小さく分ける

  • 2017.11.08 Wednesday
  • 20:01

普段の2倍量の仕事をこなしており、いつも時間に追われている感じがしていた今日このごろ。1日の終わりに「まだまだ残っている」という焦りが募ってきたので、思い切って(本当はいつもやるべきかな)1日目標量を設定し、それを目指して作業を進めた。

結果、無理かなあと思っていた目標をとりあえず1日目は達成。おお、この達成感。余裕のスケジュールのときは、気分に合わせて作業しても納期までに間に合うという確信があるため、気が楽だったが、ハードなスケジュールのときはやはり「細分化」が精神安定のために大切だなと実感。

もちろん「1%の可能性を100%信じて」がんばったよ。ちょっとオーバーだけどね。

富士山に登りたい?

  • 2017.04.07 Friday
  • 15:41

少し前ですが、アンケートに回答した謝礼として掲載雑誌をいただきました。

 

通訳翻訳ジャーナル 2017年4月号

 

 

この雑誌にも載っているのですが、翻訳の仕事をするための勉強に対する私の考えは、

 

「効果ナシ」:やみくもに関係分野を勉強する

「効果アリ」:スクールを利用する

「アドバイス」:産業翻訳は”表現をまねる”

        とにかく仕事を始めたほうが、

        次にどのような勉強が必要かが見えてくる

 

というものです。

 

何のために勉強するのか?なんて考えること自体、勉強が好きではないみたいでイヤな感じを与えるのかもしれませんが、決して勉強そのものを否定しているわけではありません。

ただ、「トライアルに合格したい」「仕事が途切れないようにしたい」「クライアントから喜ばれる訳出をしたい」という目的がある場合と「翻訳とこの分野(例えば医薬)が好き」だから、勉強そのものが目的になっている場合とは、勉強に対する考え方が異なってくるように思うのです。

 

私自身は、完全に前者の考え方で、ドライと言えばドライ。超現実主義です。仕事として成功させたいというのが第一目的なので、それ以外のための勉強は「趣味」の範囲。もちろん、趣味が仕事につながる場合も多いですが、せっかちな私はカスミを食べる気はないのです。

 

「翻訳の仕事がしたい」「もっと継続的に受注したい」「売上を上げたい」という相談を受ければ、迷わず「とにかくトライアルを受けて、仕事をなんでもいいから始めて、その後は仕事しながら勉強するのが早いよ。仕事の戦略を考えることも重要」とアドバイスするのですが、そのとおりにする人はほとんどいません。勉強熱心な人はいっぱいいるのですけど。

 

繰り返しますが、決して勉強そのものを否定しているわけではないのです。もともと私自身も勉強は大好きですし、仕事のためだとかを考えなくてもいい勉強は自分の楽しみとしてはやりたいと思っています。

 

ある漫画で主人公が語っていた「富士山に登りたければ、なんとなく歩きはじめても着かない」という例えが心に残っています。歩く目的で歩くのならいいのですけどね。

 

ただただ歩いているうちにもしかしたら着くのかもしれないけど、早く登って上の景色を楽しみたいとも思いますね。

 

 

 

 

子どもの使い

  • 2017.02.13 Monday
  • 09:55

昨日は治験翻訳講座・和訳実践演習の最終回でした。

基礎講座と実践講座を合わせて1年にわたっての受講でした。

当初の目的であった「あとひとつ自分の訳文の品質を上げる」ことに関して、努力すべき方向性が見えてきました。

具体的には、「原文(単語)にとらわれず、著者が言いたい事実(考え)をわかりやすく伝える」ことに留意しなければならないことに改めて気づかされました。

 

深いです。原文にとらわれないようにしながらも、原文に忠実になることが必要で、著者をリスペクトすべきなのか、内容をもっとわかりやすく読者に伝えるために「自分ならこう言う」を押し通すべきなのか。絶妙のバランス感覚が必要とされます。

 

