観ているだけで不思議と癒やされ、ああ、家事しようかなと思わされる。

そう、ゆっくりとていねいに、副交感神経優位な状態でね。

それだと疲れないのですよね〜。瞑想しているような。癒やしが得られたりして。

 

 

 

道が開けた、というのは、これらの本を読んで、日常生活に楽しみが見つかり、やりたいことがどんどんできて、欲しいものも増えて、でも、それは決して派手なことや、人に自慢したいようなことではなくて、しみじみ自分が満足できること。

 

子育ての慌ただしい時期から次のステップへ。これからが本当に自分を愛でる時間。ああ、楽しみ。そう思えるようになりました。

 

取り戻したこと

(今日のムフフ)

ホットケーキミックスがスーパーで売り切れているのはR様がホットケーキを作る動画をアップしたからではないのはわかっているのだけど、少しは影響ある?ああ、たぶん今年は生では見られないね。そう思うとほんとに悲しくなってくるね。

 

 

自粛のトンネルが終わろうとしているような、まだまだ終わらないようなそんな時期。

自粛によって、明らかに自分の中で変わったものがあります。

それは「自分との対話時間」を取り戻したこと。

 

 

もともと、自分との対話は大好きで、本を読んでは考え、実行できるものは実行し、というタイプだったのだけど、仕事が軌道に乗ってからは「座って一人でする仕事」のストレス解消法は「外で誰かと遊ぶこと」に違いないと思ってしまっていて、仕事が終わるとすぐにパソコンから離れ、休みには外で誰かと会うことを求めてきました。

それはそれでいいバランスだったと思うのだけど、「自分との対話時間」はなくなってしまっていたのですね。

 

今回、「外で誰かと遊ぶこと」ができなくなり、取引先によっては受注量が激減していて、時間がたっぷりできました。家族、主に娘たちとの時間が増え、友人とはオンラインで交流しているものの、やはり時間は前よりはたくさんあります。

その時間を何かに当てようと英語や翻訳の勉強もしていますが、最近読書量が増えてきて。

本を読んでは考える、という時間も増えてきました。そしたまた本を読んで、の繰り返しです。ものすごく自分と対話しています。

それがなんだか新鮮で。

先週の金曜日に5冊ほど購入した本の半分くらいは読みましたが、結構考えさせられる内容が多く、いちいち立ち止まっています。

自分の頭を整理するためにも、感想を書こうとも思うのですが、感想を書く前に次の本に進み、また新たな考えになったりして。

 

娘たちのオンライン授業が始まり、夕飯作り当番もなんだかうやむやになってきて、また家事と仕事を回すだけでいっぱいいっぱいになりそうですが、せっかくいろいろ大切なことが見えてきたので、少しずつでもいろんなことを変化させていきたいです。「自分との対話時間」は大切にしたい。忙しいとつい後回しになってしまうけど、これからはあえてその時間を取る、くらいのつもりでスケジュールを組んでいこうと思います。

 

 

 

 

習慣の力

自粛期間も長くなると、あれこれ工夫していても飽きてきます。こんなにダラダラしていては、なんて思いはするものの、実際に行動に移すことは少なかったり。

 

でも、習慣化してしまったものは、何も考える気力がないときにも助けになるのですね。

習慣化というか取り決めというか。

 

自粛期間に入って、例えば、午後のティータイムの前にエクササイズする、という習慣は続いています。食べることが楽しみの多くを占めるこの期間に、せめてもの抗い。罪悪感減らし。

 

寝る前のヨガも2年くらい続いていますが、習慣化にあたり、私にとって一番効いたのは「毎日する」ということ。

「毎日する」と決めてしまえば、「今日はやめようかな」とか「今日こそはしなければ」、なんて考えなくていい。考えなくていいというのは楽なんですよね。だから何もやる気が出ないときにもやれてしまう。

 

午後のティータイムの前のエクササイズは、家族との時間にもなっていて、ティータイムの前に「さあ、やるよ」と声をかけ、PCをテレビにつなげてYou Tubeを映せば、みんなのスイッチが入る。強制はしていないのだけど、家族のメンバーの習慣にもなっています。

 

この2つの習慣は「毎日」と「なにかやる前の決まり」というテクニック(?)で続けることが簡単になっていると思います。

ヨガは寝る前。エクササイズはティータイムの前。儀式のようなものですね。

 

