「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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筆力

いつも見ているバラエティ番組。いろんな分野の講師が授業をするというもので、先日の科目は英語。講師は現在東京工業大学で教鞭をとっているパックン先生と、留学経験がありJ大学国際教養学部に一般入試で合格したというメンバー(なんのメンバーかはご想像におまかせします)のO君。もちろん私の目当ては他にあるわけで、かる〜い気持ちで番組を見ていたのですが、ああ、またまたひっかかってしまいましたよ。翻訳がらみでいろいろと考えてしまったのですね。

この日の授業はクイズ形式で、出題された英文を和訳するというもの。

例えば、

"Mr. Y is making a long face, because he can't eat red rice."

という英文が出題され、それに対する和訳

「Yさんは赤飯が食べられなくて○○だ!」

の○○のところを生徒が考える、というクイズ。

この答えは「不満そうな顔」なのですが、それはさておき、このbecauseの訳し方が気になりますねえ。

他には、

"Mr. K is a gold brick. He is a dead duck."

という英文が出題され、この和訳は

「Kさんは給料泥棒なのでどうしようもないダメ人間だ。」

となっているのですが、「なので」を勝手に入れて2文を1文として訳しているところが気になる〜。

まず、最初の文。「食べられないので」と訳してしまいそう。「食べられなくて」だとなんとなく結果のイメージがありますよね。でも、日本語としては先生の訳が自然です。

そして次の文。このような2文が"and"でつながれている場合もよくありますよね。その場合、単に羅列するのではなく、つながりを考えて「なので」「だけど」などを加えてやるほうが、意味がわかりやすいことがあります。まさに「行間を読む」というやつです。

どちらも先生の訳が自然で、「日本語ならそう言うよね」という感じです。この「日本語ならこう言うよね」という感覚。それが翻訳では非常に大切なのですね。

受講中の治験翻訳講座でも同様のことを学んでいます。私はいつも、先生の訳例と自分の訳との差はどこにあるのだろう、と考えるのですが、先日それに対する答えが少し見えてきました。私がある1文に対して「先生がなぜこの動詞をこのように訳したのかがわかりません。どうしても自分はそのようには訳せません」と質問したところ、先生は、英文は情報を拾うために読むには読むけど、訳すときには英文自体から離れて「書かれている内容を日本語ではどう言うか」に留意している、と答えてくださいました。先生は私が思っている以上に原文にとらわれずに訳していることがわかったのです。特に動詞は名詞とセットになっている場合、辞書の訳語を探すより、その名詞とセットの場合は一体何が言いたいのか、どういう表現が一番自然か、ということを考える必要があるのですね。

パックン先生の訳も同じで、見ているのは英文の単語一つ一つではなく、言いたい内容。その内容をどう日本語で表すか。それだけなんですね。文と文とのつなぎもそう。日本語ならこうつなぐのが自然、という感覚を大切にする。

翻訳者は創作者ではありません。でも、原文から内容を読み取り、それを訳文にする段階ではライター的要素が必要なのですね。一番自然な言い方。過不足なく情報を伝える文章。そこに必要なものは英語力ではなく筆力です。内容を把握するための調査はするけど、後は自分の筆力にかかっている、そう思うと翻訳というものがこれまで以上に手強いものに見えると同時になんてクリエイティブな作業だろうとも思えるわけでして。先生たちの訳文に近づいていきたいと、心から思いました。

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