今までの私はどちらかと言えば「原文リスペクト型」の翻訳をしていました。書かれている単語はほぼもらさず訳す、表記はそのまま移す。私の言い訳は「だって、原文にそう書いてあるじゃない」でした。わかりづらい文章、言い回し、同じことなのにわざわざ別の表現を使うという英語特有の粋(いき)(?)をそのまま移したような訳文を作っていたのです。でも講座を受けて目からうろこが落ちました。読者にフレンドリーな訳文とはどういうものなのか、という視点が大切なのですね。このことは、別の機会にクライアントさんのご意見を伺ったときにもハッキリとわかりました。「だって、原文にそう書いてあるじゃない」的な仕事のやり方は、「子どもの使い」でしかない。「子どもの使い」以上の仕事をするという自覚があるのなら、それでは通らない。

 

今後は「子どもの使い」を超える仕事をしていく、と決意を固めました。「子どもの使い」レベルでもトライアルには受かるし、仕事もあります。でも、それ以上を目指すとしたら、お客様が何を求めているのかを常に念頭に置くことが大切なのかなと思います。この作業は実際にはとても楽しいものです。一度自分の頭を通ってから訳す、という感覚でしょうか。最初は時間がかかるような気もしますが、遠回りなようで実は近道ではないかとも思うのです。最近の私は目の前の仕事、まさに今訳すこの1文に必死すぎて、全体像を考える余裕を失っていたのかもしれません。出来上がった訳文はもしかしたら機械翻訳レベルだったのかもしれません。

 

治験翻訳講座では頭を殴られるような体験ばかりで、自分の訳文のダメさを反省するひとり反省会がいつまでも終わらない感じでした。でも、目指すところがわかったので、少しずつでもそれに近づいていきたいと思います。

 

 

 

受講後の皆さんとのランチも最後かな?行きつけのイタリアンレストランが改装中なので、カフェにてエビとアボカドのグラタンをいただきました。勉強熱心で前向きな皆さんと過ごした時間は非常に刺激的だったし、いろんなことを考えさせられ、自分を客観的に見る機会にもなりました。皆さんとの出会いに感謝です。

 

 

 

筆力

  • 2016.12.23 Friday
  • 11:55

いつも見ているバラエティ番組。いろんな分野の講師が授業をするというもので、先日の科目は英語。講師は現在東京工業大学で教鞭をとっているパックン先生と、留学経験がありJ大学国際教養学部に一般入試で合格したというメンバー(なんのメンバーかはご想像におまかせします)のO君。もちろん私の目当ては他にあるわけで、かる〜い気持ちで番組を見ていたのですが、ああ、またまたひっかかってしまいましたよ。翻訳がらみでいろいろと考えてしまったのですね。

この日の授業はクイズ形式で、出題された英文を和訳するというもの。

例えば、

"Mr. Y is making a long face, because he can't eat red rice."

という英文が出題され、それに対する和訳

「Yさんは赤飯が食べられなくて○○だ!」

の○○のところを生徒が考える、というクイズ。

この答えは「不満そうな顔」なのですが、それはさておき、このbecauseの訳し方が気になりますねえ。

他には、

"Mr. K is a gold brick. He is a dead duck."

という英文が出題され、この和訳は

「Kさんは給料泥棒なのでどうしようもないダメ人間だ。」

となっているのですが、「なので」を勝手に入れて2文を1文として訳しているところが気になる〜。

まず、最初の文。「食べられないので」と訳してしまいそう。「食べられなくて」だとなんとなく結果のイメージがありますよね。でも、日本語としては先生の訳が自然です。

そして次の文。このような2文が"and"でつながれている場合もよくありますよね。その場合、単に羅列するのではなく、つながりを考えて「なので」「だけど」などを加えてやるほうが、意味がわかりやすいことがあります。まさに「行間を読む」というやつです。

どちらも先生の訳が自然で、「日本語ならそう言うよね」という感じです。この「日本語ならこう言うよね」という感覚。それが翻訳では非常に大切なのですね。

受講中の治験翻訳講座でも同様のことを学んでいます。私はいつも、先生の訳例と自分の訳との差はどこにあるのだろう、と考えるのですが、先日それに対する答えが少し見えてきました。私がある1文に対して「先生がなぜこの動詞をこのように訳したのかがわかりません。どうしても自分はそのようには訳せません」と質問したところ、先生は、英文は情報を拾うために読むには読むけど、訳すときには英文自体から離れて「書かれている内容を日本語ではどう言うか」に留意している、と答えてくださいました。先生は私が思っている以上に原文にとらわれずに訳していることがわかったのです。特に動詞は名詞とセットになっている場合、辞書の訳語を探すより、その名詞とセットの場合は一体何が言いたいのか、どういう表現が一番自然か、ということを考える必要があるのですね。

