「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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スマートウォッチが大好き

(今日のムフフ)

娘からのプレゼント。鶴橋で買ってきてくれた特大ポスター。仕事部屋の壁に飾り、横を向けば目が合う状態にした。最高 of 最高!

でもね、R様がUSJに行ったときの映像も本当に良かった!私の中での真のナンバーワンイケメンはどちらなのだろう。悩むなあ。

 

 

 

昨年、試しにおもちゃのようなスマートウォッチを手に入れたところ、これが本当に便利で。

 

同じではないけど、Xiaomiのこんな感じ(↓)のもの(→

 

何が便利って、LINEなどが入ったら振動で教えてくれるから、すぐにわかる!特に外で人と連絡を取り合っているときに超便利!

これを使い始めたら今までの時計が使えなくなってしまって、いつもこればかり着けるようにになっていました。

テニスのときなどはこれで十分なんだけど、普段の格好にも合うものが欲しくなり、先日、HUAWEIのGT 3(→)を購入しました。

 

 

 

文字盤がいろいろ変えられるのが可愛いですね。毎日その日の気分と服装に合わせて変えています。

 

 

これ(↑)はフォントが気に入って。結構フォントフェチだったりします。文字が好きなんですね。特に数字と英字が。

 

夫がアップルウォッチを持っていて(娘が就職したときにプレゼントしたもの)、iPhoneユーザーの私もアップルウォッチかなあとも思うのだけど(娘からはお母さんもアップルウォッチがいい?と聞かれた)、とりあえず機能的にこれで十分。Hey Siriができないのが少々不便かなあ。アップルウォッチだとできるからね。

最終的には私もアップルウォッチかなぁ。自分が使いたい機能と、コスパや見た目などで総合的に判断しようと思います。

 

 

年末になり、いろいろと書こうと思ったのだけど、スマートウォッチのことだけになってしまいました。

まだ、仕事していま〜す!ワオ!年明け案件の前倒しだからやらなくてもいいのだけど、お正月をはさむと絶対ゆるゆる気分になってしまうからね。

 

あと少し、PCの前に座ることになりそうなので、もう一度ブログもアップできればいいなと思います。

 

 

「萌え断」など

最近買ってよかったもの。

 

エレクトリックナイフ

 

 

基本的に毎朝のパンはパン焼き機で焼いているのですが、それを普通のナイフ(一応パン切り用)でうまく切るのが難しくて。

この電動ナイフだと薄く切るのも簡単です。

 

 

スイーツを切り分けるのにも使えます。写真がうまくアップロードできなくてわかりにくいのですが、タルトやドーナツもきれいに切れます。こういうナイフできれいに切ったカラフルな断面のことを「萌え断」って言うんですって。

 

 

パンを切るだけでもいいやと思って買いましたが、いろいろ使えます。大きめに調理した肉を薄く切ったりね。

 

その流れで、

最近読んでよかった本。

 

コウケンテツさんの『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ

 

[コウケンテツ]の本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ

 

コウケンテツさんにはYoutubeのお料理解説(→)でもお世話になっていて。

いつも動画を見ながら夕飯作っています。

何がいいって、「作る人への」優しさあふれるコウケンテツさんのお人柄。

 

「副菜は5分で作れば十分」

「ブラウン is ビューティフル(肉料理に添え物はなし)」

「チキンは裏切らない」

 

などの名言が心にしみます。

 

そして、この本ですが、どうして彼がこのような優しさあふれるコメントを言うようになったのか。

大好きだった料理がつらくなるほど、しんどくなってしまったのはなぜか。

そのあたりのことが書かれています。涙なしには読めないです。

 

世のお母さん(お父さん)、主婦(主夫)と言われる人、家族のごはん作りを担当している人、本当にお疲れ様です。

もっともっと褒められていい。もっともっといたわられていいんです。

それくらい大変な仕事ですよ。毎日のごはん作り(とか家事全般)。

でもね、たぶん家族からはそれほど褒め言葉やねぎらいの言葉はなく。

聞く言葉は文句だったり。

やりきれないですよね。

コウケンテツさんがやってみて初めてわかった「仕事と家庭の両立の大変さ」。

やったからこそ、人の痛みがわかるんですね。

ほんとは家族から聞きたい言葉、そして家族に言いたい言葉を、彼がいっぱい言ってくれています。

癒やされますよ〜。元気が出ますよ〜。

そして、「まあ、これで十分だよね」って自分を認められる。

だって、コウケンテツさんでさえ、「一汁一菜」すら無理になった夜がある。

わかる、わかりすぎる。

仕事だけならどんなに楽なことか。

だれか全部家事やって〜。私に仕事だけさせてよ〜って何度思ったことか。

 

 