こんな感じでいろいろ決めては習慣化すれば、その前の自分とは違う自分に自然となるような気がします。

最初はシンドイので、頭がクリアでやる気に満ちているときにやり始めるのがいいですね。始めてしまえばこっちのものです。

 

何かとくっつけて毎日する習慣、他にもいろいろ考えていきたいです。

 

 

習慣といえば、娘たちの家事分担も、決めてしまうとそれを守ろうとするものですね。

仕事で忙しい母を助けたいから家事をやる、なんて殊勝な心をわが娘たちは持ち合わせておらず(泣)、家族全員の話し合いの場を設けてきっちりとお願い(指導?)しました。すると案外スンナリと分担が決まり、その後特に不平も出ていません。

 

 

自分の状況を察して動いてほしい、というのは近くにいる人に誰もが抱いてしまう思いだけど、自分以上に自分のことをわかっている人はいないのですよね。めんどうでも気持ちや状況を伝え合わなければ進まない。特に子どもにはそう。若い頃に、自分のことよりも親のことを考えているような子どもになってほしくない、というか、そういう状況に子どもを追い込むことはできれば避けたいと思っていますし。

 

だから、「お母さんは忙しいのよオーラ」をできる限り出さずにいた結果、「お母さんは楽ちんして、いつもご機嫌でいる」という印象を娘たちは持っているようだけど、それならそれでよし。だって、私にとってもそれは理想だから。そして概ね、そのとおりですから。

 

GW中も仕事をしている母だけど、娘たちは決して「大変そう」とは思わないのだろうなあ。まあ、それでいいんです。自分もそう思っていないしね。

 

いろいろ制約のある今日このごろですが、今、できていることに感謝して。自粛期間が明けたら、少しだけでも進歩した自分になっていたいです。

語順のはなし

(今日のムフフ)

まさか『クローズアップ現代』に出るとはね!ファンへのお知らせメールでの告知もなかったから、直前に情報を知って焦ったけどギリギリ録画が間に合ったわ♪ええ、もちろんStay homeしますとも!見てよ〜、このブログ名を!前から家にいるんだからね〜!

 

 

 

今日は、週1回の娘ご飯作りの日。そして私、英語勉強の日。夜はオンライン飲み会もあるし、自粛の中、少しでも気持ちを前向きにしていきたいなと思います。

 

オンライン飲み会、そんなものやらないぞ、と思っていたのに、やってみたら楽しかった。もちろん会うのが一番いいけど、その次かな。今は次善の策でも受け入れないとね。完璧主義ではやっていけない。オンライン飲み会(お茶会でもOK)、よかったらいつでも誘ってくださいね。LINEでもZOOMでもなんでもできると思うので。

 

 

英語の勉強、少しやっただけでもためになる!そして、すぐに仕事に活きてくる!

そうそう、英語は語順を重んじる言語らしく、日本語ではあまり意識しないことかもしれませんね。

 

例えば、

 

昨日公園で子どもと遊んだ。

子どもと昨日公園で遊んだ。

昨日子どもと公園で遊んだ。

 

どれも言いそう。

う〜ん、でも

 

公園で昨日子どもと遊んだ。

 

とはあまり言わない。字面だけ見ていたらOKな気がするけど、実際、友だちに話をするときにそう言う?よっぽど公園を主張したかったら別だけど。

 

無意識に「時間、場所」の順になっていますね。

 

もちろん、強調したい場合にはあえて語順を変えるときもあるけどね。

 

子どもと昨日公園で遊んだ。

 

だと、「子ども」という情報の方を、「昨日」という情報よりも重視している感じがする。

 

ふむふむ。

 

 

そういえば、ある同業者さんが「一流の翻訳者は『型』を持っていて、パターンに当てはめて訳している」と言っていたなあ。

医薬分野では、症例報告などで、クライアントさんが情報の順番を指定してくることもありますね。

日本語だと「いつ、どこで、だれが、何を」という順番が普通になるのかな。

型は持っておいた方が、いろいろ悩まなくてすみます。悩まなくてすむということは時間がかからないので効率が上がるということ。そして疲労も少なくなるということですね。

 

 

実務翻訳者はこねくり回した芸術品を求められるのではなく、必要にして十分な訳を求められるのですよね。うまい日本語とわかりやすい日本語、どっちがいい?もちろんうまくてわかりやすいのがいいのだけどね。

 

 

日本酒でいったら大吟醸のような、研ぎ澄まされた訳文を作りたい。

精進、精進です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

省略多い!

