飽きるほど

  • 2019.02.07 Thursday
  • 19:23

(今日のムフフ)

え?「アジアで最もハンサムな顔2018」にノミネートされたって?同じグループから2人もなんてすごいね!まあ、当然私はR様推しだけど。そんなものが本当の指標にはならないのかもしれないけど、注目されているってことはいいことだよね。あの顔を自分では決して見られないというのはかわいそうなくらいだよ。自分が思っている以上にすごいからね(って私もほぼ映像でしか見たことないからおんなじか)!

 

ウクレレ教室、発表会が迫っています。今回は先生担当の各教室のメンバーが揃ってやる「戦場のメリークリスマス(ちょっと季節は終わりましたが)」といつもの教室のメンバー3人だけでやる「スマイル」。スマイルはチャップリン作曲だったのですね。真央ちゃんのエキシビションでも使われていた曲です。そして、そのシンプルな曲をウクレレ2人とピアノ(私)1人でやることになりました。ピアノアレンジは完全に自己流。いやあ、勉強になりますね。クラシック一辺倒だったから、コードとかが特に勉強になります。

 

先日の教室でメンバーの1人が「暗譜のコツってありますか?」って先生に質問したところ「その曲に飽きること」と先生がおっしゃいました。その極意は、その曲に飽きるほど弾きこめば、自然と暗譜してしまう、飽きた頃には覚えている、というもの。うん。言い得て妙ですね。

 

翻訳にも同じことが言えるのかなあと思います。いつもの案件は別として、新しいものは、どんどん訳していってもう飽きてきたなぁというくらいにやっとこなれた訳文になったり。その感覚で最初の頃に訳したものを見直すと、いろいろと手直ししたくなってきます。だから分納は、慣れた案件ならいいけど、基本的にはしたくないですね。今は3週間くらいの案件の、山で言えば約七合目にいるのだけど、その頃になると、次にどういう展開の文が来るのかある程度読めるようになってきます。そうなると、翻訳のスピードも上がるし、こなれた訳文になる。そう、飽きた頃にね。

 

案件をもらった時点で、全部に目を通すという方法ももちろんあるのだけど、細かく訳していかないと見えてこない世界というのもあって。だから、下訳を作ることはしないけど、最初からパーフェクトは目指さずに始めることが多いかな。自分がどんどん成長していくから、成長した自分は、最初に訳したときの自分とはもう違っていたりもするのです。過去の自分は信用せず、今の自分、これからの自分を信じたい。

 

だから、訳文の見直しはすぐにはしません。単語レベルでの見直しはその都度やって、全体的な流れとか、言い回しの修正は最後にやります。その時間は、1ヶ月の案件だと1日くらいでしょうか。そこが実は一番楽しい。文章そのものについて一番考えられるから。音楽で言えば、楽譜を見ることなく、音だけに集中できるというのかな。そんな感じです。

 

自分の文章は自分の作品だから、自分の書いたものを読むのがすごく好きなんです。だからブログは、書くのは早いのだけど、その後何度も読みたくなるから時間がとられちゃう。そう、鏡を覗き込んでナルシストになることはないけど、自分の作り出すものは、文章に限らずなんでもず〜っと眺めていたくなるんですよね。そこに自分の美意識をいっぱい詰め込んでいるときは特にね。

翻訳考

  • 2019.02.02 Saturday
  • 11:07

(今日のムフフ)

ここ1年半くらいのR様のTV出演の映像を見返してみると、グループAメンバーとの共演がちょこちょこあって、その当時はそのメンバーたちが「なんだか暗いな」とか「なんだか他人事みたいなコメントをするな」と映っていただけだったけど、今思えば自分たちの胸にそんなことを抱えていたのね。R様しか見ていなかったから気づかなかったけど、いや、ファンの人たちも誰も気づかなかったんだよね。この隠していた期間がどれだけつらかったかなと思う。

