「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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ワイン会の前に
 今日はボストンホテルのリバティーでワイン会。
で、その前に

娘(妹)に頼まれていたシェリーメイの衣装を作っておきました。

ダッフィーのセーラー服は作るの、大変そうだったからショップで買ったのだけど、シェリーメイのスカートは家で作れそうだったから買わず。

まあまあ似たようなものが作れたかしら。娘は喜んでいました。

ボストンのワインフェア―は今年はカリフォルニアワインでした。
飲みやすいものが多かったので、どんどん飲んでいたら結構酔ったかな?
今年初めて行ったのですが、常連さんっぽい女性グループもあり、私たちも毎年恒例にしたいなあ、なんて思いました。

ワイン会のあとは、帰る方向が同じ3人で二次会のお茶をしに。
夜に外に出るのはやはり開放感がありますね。

さて、今日は大仕事にとりかかります。
詳細はまた次回に。
ハッピーライフを送るには(長文につきお時間のあるときにどうぞ)
 最近の経験から自分というものを見つめなおす機会が多かった私。
いろんな人の考え方を聞くことで、また自分というものがわかることも多いですよね。
そんな中から、気づいたこと。
「不満は悪いことではない」。

いつも文句ばかり言っている人っていやですよね。
不満ばかり言っている人もいや。
だから、自分は言わないでいようと思う。
まずは、不満を外に出さないようにしようと思う。
そして、不満そのものを感じないようにしようと思う。

そうやってやっていると、恐らくはた目から見たらとってもいい人です。
ネガティブなことに焦点を当てていないという意味では、精神衛生上もいいとは思います。
でも、実はそれは進歩がないんです。

いろんな人を観察していて(もちろん自分も含めて)、本当にハッピーな人とハッピーだと思い込もうとしている人がいることに気づきました。
その違いは、本当にハッピーな人は不満を不満としてきちんと受け止めている点。
これは不便、これは自分の理想とは違う、もっとこうなった方がうれしい。
そういう気持ちに正直なんです。
そして、ハッピーな人というのは、ではどうしたら満足できるかと考え、行動に移します。
さらりとやっているから、必死さは見えないけど、ちゃんと努力しているのです。

ハッピーと思い込もうとしている人というのは、がまんが得意です。
いやなことがあっても、いいところを探して我慢します。
自分に思い込ませます。
どうしてそういうことをするかというと、いやなことに向き合うのがつらいからなんですね。
向き合ってもどうせ解決はできない、と実ははなからあきらめているのです。
できない自分を直視するのが怖いのです。

ハッピーと思いこもうとする人は、不満を言う人になりたくないと思っています。
最初は不満を外にださないような自分になろうと努力しています。
そのうち、不満そのものを感じない方が楽だな、と思い始めます。
そして現実を見るのをやめます。現実について客観的に考えるのをやめます。
いい方にいい方に考えるようにします。
そうすれば不満な気持ちというのが生まれません。
すると不満を言う人にはなりません。
これで「不満を言う人にならない」という最初の目的が達成されます。
でも、現実を見ない、ということは実は大きな問題です。
本当の自分の気持ちを大切にしていないのですね。

本当にハッピーな人は自分に正直です。
だから、不満もそのまま感じます。
そしてどうしたらよいかと考えます。
できそうなことはすぐに行い、長期戦になる場合もあきらめません。
そして最終的に本当にほしいものを手に入れます。

不満をいつも言っている人も実は自分に正直です。
ただ、自分がどうすればよいか、ということよりも、どうしてこうなったかを考える方に意識を集中します。
ものごとを根本から変えようとしたり、自分以外のものが変わらないとだめなんだと批判するだけなので、なかなか現実が変わらないし、不満が出てきます。
負のスパイラルに陥っていくので、精神状態もよくはないでしょう。

不満を持つ状態というのはこのようにつらいことになる場合もあります。
だから、ハッピーと思いこもうとする人は、不満そのものがなかったことにしようとしますが、実は自分の気持ちは置き去りです。ふたをしただけですから。
不満は感じきる方が、実は前に進めます。
自分の中の痛みは感じきる方が、癒しの道につながるのです。
形だけの納得では自分が透明になっていって、どんどん自分が信じられなくなります。
よく「人を許しましょう、そうすることで自分が救われます」といわれますが、その前段階があります。
その人を許せないと思ったくらい傷ついた自分を十分に認めるのです。
悲しい気持ち、悔しい気持ち、それを感じつくす。
それなくして形だけの許しはありません。
自分の悲しさに十分寄り添ったあとで、人にも寄り添えるのです。