まあ、でもね、もしそうなったら私はワークホリックになって、健康を損なうことでしょう。

座りっぱなしの仕事だからね。身体は全然使わないので。

仕事仲間がスタンディングデスクを導入して、すごくいいよと勧めてくれて、もちろんそれはそれでいいし、私も買いたいなと思ってるけど、そもそも論として、仕事の時間を減らしていきたい。

1日マックス5時間かなと思ってます。それ以上やると、家のことや身体に支障が出てきます。

そして、年齢を重ねるとともに、時間は減らしていきたいです。

とりあえず、今は取引先からのご要望には応えられるだけの余裕があるけど、いつまで仕事できるのかな。

まあ、取引先を欲張らなければずっとやれる気がします。

最近、一社からスカウトがありましたが、忙しいので、保留状態。

ただ、どの会社と取引するのがいいのかは、そのときによって変わるので、ゼロイチ思考はやめています。

あるときすごくお世話になった会社も時の流れで疎遠になったり。その逆もありますし。

フリーランスの良さは、その時々で取引先を自分で選べることにありますね。

そして、捨てる神あれば拾う神あり。

星の数ほど男はいる、と同じです。これを言ったとき、同業者みんなが爆笑していたけど、私は本気でそう思っていますから。

「彼だけが男じゃないことに気づいて〜」って竹内まりやさんじゃないけど、本当にそう。

どこかからの評価がいまいちでも気にしすぎることはない。

これは人間関係でも同じですね。

 

 

こんなに多様化した世の中では、何が正しくて何が悪いって一概には言えない。

だから、私はこれが好き、私はこうしたい、でいいんじゃないかな。

年代によっても価値観はさまざまだしね。私は子どもたちから学ぶことも多いです。

ああ、今はこういう考え方なんだねって、いったん受け入れています。こっちが絶対正しいとは言えないから。

 

 

まだまだ自分の価値観で物事を測ってしまうことが多いけど、そういう思いを手放せば、もっと軽やかになれそう。

例えば親世代のものの取り込み。捨てたらいいのに、って思うけど、世代によっても環境によっても考え方はさまざま。

とりあえずさらっと現場(親世代の家)で「レシピ本や辞書はスマホがあればもういらないから、私はほとんど捨てましたよ」と言うには言ってみたけど、あくまでもそれは私の価値観。

私自身は、最近ほとんどの紙の辞書や専門書を処分しました。

仕事の辞書は電子だし、専門書は内容がもう古い。

昔は書棚にずらっと辞書やら専門書やらが並んでいるところで仕事している翻訳者がかっこよく見えて、憧れていたけど、今では「私はこのPC1台(モニターは2つかな)で仕事しています」って、なんにもない超シンプルな部屋で言ってみたい。

仕事部屋改革が次の課題になりそうです。

 

 

 

 

自己満足

ほんと、スミマセン、ご無沙汰で。

 

といっても一体どのようなお方がこのブログをチェックしてくださっているのかがわからないのですが、ありがたいことに、毎日結構な数のアクセスがあるんです。ああ、書きたいなといつも思うのですが。。。

 

とりあえず、仕事、忙しいです。

仲良しの翻訳仲間も、コロナで焦って取引先増やして、その結果、今が忙しすぎる、と言っています。

土日フルで休めるときが少ないですね、最近は。

そして、仕事が終わるとすぐにPCから離れたくなるタチなので、なかなかブログにまでたどり着けず。。。

 

オンライン授業の娘が家にいるし、一人で好きに過ごす時間はほぼないです。

この状況だからだと思いますが、娘たちも仕方なく(笑)、私と遊んでいます。

といっても家で「推し」の動画を一緒に見たり、スタバをテイクアウトして楽しんだり、その程度ですが。

 

コロナの前とは本当にいろんなことが変わったなと思います。

外に行きづらい、人に会いづらい、そういう状況では、自分を見つめ直すしかなく。

そんな中で、「人から良く思われたい」という気持ちが本当に薄れてきて。

何もかもが、「自己満足」できるかどうかを基準にするようになりました。

 

なので、インスタはもちろんのこと、ブログでの発信さえも、「これって本当にやりたいのかな」とすぐに考えてしまって。

誰が見てなくてもやりたいのかなと。

 

そんなわけで、最近は「自己満足」を追求しています。

部屋を整えたり、心地よい服装をしたり。

 

コロナでも比較的安心して遊べる場所として、習い事を増やしました。

テニススクールに通い始めたことは、前に書きましたね。

昔やっていたとはいえ、最初はついていけるか不安だったけど、クラスには結構シニアの方もいらっしゃって、楽しくやっています。

習い始めて3年半のウクレレも、ヤマハの完全コロナ仕様の教室で楽しんでいます。

前みたいに、終わった後にお茶したりはなかなかできないけど、ちょっとみんなと話すだけでかなり気分転換になります。

 