もしかしたらR様だってグループとして活動するのが後10年くらいかもしれない。いや、もっと短いかも。それどころか永久に見られなくなる可能性だってある。そう思うとライブ1回1回が貴重なものに思えてくる。

何事も永遠に続くということはなく、諸行無常なんだよね。一瞬一瞬を生きるしかないんだよね。

 

 

ブログの更新が滞っていました。日常のことはほとんどインスタ(アカウント:athomepart2)にあげているので、なかなかブログまで回らないのですよね。ブログの位置づけが、「文章を思い切り書きたい時のもの」になりつつあって、そうなるとスマホではなくキーボードで打つ方が楽なので、PCの前に座っていなきゃいけない。でも、仕事が終わるととりあえず机から離れることにしているので、ブログを書く機会が失われがちなのですよね。

 

 

ブログを書くことは自分にとっては娯楽の1つなのだけど、それ以外にもしたいことがありすぎて、なかなか時間がとれないです。また、ブログには決意表明的なことを書くことが多いけど、思うだけではやったことにならないと常々思っているので、机上でごちゃごちゃ言う暇があったら行動に移したいから、あーだこーだと言っている時間がなくなってくるのですよね。

 

そんなわけで、なかなか書けないブログですが、書きたいなと思うことはよくあって。昨日は入浴中にああ、これ書きたいと思ったことがあったので、久しぶりに書いてみようかな。

 

ずばり、仕事の話というか翻訳について思うことです。

 

仕事のなかにはいつもの案件というのも多く、その場合は頭の使い所がどちらかというと原文の情報を正確に把握するということになるのだけど、なかには自分の翻訳欲を刺激される案件もあるのです。

それは、どうしたらこの情報をこの読み手に簡潔で明快に伝えることができるだろうか?と考え続ける案件。

同じ翻訳でも、原文に忠実に、なんなら直訳ベースで訳したほうが良い場合と、内容をくんだうえで、ある程度意訳になってもかまわないから読みやすさを重視する場合とがあり、そのどちらかというわけでもなくどれくらい崩すべきか、というさじ加減が非常に大切になってくる。その際、考えるべきは読み手のニーズに合わせるということ。お客様あっての仕事ですから。だから、想像します。この文書はお客様がじっくり読み込むものなのか、それとも情報を拾う程度に読むものなのか。

自分の翻訳欲が刺激される案件は、どちらかというと後者で、「きっとお忙しいだろうお客様が目を通したときに、内容がすーっと頭に入るようなものにしたいなあ」と工夫したくなるのです。

 

そういう場合は、原文の構造、動詞や名詞などの品詞については無視します。つまり、英語でこう書かれているから直訳するとこうだよね、ということから離れて、この内容を日本語で伝えるにはどういう文章がいいかを瞬時に考えます。英語独特の表現、日本語独特の表現というものがあるので、原文にひっぱられていたら「こんな言い方日本語ではしないよね」という文章になってしまいます。とはいえ、創作してはいけないので、原文を等価で訳文に移さなければなりません。そこが翻訳の肝であって、直訳できるのは当たり前、そこから先が腕の見せ所なのですね。そして、その作業が本当に楽しい。自分の言葉を紡いでいくという作業が延々と続くのですから。

 

実務翻訳の場合は、基本、シンプルイズベストで、無駄なものは削ぎ落としたほうがいい。英語はくどい表現が多いので、バッサリカットする「勇気」が必要です。実力だめしの意味で今でもたま〜にトライアルを受けるのですが、駆け出しの頃は安全策を取ってわりとていねいな表現にしていた訳文を、最近ではバッサリシンプルなものにして提出しています。まあ、不合格になったことはありませんね。押さえるところは押さえているということでしょうか。

 