パックン先生の訳も同じで、見ているのは英文の単語一つ一つではなく、言いたい内容。その内容をどう日本語で表すか。それだけなんですね。文と文とのつなぎもそう。日本語ならこうつなぐのが自然、という感覚を大切にする。

翻訳者は創作者ではありません。でも、原文から内容を読み取り、それを訳文にする段階ではライター的要素が必要なのですね。一番自然な言い方。過不足なく情報を伝える文章。そこに必要なものは英語力ではなく筆力です。内容を把握するための調査はするけど、後は自分の筆力にかかっている、そう思うと翻訳というものがこれまで以上に手強いものに見えると同時になんてクリエイティブな作業だろうとも思えるわけでして。先生たちの訳文に近づいていきたいと、心から思いました。

「超」に関する考察

  • 2016.11.30 Wednesday
  • 10:09

今週のグッときたセリフ

 

"15%.No more."

 

譲らない強気なところが最高ですね!

 

 

さて、ドラマを見ていても、常に翻訳のことが頭をよぎる習性は、同業の方には理解してもらえると思うのですが、この

No more

やら

No less

 

さらには

more

そして

less

 

の訳しかたも難しい。

 

治験翻訳講座で、「英語では>、<をよく使う。日本語では≧、≦をよく使う」と習いました。つまり英語では「超」「未満」、日本語では「以上」「以下」を使うことが多いということですね。

 

実際の案件でも英語では「more than (超)」「less than(未満)」が使われていることが多いですね。でも、日本語では「未満」はまだしも、「超」なんて、普通言いますか?最近でこそ、ニュースのテロップにも「○○超の」などと書かれているのを見かけますけど。

 

では、「超(の)」を使わずにどう訳すか。例えば、こんな文章。

 

英語)when scanners have a slice thickness more than 5 mm

 

日本語)スキャナーのスライス厚が5 mmを超える場合

 

出典はRECISTガイドライン(version 1.1)(英語版→、日本語訳→☆☆)。固形がんの治療効果判定のためのガイドラインで、この領域ではおなじみの資料です。

「スキャナーのスライス厚が5 mm超の場合」でも間違いではないのですけどね。何となく日本語としてしっくりこないですね。

 

こんなふうに訳す場合もあります。

 

英語)When more than one measurable lesion is present at baseline

 

日本語)ベースライン評価において2 個以上の測定可能病変を認める場合

 

「1個超の」=「2個以上の」となりますね。この訳し方は個数や日数を表す場合によく使いますね。

 

 

"more than"となっていてもあえて「以上」と訳す場合もあります。それは続く数値の細かいところまでは重要でない場合などですね。

 

機械的に単語を置き換えるだけなら、「超」は「以上」「以下」「未満」と同様に訳せばよいのですが、そうそう杓子定規にできるものではないのですね。

やはり、日本語としての「違和感」を忘れずにいることが大切なのでしょうね。

そうは言っても「言葉は生き物」。翻訳文化(文化と言っていいものか?)が培われるにつれ、時代とともに言葉も変化していくので、「超」も受け入れられていくのかもしれません。

 

 

 

 

加湿器の季節になりました。無印のライト付きアロマディフューザーで、香りも楽しみましょう。

この日はグレープフルーツとユーカリで清々しく。

 

iPhoneImage.png

 

 

 

 

 

 

気配り上手は翻訳上手

  • 2016.11.16 Wednesday
  • 22:07

今日のショックなニュース

 

えっ、今なんて言った、軽部さん?「1年後の公開」ですって?「2017年冬」ってこの冬のことじゃないの?やだ〜、待てないよ〜、金髪姿も見たいよ〜。もうクランクアップしたんでしょ?そこまで焦らさなくてもさあ。一緒に見に行こうねって夏からお誘いしていたディーン様ファンのYさんにも連絡しなきゃ(泣)

 

 

さてさて「フレンドリーな訳文」についての考察ですが(過去のブログはこちらを参照→☆☆)、お仲間からコメントをいただいたことでさらに深まってきました。

 