自分の正直な気持ちを十分に自分が認めてあげたら、セルフイメージが上がってきます。
すると、不満な点を前向きに解決しようというハッピースパイラルにのっていけるのです。
「どうせ私なんてできない」から「私は自分の気持ちを大切にしてもいい存在なんだ」という深層心理の変化が起こります。
そして、どうやったら自分をもっと大切にできるのだろう、と考えることになり、行動につながります。
根底に自信があるから挑戦できるのですね。

不満のたねは悪いことではありません。
不満を感じることも悪いことではありません。
なぜならそれは前進への気づきです。
一番よくないのは、実はそれに気づくことをやめてしまうこと。
なぜやめてしまったのか。
それはたぶん自分の深いところに癒されない部分があります。
「どうせ」とか「こんなもんでしょう」と思ってしまう心です。

それを取り除くには過去の自分を見つめなおすこと。
そのときに感じた正直な自分の気持ちから逃げないこと。
この作業は本当につらいです。
今までの悲しみが全部舞い降ります。
でも、勇気を出してそこを突破すると本当にセルフイメージが上がります。
自分が大好きになります。
今までのイライラやしんどさの原因がわかってスッキリします。
やっと前に進んでいくことができるのです。

コップに水が半分入っているのを「もう半分しかない」と考えるか「まだ半分もある」と考えるか、なんてよく言いますけど、半分は半分です。
もし半分から増やしたいのなら半分であることを認めないとできません。
その気持ちには正直になりましょう。

もちろん、私はコップの水を増やすことはどうでもいい、という考え方もいいと思います。
それも前向きな考え方だと思います。
そういう人は最初から半分は半分としてしか見ていない。
「まだ半分もある」なんていいふうにとらえる必要がないのです。

不満を感じることは前進への気づき。
不満を感じたあと、どう動くかが肝心。
セルフイメージの高い人は前向きに対処し、ハッピーになります。
セルフイメージの低い人は批判に終始し、アンハッピーになります。
不満を感じないようにしている人はアンハッピーを避けていますが、ハッピーにはなれません。

ハッピーになりましょう。
勇気を持って。




ご機嫌になる方法
 久しぶりに「断捨離」を読み返してみました。
著者がヨガ道場で習ったことからヒントを得たという「断捨離」。
私もいまヨガをしているから、いろいろ通じるものがあります。

断捨離は一言でいうと、今の自分にふさわしいもの以外は捨てる、という作業。
その作業の結果、お気に入りに囲まれてご機嫌になる、さらには深層心理にも働いていく、という考え方。
そして、まず家の中のガラクタから手をつけることで、行動できる自分に自信が持てる、ごまかさない自分が信頼できる、というふうにポジティブスパイラルになっていくようです。

夢実現などの自己啓発本にはよく「セルフイメージをあげましょう」と書かれていますが、断捨離でそれができると思います。
そして、ものだけではなく、時間の使い方や人間関係にまでにも断捨離マインドで臨むとかなり変化がおこります。
自分がいやだな、と思う時間の使い方、自分自身などを捨てていく。
いやだな、までいかなくても違和感を感じたり、もっといいものがあるのではないかと思うもの。
自分自身であったり、人間関係だったり。
結局それは自分を大切にすることなんですね。

ものを捨てる時にもうしろめたさは感じますが、人間関係を捨てる場合はもっと感じます。
何も捨てなくてもとか、だっていいところもあるのだし、とか思いますが、自分の正直な気持ちとしては、それを持っているからといってご機嫌にはなれない。
不機嫌になることが多いのかもしれない。
そういうものは手放すのです。

ものと違って人間関係を捨てるのは難しいです。
ものは何も言いませんが人は言うこともありますし、罪悪感はものに対してよりもずっと大きいでしょう。
でも、一番大切なのは何でしょうか。
断捨離で紹介されていたゲーテの言葉「人間の最大の罪は不機嫌である」。
そう、自分を大切にせず不機嫌になることこそが一番の罪なのです。

断捨離マインドを学んだり、ヨガで気づきを得たりして、最近の自分はかなり自分の本当の気持ちに焦点があってきたなあ、と思います。
今まで、隠してきた本当の自分の気持ち。つらい感情、悲しい感情、押さえつけていた感情、それに気づくことはとってもしんどい作業です。
でも、それに気づいたら正直に自分を大切にしていきましょう。
私の場合は人間関係でかなり自分に正直になりましたよ。
今だからわかる自分の本当の奥底の気持ち。
もうそれを押し込めたりしたくないから自分に正直に生きたい。
その過程で周りから見たらとんでもない行動をとっているようかもしれないけど、自分のなかには一本線が通っている。
自分の本当の気持ちに素直になりたい。
それでだれかを一時的に傷つけることになっても、自分を大切にすることこそが結局まわりを大切にすることなのです。
怖いけど、前に進みましょう。
変化を起こしましょう。