翻訳の作業中は、さあ、この文章をどう料理して提供しようか、とワクワクします。凝りすぎると時間がかかるし、そのせいで独りよがりな文章になったりもするので、そこは控えめに。あくまでも黒子ですから、「そういえばこの文章読みやすかったなあ」とじんわり思ってもらえるくらいで上等。いや、文章のことについて考えさせないくらいがいい。「凝った表現だよねぇ」なんて思われると失敗に近いかも。そのあたりもすべてはお客様のために。それが仕事ですね。

 

そういえば、最近参考になったのが、受験英語の勉強真っ只中の次女が言った言葉。「カタカナ表記にすべきかどうか迷ったときはおじいちゃんやおばあちゃんがその言葉を使っているかどうかで判断する」と塾で習ったそう。なるほどね。うん、でもそろそろ私たち世代がおじいちゃんおばあちゃんになってくる頃だよ〜(泣)。そういう意味では自分がその言葉を日常で使うかどうか、なんだけど、一般的に使われているかどうかの判断がまた難しい。自分は使うけど、そんなの周りで使ってる?って考える必要がありますね。まあ、あくまでもこれは一般的な文章に当てはまることで、普段の仕事のほとんどは読み手が専門家なので、その心配はありませんが。

 

趣味ではなく仕事として翻訳をやっていることの喜びを自分はひしひしと感じます。翻訳でなくても、仕事というのはそういうところに喜びがあるのかな。相手が必ずいるというね。だから、どうなんだろう、ムフフ話に戻るけど、仕事のありがたみというのはなくして初めてわかるのかもよ。R様はすでに、この世界でないと生きていけないと覚悟を決めているし、自分の能力を活せる場所があることのありがたみをわかっているような気がするなあ。先のことはわからないけどね。でも、自分を過信していると大切なものを失うような気がします。貪欲なのはいいけど、謙虚さも必要なのかなあと。まあこんなことを思うのは一部の人(もしかして私だけ?)で、自分の中での仕事というものの位置づけは人それぞれだから、外野がどうのこうのいうことではないのだけどね。

 

関西がんばれ!

  • 2018.04.19 Thursday
  • 10:04

昨日、PARP阻害薬が発売された。

PD-1抗体薬で10年は食いっぱぐれることがないなと思っていたが、PARP阻害薬もそれに続くかな?

大手製薬会社が次々と東京に本社を移していくなか、大阪本社の会社ががんばっている。大阪出身の私としては、当然応援したくなる。だから、これらの薬剤の案件には2つ返事で対応する。

 

軽々しくは言えないが、エイトもがんばって。今朝、IちゃんとからんでいたOくんを見て、胸が痛かった。あんな思い、R様にはさせたくない。でももしかしたらR様だって、脱退や退社することがあるかもしれないもんね。なんとも言えない。そういえば、こないだ「ねえ、娘さんの娘さん(つまり私にとっては孫)が年齢的にはR様と結婚する可能性(あくまでも年齢的にですよ)あるよね」と言われプチショック。祖母としてR様の結婚式に参列するって?それだけは勘弁。あれ、「今日のムフフ」が最後にきてしまった。

小さく分ける

  • 2017.11.08 Wednesday
  • 20:01

普段の2倍量の仕事をこなしており、いつも時間に追われている感じがしていた今日このごろ。1日の終わりに「まだまだ残っている」という焦りが募ってきたので、思い切って(本当はいつもやるべきかな)1日目標量を設定し、それを目指して作業を進めた。

結果、無理かなあと思っていた目標をとりあえず1日目は達成。おお、この達成感。余裕のスケジュールのときは、気分に合わせて作業しても納期までに間に合うという確信があるため、気が楽だったが、ハードなスケジュールのときはやはり「細分化」が精神安定のために大切だなと実感。

もちろん「1%の可能性を100%信じて」がんばったよ。ちょっとオーバーだけどね。

富士山に登りたい?

  • 2017.04.07 Friday
  • 15:41

少し前ですが、アンケートに回答した謝礼として掲載雑誌をいただきました。

 

通訳翻訳ジャーナル 2017年4月号

 

 

この雑誌にも載っているのですが、翻訳の仕事をするための勉強に対する私の考えは、

 

「効果ナシ」:やみくもに関係分野を勉強する

「効果アリ」:スクールを利用する

「アドバイス」:産業翻訳は”表現をまねる”

        とにかく仕事を始めたほうが、

        次にどのような勉強が必要かが見えてくる

 

というものです。

 

何のために勉強するのか?なんて考えること自体、勉強が好きではないみたいでイヤな感じを与えるのかもしれませんが、決して勉強そのものを否定しているわけではありません。

ただ、「トライアルに合格したい」「仕事が途切れないようにしたい」「クライアントから喜ばれる訳出をしたい」という目的がある場合と「翻訳とこの分野(例えば医薬)が好き」だから、勉強そのものが目的になっている場合とは、勉強に対する考え方が異なってくるように思うのです。

 

私自身は、完全に前者の考え方で、ドライと言えばドライ。超現実主義です。仕事として成功させたいというのが第一目的なので、それ以外のための勉強は「趣味」の範囲。もちろん、趣味が仕事につながる場合も多いですが、せっかちな私はカスミを食べる気はないのです。

 

「翻訳の仕事がしたい」「もっと継続的に受注したい」「売上を上げたい」という相談を受ければ、迷わず「とにかくトライアルを受けて、仕事をなんでもいいから始めて、その後は仕事しながら勉強するのが早いよ。仕事の戦略を考えることも重要」とアドバイスするのですが、そのとおりにする人はほとんどいません。勉強熱心な人はいっぱいいるのですけど。

 

繰り返しますが、決して勉強そのものを否定しているわけではないのです。もともと私自身も勉強は大好きですし、仕事のためだとかを考えなくてもいい勉強は自分の楽しみとしてはやりたいと思っています。

 

ある漫画で主人公が語っていた「富士山に登りたければ、なんとなく歩きはじめても着かない」という例えが心に残っています。歩く目的で歩くのならいいのですけどね。

 

ただただ歩いているうちにもしかしたら着くのかもしれないけど、早く登って上の景色を楽しみたいとも思いますね。

 

 

 

 

子どもの使い

  • 2017.02.13 Monday
  • 09:55

昨日は治験翻訳講座・和訳実践演習の最終回でした。

基礎講座と実践講座を合わせて1年にわたっての受講でした。

当初の目的であった「あとひとつ自分の訳文の品質を上げる」ことに関して、努力すべき方向性が見えてきました。

具体的には、「原文(単語)にとらわれず、著者が言いたい事実(考え)をわかりやすく伝える」ことに留意しなければならないことに改めて気づかされました。

 

深いです。原文にとらわれないようにしながらも、原文に忠実になることが必要で、著者をリスペクトすべきなのか、内容をもっとわかりやすく読者に伝えるために「自分ならこう言う」を押し通すべきなのか。絶妙のバランス感覚が必要とされます。

 

今までの私はどちらかと言えば「原文リスペクト型」の翻訳をしていました。書かれている単語はほぼもらさず訳す、表記はそのまま移す。私の言い訳は「だって、原文にそう書いてあるじゃない」でした。わかりづらい文章、言い回し、同じことなのにわざわざ別の表現を使うという英語特有の粋(いき)(?)をそのまま移したような訳文を作っていたのです。でも講座を受けて目からうろこが落ちました。読者にフレンドリーな訳文とはどういうものなのか、という視点が大切なのですね。このことは、別の機会にクライアントさんのご意見を伺ったときにもハッキリとわかりました。「だって、原文にそう書いてあるじゃない」的な仕事のやり方は、「子どもの使い」でしかない。「子どもの使い」以上の仕事をするという自覚があるのなら、それでは通らない。

 

