地震の後、ブログの更新もやる気がおこらなかった。
幸いにして、とりあえず住んでいる地域は被害がない。
私たちだけ、こんな風に普通に過ごしていていいのかな。
そう思うと楽しいことをしてはいけないような気がしてくる。
何かできることはないのかな。
直接できることは限られている。
でも何か、と思ったときはいつも身近なところに目を向けるようにしている。
被災した方に、直接届くことはなくても、自分の身近な人たちを大切にすることで、
めぐりめぐって何かが届くような気がするのだ。
昨年度、小学校の本部役員をやっていたとき、私は家庭教育学級担当だった。
保護者のお勉強会のようなものだが、それをやりつつ、わたしはスッキリしないものを抱えていた。
そもそも勉強会に参加してくれるような保護者はちゃんとしている。
ちゃんとしている、というのは子どもにある程度目をかけている、ということ。
そういう家は問題ない。
本当に問題なのは、忙しすぎたり、様々な事情から、子どもどころではない親。
PTAには参加しないし、必要な連絡もとれなかったり。
もちろんそういう親に直面したら、最初はみんなその親に対して憤る。
でも、そのあと、「そこの子どもはどうなるのだろう」と考えてしまうのだ。
いじめの問題にしても、たいていは家庭の問題がそういう形で出てきていることが多い。
なんとかしたい、でもどうやって。
話をしに行きたくても門前払いや逆ギレ。接点が見つからない。
私はPTAの担当の先生に、そのもやもやをぶつけてみた。
「先生、こんなことやって何になるのでしょうか。ほんとうに一緒に学びたい保護者には全然届きません。たかだか20数名に対してこんなことやっても意味があるのでしょうか」と。
すると、先生は「確かに直接は20数名かもしれないけど、その20数名からまた周りの人に伝わりますよ」と言われた。
めちゃくちゃ納得した。
その後、母親の集まる場所を提供したい、との思いから手作りサークルも立ち上げたが、そこに来る方はみんないい人ばかりで、大きく見ると全然問題ない。
もちろん、こんなこと言っている私がいい母親かと聞かれれば、全く自信はない。
だから、サークルのメンバーのみんなもそれぞれいろいろあるかもしれないけど、それでも闇の中にいる親子よりはかなりいい状況にあるように思える。
本当は闇の中の親子をなくしたい、でもそこにはなかなか届かない。
だから、私は自分の手の届く範囲にいる人をめいっぱい大切にしたい。
私のまわりはいい人ばかりで、楽しい時を共有することが多い。
自分たちさえよければいいとは思っていない。でも身近なところにしっかりと目を向けていきたい。
それしかできない。そして、私の力量では、そうすることが一番効果があるのではないか、と思うのだ。
少しの優しい気持ちがめぐりめぐって今困っている方々にも届いてほしい。
私自身全然人間ができていないから、我欲との戦いではあるが、少しでもだれかの何かのお役にたてれば。
そんな気持ちが新たにわいてきた。