友だちとちょこちょこランチに行ったり、みんなで山に行ったり、大きな旅行をしたり、都会をぶらぶらしたりすることは減ったけど、まあまあ機嫌よく過ごしています。

 

翻訳の仕事の方は、自分的には満足していて、こちらもほぼ機嫌よく(そりゃあ、仕事だからいろいろあるけど)。

私は翻訳を数ある仕事のうちの一つとしてしかとらえていません。そして、自分に合った仕事だなと思っています。

最初の目標が、「パート薬剤師の時給よりも高い時給」だったのですが、これはらくらくクリアできていますね。

なぜ、薬剤師なのか?それは、自分が薬学部ではなく理学部生物学科に行った意義を自分なりに求めたかったから。

こんなことなら薬学部に行っておけばよかったと思いたくない、という完全に自分の中での意地。

最近は時給が○万円を超えることもあり、お仲間に聞くと、そういうときもあるよ、とのことでした。

まだまだ子どもにお金がかかるし、これからの人生を楽しく過ごすためにも、仕事としての翻訳業を持続可能なやり方で続けていきたいですね。

 

書き出すと、止まらなくなりますね。

でも、仕事に戻ります。

また、他のことも書きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

気がつけば

(今日のムフフ)

2021年の世界一のイケメンにT様が選ばれたわ!誰が選んでいるのか、複数の筋があってよくわからないけど、結果にはもちろん納得ですよ。でも配信ライブで久しぶりに観たR様もやはり良かったわ。やっぱり日本語、ほっとするしね。

 

 

放置しすぎました、ブログ。気がつけば前回の更新から数ヶ月たっていました。ブログだけでなく、インスタグラムもほぼやっておらず。インスタを始めてから、以前ならブログに載せていた日常の細かいことはインスタにアップするようになっていたのだけど、この状況で、どこそこに遊びにいってランチしました、みたいな話題を上げるのがはばかられて。

 

それに、年が明けてからなんせ忙しくて。仕事、用事、確定申告。オンライン授業の子どもたちは家にいるしね。一人になる時間がほとんどない状況。

 

というわけでほんとにご無沙汰のブログ。懲りずにチェックしてくださっていた方に感謝です。元気にしていますよ!

 

 

確定申告はギリギリに手続きを済ませました。青色申告の控除が電子申告でないと65万円にならないとのことで、今年はいよいよ電子申告にチャレンジ。これまでも電子申告しようとしていたのだけど、最後の最後でやり方がわからなくなって、結局プリントアウトしたものを税務署に持っていっていたのです(税務署が近くにあるしね)。でも、今年は電子申告で。

 

やり方ですが、まずはマイナンバーカードを取得。そして「弥生の青色申告」をオンライン版に変えました。ぱぱっとやるために本を購入。

 

 

これを見ながらやればスイスイでした。一応毎年やっているし、弥生のソフトも、オンライン版は、より使いやすくなっているし。

 

ところが、また最後の最後で問題が。マイナンバーカードのリーダーとしてiPhoneが使えない。なんじゃこりゃ〜。

ただし、これは最後まで弥生でやる場合でして、国税局のホームページからデータをアップロードすれば大丈夫でした。やれやれです。焦りました〜。

 

ギリギリのところで無事に申請が終わり、先日無事に還付されました。

はあ、忘れないうちに今年の分にも手を付けておきたいな。なんて、毎年思うのですが。。。

 

 

そういえばマイナンバーカード、家族全員取りました。マイナポイントとして期間限定の滋賀県応援ポイントも合わせてHOPマネーで6000ポイント、WAONで8000ポイント(家族で総額26000ポイント)ゲット。家にいながら申請できるし、取りに行けばいいだけなので、「5千円あげるから取り〜」と子どもたちを促し、夫も受け取りが土曜日になってしまって混んではいたものの、スムーズに取得。早速、住民票が必要となる機会があり、コンビニエンスストアで手続きできるのがとても便利だったようです。私はもちろん確定申告で使いましたしね。いろんなものがどんどん電子化されていきますね。もちろんデメリットがゼロではないだろうけど、メリットのほうが大きいと思うので、取り入れられるものは取り入れようと思っています。

 

そういう考え方は翻訳の仕事にも通じるものがあって、CATツールやMTを使うことは私はメリットのほうが大きいと思っているので、その流れにのっています。あくまでも仕事ですから、私にとっての翻訳は。効率よく品質も下げずにコンスタントにこなすことが、お客様(直接的には翻訳会社さん、最終的にはソースクライアントさん)にとってのメリットになると思っています。仕事で社会に貢献しているという自負はあります。ささやかですけどね。だから、社会の輪の中での自分の立ち位置を把握し、役割を果たすことがやりがいと言えるかなぁ。COVID案件も最近多いですしね。よりスピードが求められるので、それに応えていきたい。そのためには仕事として通用する品質でよりスピーディーにこなすことが大切だと私は思っていて。効率化は必須だと思っています。