今後は「子どもの使い」を超える仕事をしていく、と決意を固めました。「子どもの使い」レベルでもトライアルには受かるし、仕事もあります。でも、それ以上を目指すとしたら、お客様が何を求めているのかを常に念頭に置くことが大切なのかなと思います。この作業は実際にはとても楽しいものです。一度自分の頭を通ってから訳す、という感覚でしょうか。最初は時間がかかるような気もしますが、遠回りなようで実は近道ではないかとも思うのです。最近の私は目の前の仕事、まさに今訳すこの1文に必死すぎて、全体像を考える余裕を失っていたのかもしれません。出来上がった訳文はもしかしたら機械翻訳レベルだったのかもしれません。

 

治験翻訳講座では頭を殴られるような体験ばかりで、自分の訳文のダメさを反省するひとり反省会がいつまでも終わらない感じでした。でも、目指すところがわかったので、少しずつでもそれに近づいていきたいと思います。

 

 

 

受講後の皆さんとのランチも最後かな?行きつけのイタリアンレストランが改装中なので、カフェにてエビとアボカドのグラタンをいただきました。勉強熱心で前向きな皆さんと過ごした時間は非常に刺激的だったし、いろんなことを考えさせられ、自分を客観的に見る機会にもなりました。皆さんとの出会いに感謝です。

 

 

 

筆力

  • 2016.12.23 Friday
  • 11:55

いつも見ているバラエティ番組。いろんな分野の講師が授業をするというもので、先日の科目は英語。講師は現在東京工業大学で教鞭をとっているパックン先生と、留学経験がありJ大学国際教養学部に一般入試で合格したというメンバー(なんのメンバーかはご想像におまかせします)のO君。もちろん私の目当ては他にあるわけで、かる〜い気持ちで番組を見ていたのですが、ああ、またまたひっかかってしまいましたよ。翻訳がらみでいろいろと考えてしまったのですね。

この日の授業はクイズ形式で、出題された英文を和訳するというもの。

例えば、

"Mr. Y is making a long face, because he can't eat red rice."

という英文が出題され、それに対する和訳

「Yさんは赤飯が食べられなくて○○だ!」

の○○のところを生徒が考える、というクイズ。

この答えは「不満そうな顔」なのですが、それはさておき、このbecauseの訳し方が気になりますねえ。

他には、

"Mr. K is a gold brick. He is a dead duck."

という英文が出題され、この和訳は

「Kさんは給料泥棒なのでどうしようもないダメ人間だ。」

となっているのですが、「なので」を勝手に入れて2文を1文として訳しているところが気になる〜。

まず、最初の文。「食べられないので」と訳してしまいそう。「食べられなくて」だとなんとなく結果のイメージがありますよね。でも、日本語としては先生の訳が自然です。

そして次の文。このような2文が"and"でつながれている場合もよくありますよね。その場合、単に羅列するのではなく、つながりを考えて「なので」「だけど」などを加えてやるほうが、意味がわかりやすいことがあります。まさに「行間を読む」というやつです。

どちらも先生の訳が自然で、「日本語ならそう言うよね」という感じです。この「日本語ならこう言うよね」という感覚。それが翻訳では非常に大切なのですね。

受講中の治験翻訳講座でも同様のことを学んでいます。私はいつも、先生の訳例と自分の訳との差はどこにあるのだろう、と考えるのですが、先日それに対する答えが少し見えてきました。私がある1文に対して「先生がなぜこの動詞をこのように訳したのかがわかりません。どうしても自分はそのようには訳せません」と質問したところ、先生は、英文は情報を拾うために読むには読むけど、訳すときには英文自体から離れて「書かれている内容を日本語ではどう言うか」に留意している、と答えてくださいました。先生は私が思っている以上に原文にとらわれずに訳していることがわかったのです。特に動詞は名詞とセットになっている場合、辞書の訳語を探すより、その名詞とセットの場合は一体何が言いたいのか、どういう表現が一番自然か、ということを考える必要があるのですね。

パックン先生の訳も同じで、見ているのは英文の単語一つ一つではなく、言いたい内容。その内容をどう日本語で表すか。それだけなんですね。文と文とのつなぎもそう。日本語ならこうつなぐのが自然、という感覚を大切にする。

翻訳者は創作者ではありません。でも、原文から内容を読み取り、それを訳文にする段階ではライター的要素が必要なのですね。一番自然な言い方。過不足なく情報を伝える文章。そこに必要なものは英語力ではなく筆力です。内容を把握するための調査はするけど、後は自分の筆力にかかっている、そう思うと翻訳というものがこれまで以上に手強いものに見えると同時になんてクリエイティブな作業だろうとも思えるわけでして。先生たちの訳文に近づいていきたいと、心から思いました。

「超」に関する考察

  • 2016.11.30 Wednesday
  • 10:09

今週のグッときたセリフ

 

"15%.No more."

 

譲らない強気なところが最高ですね!

 

 

さて、ドラマを見ていても、常に翻訳のことが頭をよぎる習性は、同業の方には理解してもらえると思うのですが、この

No more

やら

No less

 

さらには

more

そして

less

 

の訳しかたも難しい。

 

治験翻訳講座で、「英語では>、<をよく使う。日本語では≧、≦をよく使う」と習いました。つまり英語では「超」「未満」、日本語では「以上」「以下」を使うことが多いということですね。

 

実際の案件でも英語では「more than (超)」「less than(未満)」が使われていることが多いですね。でも、日本語では「未満」はまだしも、「超」なんて、普通言いますか?最近でこそ、ニュースのテロップにも「○○超の」などと書かれているのを見かけますけど。

 

では、「超(の)」を使わずにどう訳すか。例えば、こんな文章。

 

英語)when scanners have a slice thickness more than 5 mm

 

日本語)スキャナーのスライス厚が5 mmを超える場合

 

出典はRECISTガイドライン(version 1.1)(英語版→、日本語訳→☆☆)。固形がんの治療効果判定のためのガイドラインで、この領域ではおなじみの資料です。

「スキャナーのスライス厚が5 mm超の場合」でも間違いではないのですけどね。何となく日本語としてしっくりこないですね。

 

こんなふうに訳す場合もあります。

 

英語)When more than one measurable lesion is present at baseline

 

日本語)ベースライン評価において2 個以上の測定可能病変を認める場合

 

「1個超の」=「2個以上の」となりますね。この訳し方は個数や日数を表す場合によく使いますね。

 

 

"more than"となっていてもあえて「以上」と訳す場合もあります。それは続く数値の細かいところまでは重要でない場合などですね。

 

機械的に単語を置き換えるだけなら、「超」は「以上」「以下」「未満」と同様に訳せばよいのですが、そうそう杓子定規にできるものではないのですね。

やはり、日本語としての「違和感」を忘れずにいることが大切なのでしょうね。

そうは言っても「言葉は生き物」。翻訳文化(文化と言っていいものか?)が培われるにつれ、時代とともに言葉も変化していくので、「超」も受け入れられていくのかもしれません。

 

 

 

 

加湿器の季節になりました。無印のライト付きアロマディフューザーで、香りも楽しみましょう。

この日はグレープフルーツとユーカリで清々しく。

 

iPhoneImage.png

 

 

 

 

 

 

気配り上手は翻訳上手

  • 2016.11.16 Wednesday
  • 22:07

今日のショックなニュース

 

えっ、今なんて言った、軽部さん?「1年後の公開」ですって?「2017年冬」ってこの冬のことじゃないの?やだ〜、待てないよ〜、金髪姿も見たいよ〜。もうクランクアップしたんでしょ?そこまで焦らさなくてもさあ。一緒に見に行こうねって夏からお誘いしていたディーン様ファンのYさんにも連絡しなきゃ(泣)

 

 

さてさて「フレンドリーな訳文」についての考察ですが(過去のブログはこちらを参照→☆☆)、お仲間からコメントをいただいたことでさらに深まってきました。

 