「専門家であるクライアントが読んで違和感のない表現」と書いていますが、読者はクライアント自身ではない場合もありますよね。例えば医薬分野では、製薬会社がクライアントでも実際の読者は患者さんとか。読者に応じた表現にしなければならないということは言うまでもないことですよね。

 

また情報の足し引きですが、それはあくまでも原文が伝えようとしている情報と「等価な情報」を訳文で提示するために必要な作業であるにすぎず、決して「勝手に」足したり引いたりするべきではないのですね。「必要十分」という一番難しいものを追い続けなければならないのです。この課題に対しては、時とともに自分が留意すべき点が変わっていくこともあります。慣れないうちは直訳調だったのに、慣れてしまうと創作に走ってしまいがち。でも初心にかえってあくまでも原文に寄り添っていかなければならないのですね。

 

それに、表現そのものが時代とともに変わっていく場合もあります。治験文書などではそれが顕著で、ああ、もうこういう表現は使わないように心がけているのだなあと思うこともしばしば。ほんと、言葉は生き物ですね。

 

結局目指すべきは、「読者の目的が一番果たせる訳文」と言ってもよいでしょうか。専門家が情報収集のために読むものなのか、申請書類としてどこかに提出するものなのか、一般の人に読んでもらいたい文書なのか、ユーザーに対する説明書なのか。なぜ今その文書(の翻訳)が必要なのか?を問いかけたら心がける点が見えてくるのかもしれません。文書の目的を把握し、それが果たせるよう心を配る。きっと気配り上手は翻訳上手ですね。

 

 

フレンドリーな訳文とは

  • 2016.11.15 Tuesday
  • 12:40

「どうしたの」は、「寝たのかよ。子どもか」を上回る胸キュンセリフでしたね。早くも「神回(この若者ことばはわかりますか?)」との声も高まっているようです。昨夜は一番好きな曲「Ignition」を聴きながら夢見心地で寝ましたとも(ダンナ→札幌、東京方面出張中。21:45頃、「ファーストクラスでなくてもWi-Fiつながる!」と機上から喜びのLINEを送ってきましたが「取込み中」のシンプルな一言を返しました(笑))。

 

 

さて、昨夜の記事(→)で目標として掲げた「読者にとってフレンドリーな訳文」ですが、これがまたまた奥が深いですね。

治験翻訳講座で有馬先生(先生からブログにジャンジャン書いていいよ、との許可をいただいているので書かせていただきます)が「英語で100書かれていたら日本語では105くらいになるように情報を足しましょう」「おもてなしが必要ですから」と、言われていましたが、たしかに英語をそのまま日本語にしたのでは、行間の意味やわかっている前提で省略されている情報がすんなり頭に入ってこない訳文になる場合がありますね。

 

だからといって、「必要以上に」説明を足すとか、「くどい」表現にする必要はないというところが難しい。結局、実務翻訳者に求められている表現とは「専門家であるクライアントが読んで違和感のない表現」なのですね。この言葉は、治験翻訳講座で体験発表したときに同席していた某翻訳会社の担当者さんが言われたもので、「ああ、なるほど」と思ったのです。例えば、名詞型が並ぶ文章はなんだか堅苦しくて読みにくいからもっとわかりやすくしよう、なんて気遣いは、実はクライアントには無用、いや、余計なお世話、いや、「やめてくれー」という配慮かもしれず、わかっている人にとって一番情報がすんなり入ってくる文章を目指さなければならないのですね。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」というやつです。クライアントが訳文を読むときのスピードは相当速いと思われますので、そのスピード感にマッチした文章が必要です。つまりは情報をいかに適切に提示するか、ということですね。うん、難しい。足したり引いたりしながらベストなものを模索していくしかないですね。微妙なさじ加減というものはどんなことにとっても必要ですから。

 

 

 

 

 

 

快適なペース

  • 2016.11.14 Monday
  • 20:33

仕事の打診時には希望納期を聞かれることが多いのですが、気持ちキツめに設定することが多いです。大体1日何枚(何ワード)できるから、(土日祝日を含めずに)何日かかるなあという感じで決めています。

 

実際に仕事を始めるときには、土日祝日は休み、納品(分納)前には1日余裕を持つ形で1日あたりの作業量を決めています。複数の案件を抱えている場合は各案件ごとに1日あたりの作業量を決めます。長期案件だと3日くらいは余裕を取ることになるので、必然的に1日あたりの作業量は受注時に考えていたものよりは多くなりますし、案件が追加されるたびに作業量は増えていきます。