(今日のムフフ)

炭治郎の役、やれないかしら〜。あともうちょっと若いときなら適役だったと思うんだけどなぁ。さすがに20代も後半になってくると、子どもの役は無理かなぁ。ピアスもできるし、ピッタリだと思うんだけど。

 

きゃー!これを書いている途中で、Smile Up! Projectになんと「R様が自宅でホットケーキを作る」という動画がアップされた〜!まだYou Tubeにはアップされていないようで、リンクできなくてゴメンナサイ。ぜひぜひご覧くださいね〜!えっ、牛乳の代わりに豆乳?

いろいろツッコミどころ満載だけど、素晴らしいです!ふ〜ん、キッチン家電は黒で統一しているのね。すべてがおしゃれですね!ん?涙ボクロ描いてる?

 

 

 

 

 

さて、今日は自粛期間中の毎週のお楽しみになった「娘晩ごはん当番」の日。

この時間を英語の勉強に使おうと決めていたので、まずはラジオ講座を聴きました。5月号のテキストもそろそろ買わないとね。

 

で、φ(..)メモメモ

翻訳に役立ちそうな気付き。

 

高校生からはじめる「現代英語」4月号

最初のトピックから。

見出しの

 

Shuri Castle rebuilding fund

raises over $3 million

 

はい、どう訳す?

ゆっくりやっていきましょう。

 

まず、話の要点を短く伝えるツールである「見出し」には、省略があるとのこと。

省略されている単語を補うと

 

A fund-raising campaign for rebuilding Shuri Castle has raised over $3 million.

 

となるそう。

 

主語のShuri Castle rebuilding fund はそのまま訳して「首里城再建募金」で良いのだけど、

a fund-raising campaign for rebuilding Shuri Castleの意味ですよね。

逆にa fund-raising campaign for rebuilding Shuri Castleと英語で書いてあっても「首里城再建募金」と短く訳すのが良い場合が多いでしょうね、ビジネス文書などでは。簡潔さが求められるので。

 

今回なるほどと思ったのは、raisesとされているところが本当はhas raisedなのだということ。こんな省略の仕方があるんですね。

 

「首里城再建募金で300万ドル以上が集まる」

 

というのが日本語訳で、「集まる」ってなっていると、現在形をそのまま訳したかのようですが、なんだろう、集めていった結果として今300万ドル以上が集まっている状態というニュアンスかな。現在完了形だとね。

そして、無生物主語のShuri Castle rebuilding fundをそのまま「首里城再建募金が300万ドル以上を集める」とするのは直訳ですのでNGですね。「募金が」集めたんじゃないんですよね、日本語だと。「募金で」集まったということなんですよね、言いたいことは。まあ、英語は無生物主語が多いです。あまりに多いと訳すときにそのままにしたくなることもあるし、そのままにしている訳例もあるけどね。

 

さて、テキストでは「首里城再建募金で300万ドル以上が集まる」が最終的に

 

「首里城再建へ支援金3億円超え」

 

となっています。ワオ!

 

ところで、over $3 millionの「over」ですが、厳密には「以上」ではないです。「超えて」いる状態です。このあたりは技術文書なら厳密に訳すところですが、日本語では「以上、以下」の表現を使う方が多いんですよね。「未満、超」を使うと文章がぎこちなくなったり。

だから、どちらでもそんなに意味が変わらない場合は「以上、以下」を使うことがありますね。厳密さを必要としない場合には、ですけどね。

最終的な訳の「3億円超え」っていうのはこれで厳密な意味もあっているし(3億円としているのが厳密さを欠いてはいますがね、レートは変わるしね、でももともと日本からの情報?そこらへんは不明です)、「〇〇超え」という言葉で止めている感じが見出しっぽくていいですね。

 

最低でも

 

「首里城再建募金で300万ドル以上が集まる」

 

までは持っていき、できれば

 

「首里城再建へ支援金3億円超え」

 

みたいな訳にしたいものですよね。

 

 

またこのシリーズの次回(ブログでの)があればご紹介したいのですが、いろいろ省略されている英文というのは多いみたいです。そのことを把握していないと、省略された原文に引きずられたり、なんだ間違っているじゃないかと怒ったり(?(笑))、悩んだりしてしまいますよね。