 

これまで必死に効率化に努めてきて、それが一段落した感じですが、また別の角度からも探っていきたいなと思っています。

 

仕事はこのように相変わらずやりがいを持って気持ちよく(忙しくて顎が出るときもあるけど)やっています。

オフでは、習い事をして気晴らししています。お友だちと気軽に会えない状況だから、何よりの気分転換になっています。ウクレレ教室に続いて、最近はテニスも習い始めました。久しぶりだったけど、なんとかくらいついてやっています。コーチからは今どきの打ち方を習っています。なんせ、昭和のテニスは型にハマっていたし、力が入りすぎていたから。今はラケットの性能も良いのでそこまでしっかり打たなくても大丈夫なんですよねぇ。脱力脱力。何事にも脱力が必要。特に私みたいにもともとなんにでも力が入りすぎる気質の人には脱力が必要です。そろそろ優雅にね。力みすぎずにね。そうやって過ごしていきたいですね。

 

 

 

今年できたこと

昨日の納品でやっと今年の仕事が終わったと思っていましたが、今日もメールのやりとりはあって。

年明けはすでに3件予約で2月末まで休みなし。せめて1月4日までは休みを確保しました。といっても、年明け案件もやろうと思えばやれる状態になっているので、なんだか終わった感はありませんが、基本的にはこれからやっと休むぞ〜!

 

 

今年を振り返り、春頃からいろんなことが変わってしまい、できなくなかったことも多かったけど、そんななかでもできたことをピックアップ。

 

 

家族でグランピング(@滋賀県)。

今年は娘たちもオンライン授業になって、家族の時間が増えました。長女の就活、最後までオンライン。無事に決まってよかった。

 

 

 

母の喜寿のお祝いを有馬温泉で。

iPhoneImage.png

Goto利用。部屋食。Gotoトラベルのクーポンは帰りに三田のアウトレットに寄って消費。

両親がとっても喜んでくれて、やってよかったです。

 

 

日帰り女子旅(@倉敷)。

まさかの往復新幹線で1万円を切るツアー。しかも昼食券と大原美術館のチケット付き。近場で遊ぶよりも安かったかも。

これも行っておいてよかった。結局今年、Gotoトラベルは3回利用しました。

 

 

辻井伸行さんのピアノリサイタル(@シンフォニーホール)。

翻訳仲間がチケットを取ってくれて、往来自粛になる前ギリギリに大阪まで行ってきました。

オールショパンプログラムの圧巻の演奏。辻井さんの生声も、また聞けました。感動!

あれだけ弾いた(後半はバラード全曲!)あとに、アンコールでドビュッシーの「月の光」と最新オリジナル曲。その後ショパンのエチュード2曲(最後は「革命」)って、マジ神!「ブラボー禁止」だったので、精一杯の拍手を送りました。

 

 

できなくなったこといっぱいあるけど、できることもある!

無理、無茶はもちろん禁物だけど、状況を言い訳にするのか、できることを探すのか。生きていく方向性をどちらに持っていくのか。それは、今年だけの問題ではなく。

最高に条件が整うときなんて永遠にやってこないのです。何事にも。

だから、不完全でもやれることをやる、それだけです。

 

今年は改めて自分の仕事に対する思いも高まり、公私ともに幸せだなと思うときが増えました。

ときめき要素も増えたしね(ムフフの件)。

この年末年始もできること、やっていきましょう!

 

 

 

モノとの対話

(今日のムフフ)

ドラマで共演している圭ちゃんと仲良くやっているわね。R様のほうがだいぶ年下なのに、精神年齢は上に見える。いや、私よりも人間的にできてるなあとよく思うもんね。でもライバルはずっと同じグループのY君だったと言えるようになったのがなんか人間らしい。今だから言えるんだよね。Y君だって月9でいい感じだよ(正直スーツはこちらのほうが似合うかな)。素直に言えるようになったときが一皮むけたときだね。そんな素直な境地に私も立ちたいなと思います。

 

 

「一日一捨て」、続いています。最低でも1個は捨てる。なんだか加速してきて、こないだ本棚の整理をしていたらあっという間に紙袋4個分。数えていないけど、下手したら100冊行くかも。まず、二重になっていた(つまり奥の本の手前に最近の本が収納してあった状態)部分の表面の本は、誰かに表紙を読み上げられたら恥ずかしくなるような本ばかり。「〇〇して△△になる」みたいな本が山積み。まず恥ずかしいっていうのが先にたったけど、よく考えたらこれって今現在は「△△ではない」という証拠品のようなもの。飢餓意識ですよね。そうではない、という。そしてがっついていますよね。それが欲しいという。一つ一つが全部得られているかと聞かれたら自信はないけど、トータル的に今の自分に満足しているから、もう必要ないなと思えた。