 

今まではスケジュール的にアップアップの状態で、なかなか余裕が持てなかったのですが、今月は主な2つの案件について、1日の作業量の目標が夕方にはすんなりと達成できて、「えっ、うそ」という感じなのです。小さなことだけど、すごい達成感。余裕をもって取り組んでいる、なんて状態はずっとなかったし、なかば無理なこととあきらめていましたから。

 

理由の1つは引き受ける案件を絞っているということでしょうか。精通している分野、これから勉強したい分野のものに絞って受けているのです。そして極小案件(数日以内の納品)は、得意分野で「自分がやるのが一番早いだろうなあ」というもののみお受けして、調べることがいっぱいありそうなものは受けない。あっ、もちろんそれは時と場合によります。スケジュールに余裕があって、おもしろそうだからやってみたいときは採算度外視でお引き受けすることも多いです。そのような場合を除くと、引き受けるものを絞っていると「調べ物の量に対する成果物の量」が大きくなるのですね。

 

理由のもう1つは、ローラーバーマウスの導入でしょうか。従来のマウスに手を伸ばす作業がなくなり、たぶんかなりの効率化が図れているのではないかと思います。今、このブログは仕事用ではないPCで打っているのですが、もう親指がすぐ手前に来てしまう(ローラーバーマウスを探してしまう)のです。

 

それと、翻訳力のアップ。自分でアップなんて言うのはおこがましいですが、治験翻訳講座に通い始めてから原文に引きずられない訳文を作成することができるようになってきて、無駄に悩む時間がかなり減ったような気がします。

 

それらが相まって作業時間が短縮しているのではないかと思います。

 

効率が良くなったからたくさん仕事しよう、と今は思っていないので、その分、もっと俯瞰した訳文、もっと読者にとってフレンドリーな訳文になるよう心がけていきたいです。まあその作業にもそんなに時間がかかるわけではなく、普段の作業に組み込まれているのですが。

 

サクサク進むし、余裕は持てるし、単に原文から訳文に移しかえただけの成果物を生み出すのではなく、著者の見た景色を読者に提示するという目的を持って仕事をしているという実感があり、とても気分がいいです。自己満足なのですけどね。

 

この気持ちよさを忘れず、詰め込みすぎスケジュールやシンドイ仕事を引き受けることのないよう、これからもやっていけたらなあ。

深呼吸して、落ち着いて。
快適なペースをつかんでいきましょう。

 

 

 

 

原文が透けて見えない訳

  • 2016.10.19 Wednesday
  • 10:05

「お母さん、これおもしろいから読んでみて」と長女から1冊のファイルを手渡されました。

そこには予備校の英語の先生が書かれた新聞(?)が何十枚もファイルされていて、その新聞のエッセイがとってもおもしろいのです。

これだけで1冊の本ができるかも、と思わせるくらいおもしろいそのエッセイの裏には、和訳問題の解答らしきものが書かれており、例えばこんな感じ。

 

1.[構文訳]彼は、彼女がその家にペンキを塗るのを手伝った。

 [合格訳]彼は、彼女がペンキを塗るのを手伝った。

2.[構文訳]科学者は、その山の構造の中に、地球の創造を知る手がかりを見つけることを望んでいる。

 [合格訳]科学者は、その山の構造の中に、地球の創造を知る手がかりを見つけたいと思っている。

3.[構文訳]彼は切るためのナイフを持っていなかった。

 [合格訳]彼には切るナイフがなかった。

4.[構文訳]世の中は高度な技術を必要とするが、人類は技術の進歩を先導させ、政治や観念形態が後からついていくようにする心配にさせる傾向がある。

4.[合格訳]世の中は高度な技術を必要としているが、技術の進歩を先に行かせ、政治や観念形態に後追いをさせるという、憂慮すべき傾向が人類にはある。

 

などなど。

これらがプリントの裏面に延々と書かれています。

 

「構文訳」を読むと、もとの英語がわかりますね。もちろん「構文訳」は直訳で「合格訳」はこなれた訳文であることは明らかなのですが、気をつけていないと仕事でも「構文訳」にとどまってしまうことがありますね。

思わずそのファイルに見入ってしまい、勉強させてもらいました。

 

翻訳で大切なのは、やはり「原文の向こう側にある景色を描出すること」であり、決して英単語を置き換える、構文に当てはめて型通りの訳出をすることではないのですね。英語に引きずられず、そこに書かれた「事実」を読者に呈示する感じ。

 

先日、クライアントが「原文が透けて見えない訳」を希望している、と依頼された案件を納品したところ、ざっと目を通されたコーディネーターさんから「とても読みやすい訳に仕上げていただいて助かります」とお褒めの言葉をいただきました。まだまだ精進する必要はありますが、まずは「事実のみに目を向ける」ことを心がけていくことが大切かなと思います。そして、自分の中にある表現の引出しから最適なものを取り出して「文を作っていく」、そういう感覚。

 

ああ、楽しくも苦しいこの作業。いつも頭の中は言葉でいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

治験翻訳講座最終回

  • 2016.08.26 Friday
  • 11:34

先日、治験翻訳講座「和訳基礎演習」の最終授業を受講しました。

 

これで全6回の授業が終了しましたが、この講座を受講したことは、自分の翻訳人生のなかでもエポックメイキングなことだったと思います。

 

すでに何回か報告しているとおり、訳出スピードが格段に速くなったし、訳出中の自分のなかの迷いがなくなりました。大切なのはメリハリ。何が重要で、何にはそれほど重きを置かなくてもよいか、それを6回の授業で叩きこまれたような気がします。

 

例えば、最終授業で先生からこう言われました。

 

「○○さん(私のこと)の訳文は、本をたくさん読んできた人の訳文だね。でもその能力はべつのことに使いましょう。治験翻訳ではそこには時間をかけず、もっと速くもっと楽にどんどん訳していきましょう」と。

 

私はここ半年ほど、自分の訳文のどこをどうブラッシュアップしていけばよいのか迷いが出ていて、とりあえず時間をかけて練った訳文を作ったり、何度も見直しをしたり、本で勉強したりしていたのですが、この方向でよいのかどうか自信がなく、少々ストレスを感じていたのです。

 

授業を受けていくうちに、時間や頭を使うべき箇所とそれ以外の箇所がわかってきました。

原文の向こうにある事実関係の描出にこそ力を注ぐべきで、単語一つ一つの訳出にあえて「凝る」必要は全くないのですね。

本当に目からうろこでした。そして、仕事に追われているうちに忘れがちだった「翻訳の本質」をもう一度見直すことができました。

 

今は仕事をしていて、訳出作業がいろんな意味で楽だし楽しいです。もし今使っていない能力があるとしたら、それは実務翻訳以外で発揮する時がくるのかもしれません。それもいいなと思いますが、今は目の前の仕事をストレスなくどんどんやっていきたい。その意味で今回の受講は本当に身になるものでした。

 

 

最終回の授業後、個人面談がありました。

「○○さんの収入を今の倍にしましょう」

「もっと楽に今と同じくらい稼げるようになりましょう」

と先生から言われました。

先生の頭の中には、私のキャリアプランの青写真が出来上がっているようでした(私だけではなく受講生みんなだと思います)。

「一緒にがんばっていきましょうね」

と心強いお言葉をいただきました。

 

秋からは引き続き実践講座も受講する予定です。

実際の治験文書を訳していく講座になるので、まさによく受ける仕事内容にドンピシャ。

課題をこなし、開催地の新大阪まで出かけるのは、実は時間的に大変なところもあるのだけど、仕事をその分減らしてでもそういう時間を持ちたいなと思います。

 

 

受講生のみなさんともいつも楽しくふれあうことができました。

この日の受講後も近所のイタリアンレストランでランチ。

 

 

次の講座でまたご一緒できる人もいるようで、楽しみです。

皆さんすご〜く前向きで本当に刺激を受けます。

「受講料の高いセミナーに参加すると、参加者の熱意に圧倒され、自分が変わる」というような話を聞いたことがあったのですが、まさにその通りでした。

 

 

治験翻訳講座、無料公開セミナーがまた開催されるようですのです(→)。

9月3日は、私も体験発表しますので、ご興味のあるかたはぜひお運びください。

 

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

地球の名言

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM