流れの中で受け止める

  • 2016.12.10 Saturday
  • 10:55

父と二人暮らしの母は、父が出かける時は時間を持て余すのかして、よくランチに誘ってきます。

昨日も父がゴルフに出かけたので「忘年会ランチでもしよう」と誘われ、琵琶湖のほとりのミア アルベルゴで今年の慰労会(?)をしました。

 

 

地元の野菜を使ったお料理を堪能。

車で行ったので、残念ながら私は飲めませんでしたが、母はスパークリングワインを楽しんでいました。



 

子どもが成長すると、それに応じてその年頃の自分を思い出すものですね。そして、ジェネレーションギャップや置かれた環境の違いに(もちろん性格の違いにも)思いを馳せるのです。

 

子どもの小学校時代にお世話になった先生から言われた言葉。「親ができること、それは自分がしてもらってうれしかったことは子どもにしてやり、嫌だったことはしないようにすること」。心がけてはいても、難しい場合もありますね。その先生の場合も、自分は親が共働きで忙しくて寂しかったから、子どもにそういう思いはさせたくなかったのに、実際には奥様も先生なので完全に共働きで、結局同じ状況だと言われていました。

 

私もできるだけそのことを心がけてきたつもりです。ただ、自分が親にしてもらったことはわりと当たり前みたいな感じで忘れているのに、してもらえなかったことは覚えているものですね。そしてどうしてもそちらに重点を置いてしまったりして。私の場合は、母が専業主婦で、家族が心地よく暮らせるようにしてくれていたことには感謝なのですが、父が私が大学に行くのに反対したりして、経済面で苦労(と言っていいのかどうかはわかりませんが)したことは、自分の子どもに同じ思いをさせたくないと思ったことです。まず父は「女が大学なんか行ってなんになるんだ」という考え方。私学の滑り止め受験も無理な状況だったので、国立一本と滑り止めに別日程の公立大学を受験。絶対に受かりたかったから、共通一次試験(年齢がわかりますね(笑))で、過去にその点数以上を取った人は全員合格しているという点数を目標にして試験に臨みました。1000点満点で850点以上を目指していて、実際の点数は853点。これなら受かる、とある程度の自信を持って二次試験に臨み、何とか滑り込みました。

受験勉強の仕方は、塾や予備校なんて行けないから、母に頼んで父に内緒で予備校と同じ内容の教材(数十万円はしたと思います)を買ってもらい、自宅で勉強。その教材の元は取ったと思っています。

さて、大学は家から通えるところで、と思って選んだのですが、同じ府内でも南部から北部への通学は片道2時間はかかり、ヘトヘトでした。3回生になると、午前中は講義、午後は実習(実験)となり、終電に間に合わなくなることもしばしば。どうしても下宿しなければやっていけなくなったので、また親に頭を下げて下宿をしぶしぶ許可してもらいました。ただし、その下宿先は父親が勤めていた会社の独身寮。築ウン十年の木造2階建てでトイレやお風呂は共同。家賃は月1万円くらいだったかなあ。毎月家賃込みで3万円を親からもらって生活していました。

その寮でしばらくがんばっていましたが、部屋にトカゲは出るわ、古くて床が傾いているわ、夜はネズミが天井を走り回る音で眠れないわで、2年くらい経過した時点でもう限界と思って、引っ越しを検討。家賃月3万円の、ほんとに狭いけど新築のワンルームマンションに移ったのです。その頃はすでに大学院に進学していて、大学院への進学だけでも父に反対されたのに、これ以上親に負担はかけられず、仕送りは月3万円のまま。家庭教師のアルバイトで残りの生活費をカバーしました。

 