そして表面の本を取り除いたら、まあ懐かしい本がいっぱい。でもね、そういう名作なんかはだいたいもう内容を覚えているし、いざとなったら近所の図書館でも読める。もちろんすご〜く思い入れのある本は残しているけど、それほどでもないものは処分。だって、それらを読み返す時間があれば、今流行りの本を読みたいから。まだまだいい本が出てくるしね。そんなこんなで捨てるなんて絶対難しいと思っていた私の聖域(本棚)もスカスカの状態。ほんと、いったい何に囲まれてこれまで生きてきたのだろうと思います。

 

本だけではなくクローゼットでも思い切りがよくなってきました。捨てるって失敗のように思っていて(特にあまり使いきっていない場合)、失敗を認めたくないばっかりに現状を維持していたけど、しゃーないのです。失敗はするのです、人間だもの。だから、「ごめんなさい、ありがとう、次から気をつけます」で手放す。その作業を進めていくうちに、どんどん気持ちが素直になってきて(ムフフコーナーのR様ではないけど)、「完璧じゃない自分」「失敗する自分」「飽きっぽい自分」を認められるようになりました。するとなんか自己評価が上がってくる。それでいいよと思える。自分を認めると、これまた不思議とこれまで許しがたいと思っていたような他人の行動にもそこまで感情的にならなくなる。不思議ですね。

 

捨てることが得意なお友だちがいて、とっても素敵なモデルハウスのようなおうちで得意の料理を作って快適な生活をしているのだけど、まあ、いつもご機嫌に見えます。もちろん苦労はいろいろあるとは思いますよ。でもそれに負けないくらいご機嫌。そのお友だちにどうやったら捨てられるか、どうやったら気に入ったものに囲まれた生活ができるかをいろいろ教えてもらったのだけど、忘れられないいくつかの言葉の中に「モノくらい自分の好きにしよう」というのがあって。ほんと、そう。ここのところ家族の知らぬ間にいろんなモノを捨てているけど、みんなあんまり気づかない。それでこっちはどんどんご機嫌です。そしてまた知らぬ間に(隠すつもりはないけど)好きなものを買って取り入れているけど、それにもそれほど気づかない。こっちはさらにご機嫌です。

この世の中、いろんなしがらみがあって、いろんな義務があって、思い通りにならないことも多くて。でも、身の回りのモノだけは自分の好きにしていいのですね。誰にも遠慮はいりません。がんじがらめになっていた自分がほどけていくような。そして、ああ、今までいろいろガマンしていたね、と自分をねぎらう。がんばってきたね、誰かのために。自分を低くみてきたね、こんなものでガマンしていたなんて。そういうことの証拠としてモノが存在している。では、そのモノをどうしようか。そして新しいモノは何の証拠としようか。モノを通しての自分との対話がたまらなく楽しい今日このごろです。

うれしい変化

(今日のムフフ)

関西、ここまで迫害されていると思わなかった!ただでさえ、レギュラー番組3本観られないのに、情報番組までこっちではやっていないなんて、ひどい(「王様のブランチ」って何?こっちは丸ちゃんだよ)!それだけで引っ越したくなるわ、もう。

 

 

 

体験談が掲載された業界紙が届きました。

 

通訳翻訳ジャーナル 2020年10月号

 

 

コロナ禍、どう乗り越えますか?私の周りでは、逆に、もう仕事はそこそこでいいか、って言い出した方も複数います。

先日のオンライン飲み会でも、「これまで仕事中心で走ってきたけど、そろそろ人生楽しんでもいいかなって思う」との同業者の意見に深く賛同。年齢的なこともあると思うのですが、コロナに関係なく、最近、がっつく気持ちが薄れてきたのですよね。でも、翻訳の仕事をやめるつもりはない、というのも共通していて、仕事として悪くない、いや、いい仕事だと思っている(自分にとってね)。ただ、人生においての位置づけが少しずつ変わってきているということでしょう。

 

 

1日1捨てプロジェクト、続いています。リビングの引き出しから子どもたちのDS一式が出てきたときはもう笑っちゃった。化石ですよね、今やスイッチですから。まるごと売りに出そうと思っています。二束三文だろうけど構いません。なぜその引き出し、ずっと開けていなかったのだろう。本当に時が止まっていたなと感じます。それこそ、仕事に意識が向きすぎて、リビングの引き出しの中身のことなんて忘れていたのですね。

 

「コロナで断捨離始めた」という友だちに、「私も始めたよ」と伝えたら「必要ないのでは?」と言われました。その友だちは何度もうちに遊びに来ているし、昨年の夏には「R様まつり」で半日うちでDVDを観ながら過ごしてもらったけど、そういう印象を持ってくれているようです。

それはそれで、お客様をそこまで不快にすることがなかった、という点で、よかったと思うけど、例えば引き出しの中身を忘れているとか、そういうことがいっぱいあるのです。外向きには気を遣っているけど、実は中身は…。そういうことがあぶり出されます。自分の思考のクセ。外ばかり取り繕っていて、自分を大切にしていない、とか。とはいえ、ありのままの自分でいるけど、それが何か?みたいな人は、ちょっと苦手です。それはあまりに横暴。人への気遣いは必要だと思っています。でも、それと同じくらい自分も大切にね。自分しか開けない引き出しの中をきれいにするとか、普段使いの食器を良いものにするとか、そういうこと。

そういうことを意識しだすと、どんどん捨てられます。笑えます。おもしろいです。そして少しずつだけど前進です。

 

 

人生の2周目は、突っ走らず、優雅に過ごし、好きなものに囲まれていたい。そういえば、持続化給付金をもらった分、経費を使わなきゃ、と仕事場の椅子を買うことにした友人もいます。私の使っているものを教えてとのことで、調べてみたら現在では10万円くらいするみたいで。「確かに高いけど、元は取れるよ、だって、毎日どれだけ座ってる?」とおすすめしたら、納得し、注文したようです(ただし、現在売り切れ。リモートワークが増えているからですね)。座っている時間が1日4時間程度だったとしても、その4時間を大切にするかどうか、ですよね。我慢はやめましょう。昭和世代の得意分野ですが。

そういえば、会社員の友人から、「今後は完全に在宅になるから、ネスプレッソについて教えて」との連絡がありました。在宅ワーカーが増えるの、うれしいです。それにしても、椅子はいいのを使おう、とか、ネスプレッソはいいよ、とかはすべて、かつて師匠から教わったこと。どれだけ勉強させてもらったかわかりません。なので、自分も後輩に向けて何かできたらいいな、と今回、業界紙に協力させていただきました。「自分が自分が」という気持ちが薄れてきたのですよね。なんだか、いろいろとうれしい変化です。

1日1捨てプロジェクト

(今日のムフフ)

もうすぐ始まるドラマの主題歌も、グループが歌うミディアムバラード(?)になったわ。楽しみがさらに増したわね!

番宣の動画では、ちょっと頬がこけていたような。例の雑誌に向けての絞り込みの影響?もう少し丸顔に戻ってもいいわよ。

それにしても映画はいつ公開されるのかしら?いろいろあるんだろうけど(Iちゃんが陽性だったりね)、カメラの前ではいつも笑顔で元気よくして、人に対して嫌なことは絶対言わない(ラジオやメンバーといるときは素でいるけどね)その姿に励まされるわ。ほんともう頭が下がるわね、そのプロ意識の高さには。

 

 

なんて名付けてよいのかわからない私の「おうちスッキリ計画」。断捨離?ときめき?捨て活?ミニマリスト?シンプリスト?まあなんでもいいわ、呼び方はね。とにかく、それを始めています。

とりあえず、最低限自分に課した「1日1捨て」。そう思って日々過ごしているとなんとか捨てられますね。

余裕のあるときは物置の奥の大物。わ〜、なんでこんなもの取っていたのだろうと笑えちゃうくらい。

「あ、今日はまだ捨ててない」と気づいたときはキッチンの棚を開け、「あ、これ捨てよ」って感じ。

洋服の ”1 in 1 out” は当たり前。それどころか、1つ買ったら2つ以上は処分しています。また、テクニックとして最近とりいれているのが、毎日タンスの引き出しの手前から服を1着取り出してそれを着て、洗濯したら奥にしまう、というもの。タオル類は以前からそうやっていたのだけど、そのやり方だとまんべんなく服を着ることができるし、手前にあるから今日はこれを着る順番ってときに「なんか着たくないな」と思えばもう手放しどき。タンスの引き出しだけでなく、クローゼットでもやっています。左から着て右に戻すというやり方でね。そのやり方をとりいれると、今日何着ようと迷うこともなくなるのですね。さすがにスティーブ・ジョブズみたいに全部黒のタートルだったかTシャツだったか、それのみ、ってことはしていないけど、なかなかおもしろい試みと思って楽しんでいます。

 

そうやって捨てていく(ものと向き合う)と、自分は自分を大切にしてきたつもりが、実はそうではなかったことがわかってきました。使いにくいのにギューギューにキッチン道具が押し込められている状態などは、それを使うときの自分に優しくないですよね。そしてお客様用の食器などで場所が塞がれていたり。よくあるのが、普段自分が使うコップは、壊したくないからなんて理由で安物なのに、めったに使わないお客様用カップは上等、なんてパターン。先日、お友だち(紅茶教室に通っている)が「ひとりのときもいいカップで紅茶飲んでるよ」と言っていて、それをまねして私もウエッジウッドを取り出し、それを使ってひとりで紅茶を飲んだことを話したら「いいカップで飲むと紅茶の味も変わるから」と言ってくれました。