最近の私の体験で、人間関係の整理の上で非常につらい思いをしたけど、得たものは大きかったことがあります。
一番理解してほしい人には理解してもらえているという安心感もあります。
そして、気持ちをいつわらない自分をやっと信頼できます。
あとからわかるんですよね。なぜあのときの自分が不機嫌だったかって。
他の人やことのせいにしていますが、本当は自分の気持ちに正直に生きていないことが一番の原因なのです。

自分のセルフイメージが上がったなあと最近実感します。
「もうこういう感情は自分にはふさわしくない」とすぐ思うことができるのです。
そして幸せへの努力にスイッチを入れ替える。
ささいなことです。ちょっと自分がご機嫌になれることにフォーカスをあてる。
例えば、少し前から始めたプチ幸せチャレンジ「毎朝焼きたてパンを食べる」。
やっていますよ〜、無理のない範囲で。
すると、毎朝豊かな気持ちです。
自分の理想のイメージの朝食にかなり近づいていることを毎朝実感(いちいち考えているのではないですが)することは自分への自信につながるのです。
そして、次はこうしたいな、とまた理想が膨らみます。
少しずつ無理なくやっていきましょう。

小さな事ばかりですが、やろうと思ったささいなことを実行する自分。
そこから得られる小さな幸せをかみしめながら、小さなことを実行できた自分を信頼する。
その積み重ねでどんどん夢に近づく。
昨日よりは前進している自分を実感する。
一番自分が言いたくない言葉は「やろうと思っていたんだけどね」という言葉です。
「いつかやりたいとは思っている」「やった方がいいのはわかっている」「それができたら楽しいと思ってはいたのだけど」
こういう言葉は使いたくないです。

断捨離は自分の身近なところからネガティブなものを捨てていく作業。
その「捨てる」という作業に、ささいなことでもいいから素敵なものを「加える」作業を追加していくと、どんどんセルフイメージが上がっていきますよ。
例えば昨日仕事で新しい文房具を使ってみました。
仕事をする時間をいとおしむと、その道具も大切なアイテムですから。
そうやって環境を整えておくとなぜか、今まで以上の仕事が舞い込んでくることが多いのです。

ご機嫌になると感謝の気持ちがおのずとわいてきます。
私は今パン焼き機に感謝しています。
こうやってブログを書けるパソコン環境にも感謝しています。
素敵な音楽を奏でているCDプレーヤーや、そのCDにも感謝しています。
よく動いてくれる自分自身にも感謝。
そしてもちろん、家族や周りの人にも感謝です。

自分を幸せにしていきましょう。
無理なく、工夫して。
いつわることなく正直に。
今日という日にどんな素敵なことを加えていけるでしょうか。


仕事の合間に
 昨日はお友だちに個性的なランチのお店に連れて行ってもらいました。




石山の住宅街の普通のおうちでやっているお店「風賀」さん。
和室から日本庭園が見えて風流。
松花堂弁当セットはボリューム満点でした。












オーナーはとってもバイタリティーにあふれる方でした。
仕事も遊びもめいっぱい楽しんでいる姿に刺激を受けました。

お食事中はとっても前向きな会話がはずみ、仕事の合間にこんなランチの時間を持ててとてもハッピーでした。








最高に気持ちのよい季節がやってきて、心も晴れ晴れ。
今日のこの気持ちよさをめいっぱい楽しみましょう。

欲しいものは?
日頃からよく自己啓発書を読んでいますが、結局同じようなことが書いてあることも多いです。
同じようなことを複数の著者が言っていると、やっぱりそうなのかな、と思う度合いも強くなります。
そんな言葉のなかから一言。
「欲しいものは感情」

「あれ(もの)が欲しい、こういう状況になりたい、自分がこうなりたい・・・」
いろいろあるけど、その最終目的は自分の欲しい感情を得るためだというものです。
例えば、自尊心であったり、安心感であったり、楽しい気持ちであったりいろいろですが、その感情を得ることが究極の目的であって、それまでの過程はいわばどうでもよいと。
でも、多くの人はその過程に重きを置きすぎるらしいです。
つまり、こういう気持を得るためには、こうならなければいけない、こうなるためにはこうしなければならない・・・。
そのステップをこなしていくことに必死になって、そのステップ一つひとつの成功に一喜一憂するけど、実はそのステップはどうでもよい。
目的の感情にたどりつけさえすれば。