なんだか大げさに苦労(?)話をしてしまいましたが、昨日なつかしく思い出したことはそういう自分の苦労(と言っていいのか)ではなく、学生時代のアルバイトのこと。母のつてで、大学時代の6年間、実家近くのお宅で家庭教師をしていたのですが、そこが地元の名士のお宅でお金持ちだったから、おいしい思いをいっぱいさせてもらいました。まず、お父さんが車で送迎してくれます。そして勉強を始めて1時間たったらおやつにケーキなどが出され、計2時間で終了。親御さんは「がっついて」いなくて、「家庭教師の先生に勉強を見てもらっている」という状況に安心されており、成績アップのプレッシャーなどは皆無。毎週2時間勉強を教えて、月2万円のお月謝。お歳暮シーズンには金のネックレスなどのアクセサリーをもらったり、帰り道にお土産(たこ焼き)を買ってもらったりもしました。最初の生徒さんが無事に私学の付属高校に進学した後は、その妹さんを教えたり、隣に住んでいる親戚のお嬢さんを教えたりして、ず〜っとお世話になっていました。下宿の近くでも家庭教師のアルバイトをしていましたが、そちらでも大変よくしていただきました。そういう「楽して稼げる」状況にあったから、私も人並みに大学生活を楽しむことができたのです。派手なことは無理だったけど、車の免許も取ったし、スキーや旅行にも行きました。なにより、あの大学で6年間過ごしたことが、今の自分の基盤になっていますし。

 

お金は上から下に流れていくんだなと感じました。私には勉強ができるという長所(たいしたことはありませんが)しかなかったけど、その長所を活かし、お金がたっぷりある人たちからお金を流してもらった。それを受け取っているとき、自分まで豊かな気持ちでした。

昨日、母から知り合いの娘さんの話を聞いたのですが、その娘さんは私がここ数年メインでやっている仕事のソースクライアントである某製薬会社にお勤めだそうで、例の新薬に少しばかり関わっていたという理由で、産休中なのにボーナスをもらったとのことでした。そりゃあそうだよね、と思いながら、そのお金の流れは私にも来ている、と感じました。その製薬会社は潤っているから、翻訳の外注も多いのでしょう。そして私の仕事も多くなるのです。ああ、ありがたい。どんどんそれを受け取らせていただこうと思います。

 

自分自身にはもともと何もなくても、スキルを上げ、チャンスをつかむと、流れの中に入っていけるのですね。そして周りにいる素晴らしい先生や先輩、仲間の力も借りながらどんどん自分を高めていったらよいのだと思うのです。そして、できることなら、私もいつかは誰かのお役にたちたい。流れを止めず、自分も流していきたい、そう感じました。

 

 

 

 

 

どうでもいいけど

  • 2016.11.09 Wednesday
  • 15:36

今日のどうでもいいつぶやき

 

ひどいわ、役作りのためにちゃんと黒くしてから監督に会いにいったら「変わっていく役だから最初はチャラくして」と言われたので「またわざわざ」染め直したというのに。。。A紙のライターにあんな風に言われるなんて。。。

 

だいたい、批判する人とか人の悪口を言う人って内実を何も知らないでわかったようなことを言って自分が上にたった気になっているけど、その心ない一言にどんなに傷つけられている人がいるか。。。そういう想像力には欠けている。

 

楽しめている人、仲良くやっている人を妬んでいるふうにしか見えないねって、本当はみんな思っているんだよ。優しいから言わないだけでね。

 

 

 

 

 

 

ガツンときたフレーズ

  • 2016.11.07 Monday
  • 14:01

目に映るすべてが

 

嫌いで

 

それ以上に

 

自分が嫌いで

 

 

CMから耳に飛び込んできたこのフレーズ。

ああでも、そう言っている(CMのなかの)高校生はまだいいよ。

 

「目に映るすべてが嫌い」で終わっている大人がいるから。

「それ以上に自分が嫌い」なんて自覚はない。いや、自覚したら生きていくのがつらすぎるんだね。

 

逆にしてみようよ。

 

自分が好き

 

そして周りも好き

 

に。

 