お客様用ではなく自分用。自分をもてなす心。それがまだまだ自分には足りないと思いました。だから、使いにくくてもガマンしていたりね。

いいものに囲まれるための第一歩は、不要なものを取り除くこと。目的は、(自分にとって)いいものに囲まれること、なのですね。いいものに囲まれる=いらないものが目に入らない。冷静に自分の環境をチェックしたときに、ゴミや不用品、そして一番好きではないものに囲まれていることに愕然とし、それは自分への虐待だったと気づく。ただ「捨てろ捨てろ」ではなんだか寂しいし、マイナスのイメージがあったけど、逆なのですね。好きなものをたっぷり楽しむためにそれ以外のものは手放す、という感じ。難しい場合は、まず「絶対これがほしい」というものを手に入れるのも手ですね。服なら服。今これを絶対着たいと思うものを1着手に入れる。そして着倒す。すると、それ以外のそこまで好きではない服が分かってくる。まず「好き」ありきかなと。そしてそれを選ぶとき、値段は見ない!「安いからこれいいね」、ではなく、とにかく「これいいね」。もちろん定価で買う前提。結果としてセールならラッキー。その観点でものを選び出すと毎日が楽しいです。もちろん大物はそう簡単には手に入らないけど、一番好きなものを選ぶんだ、と決めると買い物の仕方が変わってくる。そしてどんどん捨てられるようになりますね。

 

まだまだ途中ですが、少しずつスッキリ活動すすめています。なんだかそれだけで不思議と毎日楽しいです。

 

 

 

 

 

さて、これはどう名付ければ

(今日のムフフ)

ライブDVDと例の雑誌が届き。ライブではまさかのソロパートで一瞬声が出なくなるという今まで見たことがないハプニング。

去年の年末年始、体調崩していたもんね〜。でもそれ以外は完璧。まあ、顔力(?)にやられたわ。例の雑誌、一応娘たちの目に触れないように隠してある。まあなんというか、きれいさが先にたって、ショックとかどうとかの感情は湧いてこなかったわね。それにしても撮影10日前からは水分までも制限していたってどんだけストイック。朝からDVDを観たくなる気持ちをぐっとこらえて仕事。だって〜、観だしたら止まらないでしょ。ちらと観た娘が「汗が化粧水にしか見えない」と言っていた。ほんまそれ。見ているだけでこっちまできれいになれたらどんだけいいか。翻訳では良い文章に触れることが自分の訳文の質の向上にもつながる、なんて言うのだけどね。だから、SNSなどの、プロのチェックを受けていない文章を読む量が、書籍などの文章を読む量を上回らないようにずっと気をつけてきたのだけど。どうなんでしょう、何らかのR様効果ってあるのかしらねぇ(いや、たぶんない(泣))。

 

 

 

今日のタイトル「さて、これはどう名付ければ」の「これ」について。

最近、暮らし系のYou Tubeにハマっていて、そこから素敵な人の書籍を読んでみたり。

がぜん、片付けがしたくなりますよね。こういう素敵な人たちの素敵な暮らしを見させてもらうと。

でね、最近、いわゆるミニマリストとして活動(?)されていた方が、思うところがあってこれからはミニマリストという肩書(?)をおろして活動するらしいのです。ふむふむ。

 

憧れますよね、ミニマルな暮らし。そしてシンプルって言葉も超多いです。「シンプルな暮らし」とか。ミニマルとシンプルとどう違うの?まあ定義はおいといて。だいたいイメージはわきますよね。

 

断捨離、ときめく片付け、それらもイメージ的には似ていませんか?もちろん創始者(?)の方にはそれぞれ立派な哲学があるとは思いますが、ざっくり見たときにね。

 

なんとなくなんだけど最近、ミニマリストになった人、なろうとしている人が疲れてきているような気がするのです。

シンプルやときめきも同じ。

 

決してそれらの「ものを減らして軽やかに」「ものだけでなく、いろいろ面倒なことはなくしましょう」みたいな引き算の考え方に異を唱えるつもりはありません。すごくいいことだと思うし、そこが自分には足りない気もするから、ぜひ今後も取り組んでいきたいし。

 

でもね、まったくすべて取り除いたら、究極、生きている自分自身も邪魔な存在になってきませんか?

 

 

自称元ミニマリストの方(冒頭の方ではありません)の著作を最近読んだのですが、その方はミニマリズムを極めた結果、ダイニングテーブルやテレビも捨ててしまい、配偶者の勤務先のご夫婦がおうちに遊びにいらしたときに、座る場所がなくてそのご夫婦が困られていたとか。でもそのときは「なんで困っているんだろう?床に座ればいいのに」って思っていたらしいです。

そして2度と誰もおうちに遊びに来なくなり、何もない家ではなんだか癒やされないため、休日は夫婦で3食外食、テレビがなくて小さいパソコン画面で我慢していた反動で、映画館通い、ついにはパチンコ屋にも通い詰めてしまったらしく。

ミニマリズムの功罪について身を持って体験され、そこからは程よくものを取り入れた暮らしをされているようです(といっても自宅はめっちゃ片付いていてものが少ないです)。うん、なんでも程度が大事ですね。

 

 

冒頭の方は確か「ミニマリスト」ということに執着してしまっている自分に気づいた、とおっしゃっていました。

うん、そう、執着。執着から離れるためにいろんなことをしているのにそれに執着してしまう。

 

 

どうなんだろう、なんでも減らす、シンプルに、そして無駄なことはやめましょう、そういう考え方に縛られるとどうなるんだろう。

もっともっと自分の深いところの気持ちを見つめたい。

 

自分が作り出した自分のイメージや、自分が目指していることに縛られてしまう。

それだとなんのためにやっているのかわかりませんよね。だって、自分が快適になりたいのに、本当はそうではなければ。

 

で、今日のタイトルですが、

自分が快適に暮らすためのキーワードが今、見つからないのです。

シンプル?ミニマル?スッキリ?ていねい?効率的?なんなんだ?

 

どれもその言葉にとらわれてしまいそうで。

 

そのキーワードを特に見つけないまま、家の片付け、やっていこうと思います。

やっていることは同じなんですよ。でも、それにとらわれる怖さを感じる。

 

私は〇〇です、なんてとても言えない。でも、言えなくてもいいか。自分の気持ちに正直にやっていきたいですね。

 

習慣の力

自粛期間も長くなると、あれこれ工夫していても飽きてきます。こんなにダラダラしていては、なんて思いはするものの、実際に行動に移すことは少なかったり。

 

でも、習慣化してしまったものは、何も考える気力がないときにも助けになるのですね。

習慣化というか取り決めというか。

 

自粛期間に入って、例えば、午後のティータイムの前にエクササイズする、という習慣は続いています。食べることが楽しみの多くを占めるこの期間に、せめてもの抗い。罪悪感減らし。

 

寝る前のヨガも2年くらい続いていますが、習慣化にあたり、私にとって一番効いたのは「毎日する」ということ。

「毎日する」と決めてしまえば、「今日はやめようかな」とか「今日こそはしなければ」、なんて考えなくていい。考えなくていいというのは楽なんですよね。だから何もやる気が出ないときにもやれてしまう。

 

午後のティータイムの前のエクササイズは、家族との時間にもなっていて、ティータイムの前に「さあ、やるよ」と声をかけ、PCをテレビにつなげてYou Tubeを映せば、みんなのスイッチが入る。強制はしていないのだけど、家族のメンバーの習慣にもなっています。

 

この2つの習慣は「毎日」と「なにかやる前の決まり」というテクニック(?)で続けることが簡単になっていると思います。

ヨガは寝る前。エクササイズはティータイムの前。儀式のようなものですね。

 

こんな感じでいろいろ決めては習慣化すれば、その前の自分とは違う自分に自然となるような気がします。

最初はシンドイので、頭がクリアでやる気に満ちているときにやり始めるのがいいですね。始めてしまえばこっちのものです。

 

何かとくっつけて毎日する習慣、他にもいろいろ考えていきたいです。

 

 

習慣といえば、娘たちの家事分担も、決めてしまうとそれを守ろうとするものですね。

仕事で忙しい母を助けたいから家事をやる、なんて殊勝な心をわが娘たちは持ち合わせておらず(泣)、家族全員の話し合いの場を設けてきっちりとお願い(指導?)しました。すると案外スンナリと分担が決まり、その後特に不平も出ていません。

 

 

自分の状況を察して動いてほしい、というのは近くにいる人に誰もが抱いてしまう思いだけど、自分以上に自分のことをわかっている人はいないのですよね。めんどうでも気持ちや状況を伝え合わなければ進まない。特に子どもにはそう。若い頃に、自分のことよりも親のことを考えているような子どもになってほしくない、というか、そういう状況に子どもを追い込むことはできれば避けたいと思っていますし。

 

だから、「お母さんは忙しいのよオーラ」をできる限り出さずにいた結果、「お母さんは楽ちんして、いつもご機嫌でいる」という印象を娘たちは持っているようだけど、それならそれでよし。だって、私にとってもそれは理想だから。そして概ね、そのとおりですから。

 

GW中も仕事をしている母だけど、娘たちは決して「大変そう」とは思わないのだろうなあ。まあ、それでいいんです。自分もそう思っていないしね。

 

いろいろ制約のある今日このごろですが、今、できていることに感謝して。自粛期間が明けたら、少しだけでも進歩した自分になっていたいです。