ちょっと話が違うかもしれませんが、ヨガでいつも習う「今ここにある自分にフォーカスする」という言葉。
今の自分がどういう感情なのか、どういう感情なら幸せなのか。
それをあるがままに感じていきます。
その感情を得るためにどうすればよいか、ということはとてもシンプルなことだったり、はた目にはびっくりするような行動だったりもするかもしれないけど、自分の素直な気持ちが一番大切ですよね。
感情なくして行動はありえない。
本末転倒になってしまってすごく回り道になるのです。

ステップにこだわりすぎず、自分の感情を最優先させる。
計算ドリルを解く速さを競うような人生はやめましょう。
自分だけの感情の花を咲かせましょう。

 
素敵なことをかみしめて
 前日のブログは結構しんどい内容だったな、と思います。
もちろん、それはその時の自分の気持ちを反映しているものだから、それも私自身だと思います。
でも今この時点では思うことが少し変わっていて、そこまで自分を追い詰めなくてもいいのかな、とも思います。

仕事の実力を上げたい、という気持ちがあるのは間違いないし、その部分がうまくいかないことで悩んでいることも事実です。
ただ、それ以外に目を向けると、今の自分の人生、素敵なところも多いです。

幸せの度合いを考えるときに、多角的に考えるやり方があることを学びました。
つまり、1つの尺度で考えず、いろんな面から考えること。
例えば、健康、家族、友人、仕事、趣味、自己実現、などなど。
何か1つに絞りすぎると危ういです。
うまくいけばいいけど、そうでないときにしんどい。

でも、多角的に考えていくとリスクは低くなります。
例えばバイキングに行ったとして、前菜、サラダ、スープ、メイン、デザート、飲み物、などなどをとるとして、全部のチョイスがばっちりでなくても、ほかで補えれば満足度は高いですよね。
サラダがいまいちでも、ほかのものがほとんどよければOK。
全体的な視点というのは、自分が一つのことに必死だと忘れてしまいがちですが、意識的に全体を見ることも大切なのかもしれません。

もちろん、今の自分がフォーカスしたい部分というのは、精一杯それにむけて動いたらいい。今の私は、仕事の実力を上げたい、というそのことにフォーカスしつつも、全体的な人生は結構うまくいっているな、と思う。
感謝することがいっぱいある。
そうやっていいところをいっぱい感じると、つらい部分にも力が出せる気がします。

今日もまた、幸せな自分で、困難なハードルを越える努力をしていきましょう。
はっとするひとこと
 金曜日は朝からトライアル原稿の訳。
どうしてもつかみにくい内容があり、調べても調べてもピンとこない。
原文のandがどことどこをつなぐものなのか、何通りも解釈できてしまうので、自分の作った訳文に自信が持てない。
時間ばかりかかり、いやになる。
自信がなくなってくるのですね。

午後はまだ残っている疲れを感じながら、それでも何とか気力をふりしぼり、リラックスできる音楽を聴いたりしながら、訳文づくりに必死でくらいついていました。
夜も気になる部分の検討。
また、違う解釈が考えられ、そのたびに調べ、考える。

なんで、こんなしんどいことしているのだろう、とぼやきたくもなる。
一番つらいのは、きっと先が見えないからなのでしょう。
自分の実力のなさを痛感する。
実力をあげるための簡単な方法っていうものも存在しない。
とにかく焦ります。


昨夜、お酒を飲みながら夫に今の私の心情をボヤいたら、こう言われました。
「前進しようとしているから、しんどいことがあるんだよ」と。
私は、卒業後一つの会社に勤めてそれなりにキャリアを積んでいる夫のことがうらやましくて、自分は母親業でキャリアが中断されたから、なにも積みあがっていないし、だからこんなにしんどいのだ、と言ったのですが、夫いわく、キャリアを積んだ先にもまた乗り越えるべき壁があるから、前進しようとする限り、今の自分を高めていく努力というのは必ず必要で、それは誰でも同じだと。会社でもどこでも、もうこの自分でいい、と思う人はそこまでだし、楽かもしれないけど、前進はないと。
○○子の思うことは、仕事に真剣な人ならだれでも思うことなんだよと言われて、やっと気づきました。
本当に本気で仕事をするということはこういうことなんですね。
もちろん、人それぞれの価値観があるから、無理なく満足して、という生き方もあるでしょう。
ただ、前進しようとすれば当然努力が必要で、ときにはつらい思いをすることもある。
もちろんその努力を楽しくするという工夫はどんどんすればいいけど、何もせず何かを得るということはありえない。
やはり、しんどい部分はあります。
でも、たぶん私はそのしんどさを避けて前進しない生き方は結局できないのでしょうね。
今の自分と理想の自分とのギャップが苦しくて、理想を下げる方が楽だな、とも思うけど、たぶん自分の正直な気持ちは理想に近づきたいのです。
だから努力するしかないですね。