許してあげよう、まず自分を。十分にがんばってきたじゃない。がんばっているじゃない。

不器用だけど、本当は悪魔の心なんかない。ただただ悲しかっただけ。寂しかっただけ。苦しかっただけ。

そんな自分を許そうよ。

 

自分を好きになったら、周りのことも好きになるから。

 

 

 

 

 

 

「ケ」でも幸せ

  • 2016.11.02 Wednesday
  • 19:04

用事で近くまで行くから、と立ち寄ってくれたお友だちとうちでお茶しました。ちょうど夫が昨日東京で買ってきた満願堂のきんつばがあったので、お茶うけにして。

 

「久しぶりだよね」と言われたけど全然そんな感じがしなかったんです。でも実はこないだ一緒にランチに行ってから1ヵ月はたっていたみたいで、「月日がたつのは早いよね」なんて話していました。

 

10月は一体なにをしていたのだろう、と振り返ると、仕事がらみのセミナー以外、特筆すべきことは何もなく。

 

それって悲しいことなのかな?

退屈な日常の連続なんて意味がない、めちゃくちゃ楽しい体験や思い出に残ることがない生活なんて生きているって言えない、なんて意見がありますよね。

でも本当にそうなのかな?

 

私にしてみれば毎日好きな仕事をやって、家のこともできるだけ整えて、満足できる夕食を作ってという生活こそが、生きている実感なんだけどなあ。つまりどこにも出かけなくても、びっくりするような外食をしなくても、日々の生活だけで満足できている。

「ハレとケ」の「ハレ」だけを追求して「ケ」がおろそかになったら、「ケ」の時間は「ハレ」を待っているだけの時間、あるいは「ハレ」の思い出にひたるだけの時間になってしまうかもしれない。

「ハレ」はもちろん大切だけど、本当に大切にしたいのは「ケ」の部分なのですよね。

 

1日のうちで大半を占める仕事の時間、それをいやいややっていたとしたのなら、その時間は大げさに言えば死んでいるに近いと思うのです。ああ、早く終わってあれしたい、ああもうやりたくない、できるだけ短時間にしたい、と。

そういう時間の使い方だと、いくら「ハレ」があったって、「ケ」の部分の退屈さを「ハレ」が凌ぐことはないような気がします。

もともと西洋には労働を懲罰だととらえる風習があり、労働問題を論じる場合に懲罰から逃れることだけを考えているところがありますが、農耕民族の日本人はそれとはちょっと違うのですよね。直接収入を得る仕事だけではなく「はたらく」ということを尊いものととらえている。神様に使える作業だと。

 

だから最近の私は翻訳の仕事も家族のための家事もわりと同じテンションでやるようにしていて、自分が納得できるようにある程度手間暇かけています。そのほうがやっている時間が楽しいから。逃れようとはしていないんです。まあつい最近まで家事労働から逃れようとしていましたが、それは無理だし、なんとなく自然ではない気がして。

とにかく起きている間のすべての作業は「ケ」なんだけど、とっても心を込めていて、自分なりに工夫しているので、それをやっているだけでわりと楽しいのですよね。

 

人に自慢して話せるようなトピックは何もないかもしれないけど、毎日の一瞬一瞬が「好き」って感じなのです。快適な環境でサクサク仕事し、自分が納得できるようじっくり取り組む。家のことも完璧ではないにしろ、できるだけ自分が「好き」って思えるようにいろんなことを整える。

そういう毎日があえて言うとしたら「幸せ」なんだなあ。

 

まあ一番大きいのは「好きなことを仕事にした」ということですね。これさえクリアできていれば、「ハレ」がなくても日々満足できますね。

「くっつく」なんてもう言えない

  • 2016.11.01 Tuesday
  • 09:05

蜷川実花さん、ありがとう!あんなに素敵に撮ってくれるなんて。

「一番を目指す」なんて言葉は確かに、自信も野心も内に秘めることが「美徳」とされるこの国では言えないですよね。

「悔しかった」「一番にならないと意味がない」「許せない」「必死」などの言葉が出るのは、本当に努力してきたからだと思います。そういうところが一番の魅力。自分もがんばろうと思えるから。

 

学生時代に私のことを「がんばりちゃん、って呼んでるねん」と言ってきた仲間。どう考えてもいい意味には取れなかったけど、もうそんなのは慣れっこだったから、気にしなかった。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」をいつもいつも母から言い聞かされ、「出る杭は打たれる」は身をもって体験した(人生の途中からは開き直って、「出過ぎる杭は打たれない」を座右の銘としていますが)。

でもね、学生時代のその仲間、今は周りから「がんばりすぎって言われてるねん」と年賀状で報告してくれた。

そうじゃん、みんな実はそうでしょ。でもそれを出すのが恥ずかしいんだよね、この国だと。特に、がんばっているのを見せて、結果が出なかったら恥ずかしいんだね。それだったら「私はがんばっていません、適当にやっているだけなんです。で、こんな結果ですけど全然気にしてません」てな態度を取っているほうがプライドが許せるのかな。

 

 

話は変わりますが、今年のノーベル生理学・医学賞は、本庶先生が取るかなあと思っていました。新聞や雑誌(上述の雑誌にも載っていましたねえ)にまで取り上げられるようになったあの薬。今、仕事の半分以上がそれがらみ。がん領域ではその薬剤以外の抗体薬も花盛りで、私の抱えている3件もすべてそれ。細胞生理学を専攻していた身としては、作用機序がおもしろくて仕方がない。ああ、やっとここまで来たのかあと技術の進歩に思いを馳せて。

そうそう、その本庶先生の研究が少し前に新聞の科学欄で紹介されていたのですが、読んでびっくりしてしまいました。それは、AとBが「くっつく」という表現。確か抗原と抗体が結合するということだったと思うのですが、一般向けには「くっつく」と表現するのですね。もう自分の引出しからなくなってしまっている表現です。つまり、「くっつく」なんて言葉、もう書けない。「結合する」としかね。これはある意味職業病ですね。夫にその記事を見せて感想を述べたら「そりゃそうだよ。僕らだってPMDA(役所)に出す書類と患者さん向け文書とでは表現を使い分けていて、患者さんには「治る」なんて言葉も使う場合があるし」と言っていました。そこが難しいところで、私の仕事でも、一般向けの文書では平易で一般的な表現を使わなければならないのですよね。別の引出しを用意しておかなければなかなか使い分けは難しい。こないだもお友だちに「許容」なんて言葉を使ってしまった。。。「許してくれるかなと思って」とすぐに言い直しましたが(笑)気分はほぼバイリンガルです。

 

 

「許容」してくれるお友だちからいただいたお菓子とチョコの新製品。秋の夜長にNespressoでカフェインレスコーヒーを淹れて、お菓子とともにホッと一息。

 

 

週末、夫が作ってくれた天丼。こんな夫に「帰りにA○○A買ってきて」、なんて頼む妻はいつまで「許容」してもらえるかしら。

 

 

 

本当のトータル志向

  • 2016.10.23 Sunday
  • 06:53

庭のキンモクセイが満開で、甘い香りが2階の仕事部屋まで漂ってきます。

 

 

仕事のスケジュールに余裕をもたせるよう心がけるようになってから、泣く泣く仕事を断っています。この週末も原語で1500ワード程度の案件を打診されましたが、お断りしました。手持ちの案件だけで十分だと思えるし、来週はTradosのセミナーに参加するのでスケジュールに余裕をもたせておきたいし。これを受けたら家族で焼肉食べにいけるなあ、なんてことも頭をよぎるのですが、焼肉代を稼ぐだけが私の役割ではないですよね。

 

昨日は仕事の合間にクッキーを焼きました。ココア入りとフルーツ漬け入り。ステラおばさんのクッキー風(笑)

見た目はイマイチだけど、娘たちには好評で、次女は今日の部活の試合に持っていきました。今朝ニコニコしながら、開口一番「おはよう、クッキー持っていっていい?」と聞いてきた娘。たった1人の笑顔が見られたらそれでいい、ということもあるのですね。

 

自己実現をあきらめたわけではないのだけど、自分の役割というものも楽しみつつ果たしたい。

先日、仕事でのトータル志向をやめたと書きましたが、その分生活全体をトータルで考えるようにしています。

昨日は夫が出張中で娘たちと3人の夕食だから、近所に食べに行くかぁ、とも思いましたが、結局手作り。料理は嫌いではないので。

アサリのトマトソーススパゲッティ、ほうれん草とベーコン炒め、マグロのカルパッチョを作りました。

 

 

数日前、楽天のスーパーセールで、以前から目をつけていた超人気お菓子「バニラビーンズのショーコラ」を買いかけて、ポチる手を止めました。そう言えば、夫の出張先が横浜のみなとみらいじゃなかったっけ。よし、実店舗で買ってきてもらおう。

ということで、お土産にショーコラとパリトロを。

 

 

お店はとてもオシャレで、主に女性客で賑わっていたそうです。

濃厚なチョコレートがたまらないおいしさ。

みなとみらいに行った時のお土産はこれにきまりですね。

 

ちなみにこちらも夫のお土産。学会でもらったらしいです。


今年のJSCOのテーマカラーは紫?

 

 

主婦業だけでは満足できない自分というのはわかっているのだけど、自分も含めた家族の生活が少しでも快適になるようにしたいな、という気持ちもあって。

ある試算では専業主婦の年収は約300万円、兼業主婦だと200万円超となるそうです。たとえ300万円足しても夫には追いつかない(どころか、夫は週末料理を作ってくれるので、その分の夫の家事労働代を考慮しなければならない)、なんてことを考え出すとまた仕事人間になってしまうので、数字にとらわれすぎるのはやめたいなと思います。数字の方が単純に楽しかったりするのだけどね。何も考えずに突っ走れるのだけどね。

でも、だいたい夫と張り合うこと自体、なんだか虚しい。「自立」こそが大切で素晴らしいこと、と思い込んでいると、自分ひとりだけの能力をすべてにおいて高めよう、高めようとしてしまうのですね。

本当はこの社会で生きていくのに、一人ひとりはデコボコがあってもいいし、それを互いに補っていくことが自然なことなのかもしれないのに。例えば、みんなが英語ができれば私の仕事もいらないわけで。自分の欠点、能力不足を補って高めることだけが一番いいことではないような気がするのです。狭いというか、閉じているというか。それよりは自分の得意なことを提供し、苦手なことは助けてもらう、その方がそれこそトータルでは価値があるのかも。自立した者同士だと1+1=2になるだけだけど、お互いに補えばそれ以上になるのではないかな。

ということで、夫はこう、私はこう、という考え方はひとまず置いておいて、2人の生み出すものは2人で享受すればいいと思うことで、気持ちが暖かくなるような気がします。そういう考え方に逃げたらいけない、と思い続けて「自立した女」を目指そうとしていたけど、なんだか今思えば大いなる勘違いだったような気もします。やっぱり人は1人では生きていけないから。どんな人もね。

 

 

 

ムフフ

  • 2016.10.17 Monday
  • 11:00

「最近、番宣いっぱい出てるから幸せでしょ」とお友だちからLINEが。

子どもたちもツイッターでの情報や写真をいつもチェックしては送ってくれます。

昨日は長女が模試の帰りに「a○a○」を買ってきてくれました。

 

みんな、ありがとね〜!

今日は日中仕事がんばるぞ〜!

 

最高にハッピーな翻訳者

  • 2016.10.16 Sunday
  • 17:35

少し前、久しぶりにスケジュールに余裕があった週があり、心ゆくまでダラダラしながら、いろんなことを考えていました。

ちょうどいろんな人に会っていたこともあり、そこで感じたことも含めてじっくりと自分の気持を整理していたのです。

 

この夏は仕事に狂っていました。なんとなく今の2倍は仕事できるかも、と思っていたことを実行に移してみたのです。

やれました、実際に。でもいろんなところに無理があったなあと思うのです。

成果的には満足ですが、そのための毎日はまるで綱渡り。家の中のことが滞るし、仕事と最低限の家事以外はほぼ何もできない状態だったし、「私って仕事できる!」という高揚感以外の満足感はなかったような気がするのです。

 

でもね、1回やってみたかったんですよ。本当に今の2倍できるのかって。やれました、やってみたから納得できました。

やれたけど、今の自分にとってのそれは、他のことをおざなりにしなければできない仕事量だということもわかりました。

 

私はなんでも「だれかができるなら私にだってできるはず」と思ってしまうタチです。

「彼も人なり。我も人なり」ってやつですね。

そして、「すべての分野で」最高峰を目指していました。100点を取りたかったのです。いや、1番になりたかったのです。

それができないなんてくやしくて無理、と思い、必死にやってきました。

 

でも、いろんな人といろんな話をして気づいたのが、人それぞれの状況のなかでやれることというのはまた人それぞれで、決してすべてにパーフェクトな人なんていない、ということです。

仕事ぶりもスーパー、子どもも複数いてちゃんと自分で育てている、家の中のことも完璧、自由時間も充実していていつもゆったりとした余裕の雰囲気を醸し出している、なんて人はいないのですね。白状すると、私はそうなりたかったのですが。

一つひとつの分野に長けている人はいるけど、すべてが完璧な人なんていない。

そして自分もすべてに完璧になんてなれない。

そのことにやっと気づいたのですね。

 

そして、自分の置かれた立場というものが、実はとても恵まれたものだということに気づきました。それに気づいたきっかけは、2つの全く異なる集まりでの会話でした。ある日の同業者との集まりでは、ご主人が早期退職された方が2人もいて、それはそれでご主人は幸せだよね(夫婦2人で年間800万円稼げば十分で、それ以上の収入は幸せには直結しないという話も出ました)という話になったかと思うと、次の日に出席した高校の部活の同窓会では「旦那には、石にかじりついてでも定年まで働いてもらう、そうでないと子どもたちの教育費が無理」という意見が大半で、夫の早期退職なんてありえない状況の家庭がほとんどだったのです。ああ、こんなにも違うのだ、と男性のことを思うにつれ、逆に自分は女性として「一家の大黒柱」になっていない立場が恵まれているのだなとも思ったのです。このブログをこれまで読んでくださっている方で誤解なさる人はいないとは思いますが、決して仕事を適当にしてもよい、という意味ではありません。ただ、「好きな仕事を好きなようにする」という自由度が、例えば一家の大黒柱の男性よりはあることは間違いなく、それは本当に恵まれたことなのだなあと思ったのです。

 

だから、家事の負担が自分だけ重いとか、その他もろもろのマイナス面に目を向けるのではなく、自分の恵まれている状況に感謝して、もっともっと幸せに仕事したいと思ったのです。

 

具体的には、トータル志向をやめました。1ヵ月でいくら売り上げるとかそういうことをあまり考えすぎず、今この案件を気持ちよく仕上げる。そこでは100点、いやできればそれ以上を目指す。そういう仕事のやり方に変えていこうとしています。本当に幸いなことに、目先の利益だけにとらわれずに仕事をしてもよい立場なのだから、「ハッピーに仕事をする」ということだけを目標にしたいなと思うのです。

 

実際の見た目には何も変わりません。でも仕事最優先ではなく、少し家の中のことにも気を配ったり、休憩したりしています。仕事のやり方も今までよりは「じっくりと、納得のいくように」やっています。それで案件ごとの納期にさえ間に合えば、先方に迷惑をかけることはありませんから。そうやっていくうちに自分の中の満足感が膨らんでいくのがわかりました。一瞬一瞬を納得して過ごすという感じかな。急き立てられ、追い詰められる感じではなく。

 

 

 

3連休に出かけた伊賀上野城(本文とは全く関係がありません(笑))。

 


 

 

 

今日から治験翻訳講座の和訳実践講座が始まりました。

「もとを取ろう」みたいに考えるのではなく、楽しんで受講しています。もとは取ろうと思って取るものではなく、勝手に取れることでしょうから。

 

お決まりの講座の後のランチ。

 

 

甘いのかもしれない。そんな理想なんて現実ありえない、主婦が趣味でやっているというマインドで仕事されたら困る、とおしかりを受けるのかもしれない(誰から?)。

でも、私が置かれたこの状況での「最高にハッピーな翻訳者」を目指していこうと思います。

有用情報はありません。あらかじめご了承くださいませ。

  • 2016.05.20 Friday
  • 17:18
週末にたっぷり遊んだら、やっぱり楽しくて、もっと遊びたいと思ってしまう。。。
あれ、仕事が大好きなんじゃなかったっけ?
うん、好きなんだけど、遊ぶのもやっぱり好きだね。
特にこんな気持のいい季節には、一日中机の前に座っていると夕方頃叫びだしたくなる。

ああ、これが自然なのかな。

決して無理して仕事中毒になったつもりはないのだけど、仕事以外のこともまたやりたいなあと強く思う。

家のこと、庭やインテリアを整えて、心地良い空間を作り出したい。
料理は最近でこそ「つくおき」生活でかなり充実している(もともと好きだし必要なことだからこれは真っ先に元に戻した)が少し前はひどかった。

そして、外の空気を吸って、きれいなものを見て、自然に触れ、お友だちとおしゃべりして楽しみたい。

ごく普通の欲求。

たぶん、私はこういう欲求にしばらく蓋をしていたんだね。

一番欲しい物を手に入れるために。

そしてそれが手に入った今、また他の欲求にも目を向けようと思う。
ああ、それがすべて手に入ったら完璧に近い。
あくまでも自分にとっての理想だけど。

人間の欲求には限りがない。でも、欲求を満たそうと動いている時が私は一番楽しい。
その前に「現状を把握する」というつらい作業が待っているけど。
自分は今、何がいやな状態なのか。目を背けずに問いかける。
実はあれもこれもイライラする原因だったりする。
そしてそれを解決するなんて無理無理と、はなからあきらめている自分がいたりする。

よ〜く問いかけて。本当はどうしたいのか、どういう状態だとハッピーなのか。
そこからしか変化は始まらない。

そんなこんなで今週は「最近珍しく」、ジムでエアロビクスをしたり、朝からキッチンや浴室を磨いたり、部屋中の洗えるものを洗って、ファブリック類を秋冬仕様から春夏仕様に変えたりした。
ああ、こんなささいなこともできなかったね。いや、しようとしなかったね。
そろそろいいかな。仕事一筋でなくても。

言い訳のようだが、気分転換や普段とは違うことをすることが仕事に良い影響を与えるということもある。
仕事の愚痴、仕事まわりのさまざまなことに関する怒り、そういうものは、対象物と近すぎるから発生することが多い。
ちょっと離れてみようよ。はっきりいって自分の生活にとってはどうでもいいことだったりするから。
そんなことにクヨクヨ/イライラする時間があれば、素敵な花でも眺めてみよう。おいしいケーキでも食べてみよう。お友だちと楽しい話をいっぱいしよう。

ハッピーな翻訳者になるためには、「ハッピーな翻訳者になろう」と決めるだけでOK。
ただ、それが本当の自分の望みではない場合は、無意識のうちにそうはなれないもの。
愚痴っぽい翻訳者なのは自分がそうなりたいから。怒りっぽい翻訳者なのは自分がそうなりたいから。自信のない翻訳者なのは自分がそうなりたいから。あっ、「翻訳者」には何をいれてもあてはまる。母とか妻とか女とか人間とか、なんでも。

本当はどうなりたいのか。

簡単なようで難しい問いかけを何度も何度もする必要がある。
その楽しいようなつらいような作業を繰り返さなければ、「変わりたい」という言葉は永遠に口先だけのものになる(というよりは実は変わりたくなんてなかったりする)。

思いきって、ひとつ始めてみよう。ハッピーな○○になるための具体的な行動を。





 

斧を研ぐ

  • 2016.02.02 Tuesday
  • 12:10
「木こりのジレンマ」という言葉をご存知でしょうか?木を切るのに忙しい木こりの斧の歯がぼろぼろになって、能率が落ちているのを見た仲間が「なぜ斧を研がないのか」と尋ねたところ、木こりは「そんな暇があったら木を切り倒さないと」と答えたという話。これって、本当に陥りやすい状態ですね。仕事に追われ、目先のことで精いっぱい。空いた時間はとにかく仕事を進めなきゃと、がむしゃらに手を動かしている状態。効率化?わかっちゃいるけどそんなことに取り組む時間はない。作業の見直し?そんな暇はない。取引先の見直し/交渉?そういうのはこの仕事が終わってから。な〜んて言っているとその時間は一生やってこないのです。

最近、仕事の詰め込みすぎでさまざまなところに弊害が及んでいる状態であるという現実を直視した私は、時間の確保を最優先事項に掲げることにしました。時間さえ確保すれば自分が抱えているさまざまな課題に多角的に取り組むことができるのです。そういうことを考えることができるのです。実はもともと私は考えずに走っている方が楽なタイプ。走るのはわりと得意だと思います。でもその方向が間違っていたら?走らず車で行った方が早かったり楽だったりする場合は?走っていた自分という自己満足は、後から襲ってくる後悔に必ず負けてしまいます(私の場合)。だから定期的に自分の立ち位置をチェックして、これからどういう方向にどうやって進もうかと考える時間が必要なのです。

仕事の詰め込みによる弊害とは、私の場合、ほかのいろんなことがおざなりになっていることによるストレス。例えば運動する時間がない、家の中が片付いていない、料理が手抜き、などなど。それ以外にも、とにかくぼーっとする時間がない、趣味を始める余裕がない、楽しみのためだけの本を読む気力がない、究極的には忙しすぎて身体がしんどい、などなど。このようなことは問題ではないフリをしていたけど、わりと自分にとっては大きな問題だなと最近気づいたのです。

時間が欲しい、でも仕事はこなしたい、その欲求をどうやって満たすか。例のベイビーステップ(過去記事はこちら→)を自分に課して1つひとつ実行しています。仕事面での具体的なステップについてはまた改めてお伝えしますね。

今少し時間的に余裕があるので、仕事以外にもベイビーステップを課して動いています。ほんのささいなことですが、今朝は玄関の花壇の花苗を植え替えました。そのために、日曜日にあらかじめ苗を買っておきました。日曜日にそういうことができることすら久しぶりで、本当に仕事が忙しかったんだなあと実感しています。

大きすぎる目標は単なる夢物語と同じだと思うので、まずは少し工夫すればなんとかなるところに目標を置きたいと思います。週末は一切仕事せず、夕食後もしない、というのは私の現状では夢なので、まずは週末のどちらかの日はパソコンを開けない、という目標をたてました。これなら何とかなりそう、というステップを目指すのがポイント。でもきちんと目標に掲げていないとつい仕事しちゃう自分がわかっているので、目標にしてみました。こんな感じで無理のない小さな目標をいろんなジャンルで立てていこうと思っています。

それにしても一番大切なのはこういうことを考える時間ですね。

走っていれば楽なんだけど、自分にとって最良の方向や方法を教えてくれる人はだれもいません。

自分ととことん対話するしかないのです。



 

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