 

教科書英語ではなく、本当に出回っている英語について、もっとよく知りたい。

そして訳をストンと決めたいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい時間の使い方(家事について)

(今日のムフフ)

満を持して(?)アイスクリームのCMが回ってきたわ!大好きなのよね、R様はアイスが。最近はハーゲンばっかり食べていたけど、たまにはそっちもいただくわね♪

 

 

さて、巣ごもり時の過ごし方、我が家編。

なんといっても娘たちが家にいるのが新鮮。そして、少々負担増。具体的には食事作りですね。朝は各自だけど、昼と夜は一緒に食べているし。

今までは「家にいたもん負け」で、いろんなことを私がやっていたけど、遅ればせながら家事の分担。

まず、洗濯物たたみとお風呂掃除を娘たちが分担。

そして、食洗機から食器を出すという昼と夜の作業も娘たちが分担。

さらに、週一回、夕食を整えるという役割を交代で娘たちがやるように。

 

たかがこれだけ、でも大きな一歩!

もともと夫は、平日の夕食の後片付け(食洗機だけど)と土日のごはん作りはやっていて、まあ、収入比で家事分担はこんなもんにしておこうかな、と思っているのです。ざっくり5:2の割合という感じですかね。いろいろくやしいけどね。

夫婦間はこれでまあまあ納得がいくのですが、子どもたちの家事分担は恥ずかしながらこれまでゼロに近くて。もちろん食事前の配膳やら自分の食器を下げるなどはやっていますが、そんなことは幼稚園時代からやっていたことで。彼女らの忙しいスケジュールを見ていると、ついついこちらがやってしまっていたのですよね、いろんなことを。

 

この自粛期間がチャンス!

とにかく暇を持て余しているので、普段よりはハードルが低くなっているみたい。

週一回の夕食作りに関しては、4人分の食費の上限を決めておき、そのお金を渡してお釣りはあげるというシステム。ただしあまりに貧弱でクレームが出るような内容は不可として。

 

早速今晩は、長女の担当。無印で何やら買って、あとは家にあるものでなんとかしようとしています。

夕飯作りの時間に自分の好きなことをしていていいなんて、ああこんな夢のような時間が再び訪れるとは。

 

待ち遠しくて待ち遠しくて、うれしくて。

この時間は英語の勉強に使うと決めました。

 

ラジオ英語はちょこちょこ聴いているのだけど、じっくり振り返ったり翻訳に活かせる勉強をする時間に充てたいと思っています。

 

ちょっと時間切れかな、つい仕事をしてしまって。もう1本、ブログでそのことを整理しなから書きたかったのだけど。

 

やれそうならやってみますね。

 

 

 

 

 

 

anyの訳し方

こんなタイトルをつけてしまったら、もしかしたらいろんな人がこのサイトを訪れるかもしれないからちょっと怖いのだけど^^;、自分への覚書として。

 

今日、anyの訳し方でちょっと悩みました。anyにちょっと戸惑ってしまったのです。「いずれか」と訳すべきなのか「すべて」と訳すべきなのか。内容的に2つのうちのこちらだろうと思えたのですが、感覚的に理解したかったので、ちょっと調べてみたらこちらのサイトが非常にわかりやすかった(→)。

 

ふむふむ、anyは肯定文だろうが否定文だろうが「これも、これも、これも」という感覚。条件文でもそういうことですね。なるほど。このニュアンスさえわかれば、後はその情景に日本語を当てはめるだけで訳文は完成します。

 

「情景を日本語に当てはめる」ためには、まずは正確に英文を理解してその情景をありありと心のなかに浮かべなければなりません。正確に英文を理解するって、難しい。筆者は何を言いたいのか、ということを正確に把握することに尽きるのですよね。

 

ぐるっと一周して、やはり英語の読解力をもっと深めたいと思っています。読解力は正確で的確な訳文作成の一番の元になるものです。それなしでは、「なんとなく読んでいけるけど(日本語がきれいだったり)、本当に原文の情報が過不足なく伝わっているのか疑問に感じるような訳文」になりかねないですね。

 

ネイティブにはなれないけど、勉強によって少しでも言語間のギャップを埋めていきたい。だからといって「肯定文でanyならこう訳す」みたいな学習法は、暗記が得意な年齢をとうに過ぎている当方には無理。なので「ニュアンス学習(?)」をやっていきたいですね。