しんどいのが当たり前、そういう風に思えたので、逆に楽な気持ちでやっていけそうです。
今日も精一杯取り組んでいきましょう。

手作りサークル4月
 4月の手作りサークルはワイヤーを使った小物入れを作りました。




集めると、かわいい〜。
最後のワイヤーを通すところがちょっと時間がかかりましたが、とっても簡単に出来上がりました。



サークルのメンバーにはいつもパワーをもらいます。
悩んでいるときには相談にのってもらえるし、みんなそれぞれの場所で頑張っているんだなーと思うと、勇気づけられますね。

デザートのミルクティープリンのお味はいかがだったでしょうか。





しかし、まだディズニーの疲れが残っている私(涙)。
娘(姉)がヨーグルトを食べる、というのでお母さんのもお願〜いと、寝転びながら頼んだら、入れてきてくれました。

トッピングはコープで買った冷凍フルーツ。
娘もこれは最高、と喜んでいました。

家でも作れそう?
また挑戦してみようと思います。


今朝はカップケーキをおやつにつくりました。
さて、お仕事お仕事。






















小さなことを
 昨日は疲れた体にムチ打ち、仕事。
午後からはお友だちのおうちでゆっくりさせてもらいました。
ちょっと仕事がたてこんできて、これから忙しくなりそうです。
でも、昨夜も早く寝ましたよ〜。

先日、贈り物をいただいた先生にお礼状を出しました。。
もちろんすぐにメールでもお礼を言ったのだけど、お礼状も出したくて。
先生自身がこちらから贈り物をするといつでも手書きのお礼状を送って下さるのです。
その心遣いがうれしいので、今回はこちらからも。
パソコンで、桜のイラストを印刷し、文章は手書きで。

すると、先生からお礼状を受け取ったとのおハガキが。
メールより手書きで伝わることがありますね、とのこと。
心を受け取ってもらったという実感があり、うれしかったです。
退官されてもなお、お元気に活躍されている先生。
本当に出来の悪い生徒だったのに、かわいがってくださいました。
初めてとった電顕写真をすごくほめてくれたり、内容の薄い修士論文でさえ、この子は文章がうまいね、とほめてくださいました。

あんなにお世話になったのに、ただの主婦では絶対いられない、というのが今の私の原動力。
どうしてあのときもっと真剣に自分の道を考えなかったのだろう。
若いがゆえの、その時暮らし、自分の気分重視、楽観主義。
それと、実はいろんな固定観念、周りの意見などにも自分は縛られていました。

自分を大切にすることと、周りとの兼ね合い。
私はいつもあきらめて、自分を引っ込めてしまう。
両方手に入れる努力をする前に、怖くなって傷つかずにすむ道に逃げる。
でも自分を一番に大切にしていなければ、結局不満が出てくるのですね。

ちょっとまた話がそれましたが、先生にハガキを送ろうと思って実際に書いて送った。
そんなちょっとのことも、一つの行動。
やりたいな、やった方がいいな、と思ったことはどんな小さいことでも実際にやる。
それは小さいことではないのかもしれません。

弾丸旅行のあとは
 怒涛の土日が終わり、子どもたちは学校。
大変だろうけど、たぶん体力は親よりずっとあるはず。
なんとか大丈夫でしょう。

親は無理せず、休業。
青山あたりにランチをしに行く途中で見つけた桜並木。
こんな穴場があったなんて。
近道するつもりが迷ってしまったけど、いいところ見つけました(どこなのかはよくわからない)。

SECOND HOUSEで軽くランチして、あとはのんびり。



今朝は夫くんも出勤したので、一人きりで家にいると、やっぱり襲ってきますね。疲れが(泣)。
情けないけど、正直疲れています。
そろそろもっと自分を大切にしないとね。
欲張りで、無理をする性格とうまくつきあわないと、もう体力がもたない。

とか言いつつ、今日もおやつパンを仕込み、これから仕事をしたいな、なんて考えている私。
もう、だれか止めて〜。