「専門家であるクライアントが読んで違和感のない表現」と書いていますが、読者はクライアント自身ではない場合もありますよね。例えば医薬分野では、製薬会社がクライアントでも実際の読者は患者さんとか。読者に応じた表現にしなければならないということは言うまでもないことですよね。

 

また情報の足し引きですが、それはあくまでも原文が伝えようとしている情報と「等価な情報」を訳文で提示するために必要な作業であるにすぎず、決して「勝手に」足したり引いたりするべきではないのですね。「必要十分」という一番難しいものを追い続けなければならないのです。この課題に対しては、時とともに自分が留意すべき点が変わっていくこともあります。慣れないうちは直訳調だったのに、慣れてしまうと創作に走ってしまいがち。でも初心にかえってあくまでも原文に寄り添っていかなければならないのですね。

 

それに、表現そのものが時代とともに変わっていく場合もあります。治験文書などではそれが顕著で、ああ、もうこういう表現は使わないように心がけているのだなあと思うこともしばしば。ほんと、言葉は生き物ですね。

 

結局目指すべきは、「読者の目的が一番果たせる訳文」と言ってもよいでしょうか。専門家が情報収集のために読むものなのか、申請書類としてどこかに提出するものなのか、一般の人に読んでもらいたい文書なのか、ユーザーに対する説明書なのか。なぜ今その文書(の翻訳)が必要なのか?を問いかけたら心がける点が見えてくるのかもしれません。文書の目的を把握し、それが果たせるよう心を配る。きっと気配り上手は翻訳上手ですね。

 

 

フレンドリーな訳文とは

  • 2016.11.15 Tuesday
  • 12:40

「どうしたの」は、「寝たのかよ。子どもか」を上回る胸キュンセリフでしたね。早くも「神回(この若者ことばはわかりますか?)」との声も高まっているようです。昨夜は一番好きな曲「Ignition」を聴きながら夢見心地で寝ましたとも(ダンナ→札幌、東京方面出張中。21:45頃、「ファーストクラスでなくてもWi-Fiつながる!」と機上から喜びのLINEを送ってきましたが「取込み中」のシンプルな一言を返しました(笑))。

 

 

さて、昨夜の記事(→)で目標として掲げた「読者にとってフレンドリーな訳文」ですが、これがまたまた奥が深いですね。

治験翻訳講座で有馬先生(先生からブログにジャンジャン書いていいよ、との許可をいただいているので書かせていただきます)が「英語で100書かれていたら日本語では105くらいになるように情報を足しましょう」「おもてなしが必要ですから」と、言われていましたが、たしかに英語をそのまま日本語にしたのでは、行間の意味やわかっている前提で省略されている情報がすんなり頭に入ってこない訳文になる場合がありますね。

 

だからといって、「必要以上に」説明を足すとか、「くどい」表現にする必要はないというところが難しい。結局、実務翻訳者に求められている表現とは「専門家であるクライアントが読んで違和感のない表現」なのですね。この言葉は、治験翻訳講座で体験発表したときに同席していた某翻訳会社の担当者さんが言われたもので、「ああ、なるほど」と思ったのです。例えば、名詞型が並ぶ文章はなんだか堅苦しくて読みにくいからもっとわかりやすくしよう、なんて気遣いは、実はクライアントには無用、いや、余計なお世話、いや、「やめてくれー」という配慮かもしれず、わかっている人にとって一番情報がすんなり入ってくる文章を目指さなければならないのですね。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」というやつです。クライアントが訳文を読むときのスピードは相当速いと思われますので、そのスピード感にマッチした文章が必要です。つまりは情報をいかに適切に提示するか、ということですね。うん、難しい。足したり引いたりしながらベストなものを模索していくしかないですね。微妙なさじ加減というものはどんなことにとっても必要ですから。

 

 

 

 

 

 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  
<< February 2019 >>

地球の名言

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM