「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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今年わかったこと
 今年もあと4日。
今日が仕事終わりの人も多いのではないでしょうか。
私も年明け納期の仕事は抱えていますが、いつもよりは仕事以外のことに時間がさけます。
昨日は午前中は受験生の娘の用事、午後は1階の窓ふきを。
EXILEのCDを聞きながらタオルでふきふき。
CD1枚では終わらなかったけど、2枚目の数曲で終わりました。
こないだいつやったのか忘れたけど、意外と汚れておらず。
冬場はあまり汚れないのですね。

先日大津のSPOONで購入したムレスナティー。
これは違う種類のティーバッグが16個入っているもの。
いいですねえ、毎日違う味が楽しめて。
昨日はトロピカルフルーツ、今日はマンゴープリンを淹れました。
どんなに忙しくても紅茶の香りを楽しむくらいのひとときは持ちたいと思います。


夜は年賀状を。
最近、自分用と家族用とをわけて作っているのですが、どちらも今年は下の娘が作ってくれました。
いやあ、いまどきの子はパソコンを使うのが上手。早~い。
あっという間にいい感じのデザインのものを作ってくれて、文章の打ち込みまでやってくれました。
文の校正までも。ここ、ちょっと削ったらなどと言われて。
頼もしいものです。

今朝は今年最後のヨガに行ってきました。
人数が少ないかなと思ったけど意外と多く。
リラックス&リフレッシュできました。

ヨガの先生がいつも言われる言葉。
「他人は見ない」
「鏡は見ない」
「自分の心の声に耳を傾ける」
「内側の自分を見つめる」
「今の自分にとってちょうどよいものを選択する」
などなど。。。
少しずつ少しずつそういう考え方が自分にもしみ込んできたような気がします。
もともとヨガの精神を取り入れたといわれる断捨離では
「自分をご機嫌にする」
「自分の尺度だけで取捨選択する」
「開き直る」
などなど。。。
やはりヨガに通じるものがあります。
それらの言葉も自分の中に取り込まれてきたなあ、と最近感じます。

一番わかったことは、世の中すべてを自分が正しいと思うものに変えることはたぶんできない、ということ。
そして気づいたことは、自分をご機嫌にするためには、捨てるべきことは捨ててしまうということ。
捨てるということは残したものに焦点を当てるということ。
だから、世の中や周りの人や境遇やその他もろもろを嘆いている時間は捨てて、自分が一歩でも前進できること、自分が幸せになることにエネルギーを注いでいきたいと心から思っています。

私はもともと理想主義で、あきらめの悪い性格で、そいういうことを自分以外の人にも強要していたような気がします。
でも人の気持ちって、自分では変えることはできない。
無理なものは無理だとわかりました。
無理なものにしがみついているのは、自分がやれることをやらない言い訳にしかならないことに気づきました。
例えば人間関係で悩んでいるとして、
あの人はどうしてこうなんだろう、とか、どうしたら自分との関係がよくなるのだろう、とか、そういうことをいつまでも考えてしまう時がありました。
でもその悩みの渦から脱出して、自分とその人との距離の取り方や、接し方を変えるという行動に移したり、あきらめるという開き直りの選択をすることで、本来やるべきことにエネルギーを使えるようになりました。
もちろん深く深く自分自身を見つめることは必要。
私ってこういうことで傷ついたんだ、とかこんなことを求めているんだという自分の思いは深く掘り下げればいい。
そして、自分がご機嫌になるように自分でプロデュースする。
好きな人といっぱい時間を過ごすとか、楽しいことをするとかで自分を幸せにする。
結構、その努力もめんどくさいといえばめんどくさいんですよ。
それよりは、悩みの渦の中でウジウジとしている方が楽な場合もある。
そうすることで、自分がやらなければならないこと、本当に考えないといけないことから逃げている場合もある。
まず、自分を幸せにしましょう。できることから。
他に求めるのではなく、自分から。
好きなもので周りをいっぱいにし、嫌いなものとは上手につきあい、無理はしない。
こうあらねば、は捨てる。
そしたらいつもご機嫌なはずです。

まだまだ「いつもご機嫌」の境地には達していませんが、かなりよくなったと思います。
嫌なことを前ほど引きずらず、すぐに次の自分の楽しみを見つけることができるようになってきました。
嫌な思いは捨ててしまいましょう。
心配な思いも捨ててしまいましょう。
今この瞬間をご機嫌に生きましょう。
そして唯一変えることのできる自分だけを自分の思うように変えていきましょう。
一番楽しい、でも一番難しいことだけど。

来年も自分と精一杯向き合って過ごしていきたいと思います。






することいっぱ〜い!
火曜日はお友だちと近所をウォーキング。
歩きながら口もよく動いていました。

水曜日は娘の友だちがうちに来て、お昼にたこ焼きを焼いて食べました。
小枝(チョコ)入りの当たりあり。
あと、ミカン入りも。
たこ焼きメインの食事って関西ならではなのかな。



















冬場に仕込んだ味噌を開けました。保存容器に小分けしておきます。
味噌の仕込みは最初何回か習って、ここ数年は自宅で。
仕込んだ味噌の上にラップをしき、重石を置くとほとんどカビません。
これで来年もおいしい味噌汁が飲めますね。






クリスマスが終わると年末ムード。
主婦にとっては掃除が気になるところですね。
日頃からやっておけばの後悔と、寒いしいろいろ忙しいからやりたくないなあというぐずぐずした気持ちが交差します。
こんなときはあれこれ考えるのをやめて、目につくところからやっちゃったほうがよさそう。

掃除だけでなく、まだ年賀状も仕上がっていないし、年明け締切の仕事もある。
受験生の子どもの用事もいろいろと。
これらも「あ〜やることいっぱい」って考えるだけで疲れるのはやめて、どんどんやっていけたらいいですね。

新聞か何かで読んだのですが、長生きに有意に関連する性質(つまり長生きした人に共通の性質)は「勤勉」だそうです。
勤勉とか、働き者になるとかって今の時代ではかっこ悪いイメージに映るかもしれないけど、きっと大切なことなんですね。
きれいな仕事がしたい、頭を使った仕事がしたい、座ってする仕事がしたい、なんて言葉を周りでも聞きますが、結局どんな仕事でも泥臭い部分、面倒くさい部分はあります。
それをどう乗り越えるか。
仕事や暮らしで素敵に輝いている人で、めんどくさがり屋さん、腰の重い人はいないような気がする。
さてさて、あれこれ考えずに身体を動かして一つ一つ片づけていきましょう。

Wonderful Christmas Time
 昨日は下の娘のダンスの発表会。
上の娘からお世話になってはや9回目の発表会。
小学校卒業と同時にダンスには区切りをつけるつもりの娘。
だからこれが最後の発表会。

ステージの姿を見ていると、家でも一生懸命練習していた姿が思い出され、
胸が熱くなりました。
たくさんのことを教えてくれたダンス教室。
先生、仲間に感謝です。

実は私の誕生日でもあったその日。
みんな忙しいし、そんなこと言ってられない。
でも、やることはきちんとやりました(^_^;)

誕生日プレゼントを買いにパルコまで。
サテライトのSPOONでランチしました。

SPOONがパルコにあることがわかって行ってみたかった所。
3階からの見晴らしもよく、もちろん紅茶もおいしく。

午後はダンスの発表会。
夜はクリスマス会&誕生会。












子どもたちからプレゼント。
あったか毛布(ケープにもなる)やジンジャーシロップなど。
心もからだもあったまります。
「座ってていいよ」と言われるのが一番うれしい!?
上げ膳据え膳は主婦の夢なのです。

ステーキを食べ、ワインを飲んで、ケーキを食べ、テレビを見て笑う。
なんてことないけど、なんて幸せなこと。

何も与えることができないときは時間をさしだせばよい、ということを本で読みました。
そうですね、何をしたらいいのかわからなくても、誰かのために自分の時間をさしだしたい。
家事でも用事でも、それはくだらないことではなくて、自分の時間を誰かのためにさしだしていること。
そう思うと、同じことをやっていてもそこには心が入っているような気がします。
仕事にそれほど追われないであろう年末年始は、ゆっくり休むのも大切だけど、誰かのために自分の時間を使うことも意義があるなあ。
そんな風に思っています。
全部は無理と知ってから
 最近の自分、ほんとに変わったなあと思うのは自分の限界を知ったこと。
もともと理想主義者で頑張りやで欲張りな私は、これは無理だし、と思うことが嫌いだった。
でも断捨離の考え方に出会ってから開き直ることを覚えた。
例えば使いこなすつもりで買った道具がそれほど使いこなせずに棚の奥で眠っていたり、着るつもりで買った服がほとんど新品同様で吊るされていたり。
そういう場合はなんとか元を取るまで使いこなそう、使いこなせなければダメ、と思い込んで結局そのまま捨てなかったり。
自分はできると思っていたんですね。
そう、時間さえあればできる、いつかはできる。
そしてできなければならない、と思い込んでいた。
でも、実際はできないんです。
そしてできなくてもいいんです、仕方がないんです。
その分、そのエネルギーを別の方向に持っていけばいい。

人間関係でも今まではやはり理想主義というかあきらめるということを知らなかった。
でも、今は分かる。
今、この時点では無理なことってある。
それにたとえば100人いれば100人に好かれようなんて無理。
100人のうちの好かれていない10人に好かれる努力って必要?
完璧って必要?
完璧にするためのエネルギーを別のところに使った方がいいのでは?

そういう考え方ができるようになってきました。
楽になりました。
自分の限界を知りました。
完璧は無理ということ。
自分は自分以上にはなれないということ。
そして自分の人生の時間は有限だということ。
有限だからこそ有意義に使いたい。
あれもこれもとつっこんでいては本当にしたいことができなくなる。
それがやっとわかってきました。

それがわかるとあまり細かいことが気にならなくなりました。
例えば最近書いていた苦み。
苦い体験をしたとして、その苦みを味わい尽くすことが私の人生でやりたいことなのか、
それともそこはさらっと流して人生の美しい部分を味わうことがやりたいことなのか。
苦みをなくすことは無理なんです。
人を、世の中を、環境を自分の思い通りに変えることは無理。
でも自分は変えられる。
自分の受け取り方、自分の働きかけ方、自分の距離の取り方は自分次第。
皮肉な目線を世の中や他の人に送っているうちに人生は終わってしまう。

ヨガの考え方がかなり影響していると思います。
一瞬一瞬の自分自身を大切にする。
わざと自分を傷つけることはしない。
でも適度に鍛えていく。
まわりは関係ない。
自分自身の心地よさ。

自分の心の声に耳を傾けて。
本当に素直な気持ちで一瞬一瞬を過ごしていきたいです。

ありがとうございます
 毎日寒いですね。
今日は娘たちの2学期最終日。
さあ、午前中はヨガに行ってきましょう。
昼からは娘のお友だちと親子とイオンまでショッピングに行く予定。
み〜んなしゃべりたいこといっぱいですごい楽しみ。

このブログ、ごくごく身近な人にだけ開設したことをお伝えして、特に幅広く世間の皆さんに見てもらおうという努力は行ってこなかったのだけど、毎日のアクセス数をみると100人/日を超える方々がのぞいてくださっている。
最近は知り合いが見ているということも忘れ、好き放題書いているし、こんな内容公開してもいいのかな、と思うときも多いです。
コメントはめったに入らないけど、見てくれている方がいる。
すごくうれしいです。
ありがとうございます。

見てくれている人が何を求めてこのサイトに来てくれているのかはわからないけど、もしこんな風なありのままの自分の気持ちを読んでくれる人がいるのなら、心強いことです。
何か共感してくれているのかな、と。

これからも素直に書いていきますね。
実は書けない内容もいっぱいあるのですが。。。
これを見てくれている人は、全部を言わなくてもいろいろと想像したり、察してくれることと思います。
本当は少々恥ずかしい。
落ち込んでいる自分。頑張っている自分。悩んでいる自分。
でももしそれに共感してくれる人がいるのなら。。。

これからも書き続けていきたいです。
笑って流す
公募ガイド応募用に娘が描いたはがき。
そうそう、言いこというね〜!
笑ってばかりはいられない。
泣きたいことの方が多い。
そういう体験を積み重ねてきた大人だからこそ、笑うことが大切。

前日のブログでは私の小さな体験を苦みたっぷりに書いてみたけど、とり方によっては苦くもなんともないことです。
たぶんそれくらいの苦みは私も人に対して与えていることだろうし、苦みをまったくだれにも与えずに生きていくなんて不可能です。存在そのものがだれかを傷つけることもあるのだから。

だからどんどん流していきましょう。
苦い瞬間は苦いな、と思ってもいい。
無理に感情にふたをしなくてもいい。
でもその感情は味わったら流す。
思い出してもう一度味わわなくてもいい。

それよりは甘味、うま味を感じる努力をしたい。
根底に流れる情というものを感じることができれば通じ合うことができるはず。
お互いに小さなことは水に流していきましょうよ、ということ。
「小さくはないよ、大きなことだよ」という人がいたらそれはその人の器が小さいということになるかも。
「許せない」って感情、わかります。
わかるけど、それは自分の限界。
自分の限界さえ外れれば許せるはず。
ああ、ここが自分の限界なんだな、と自分自身をまず許す。

「たいしたことはないよ」と流せる自分。
こだわっているなら自分がまだまだたいしたことがないんだな、と思う。
逆に流せれば流せるほど、器が大きいことになる。
けんかしていた子どもたちが次の日は一緒に遊んで笑い合っているような、そんな器の大きさ。
私たちも取り戻していきましょう。

仕込む
 昨日は午前中美容院へ。
夜は約1名忘年会で不在予定なので、自分の時間がたっぷり。
こんな日はバッチリ仕込みます。
美容院帰りに本屋さんへ。
カントリー雑誌、英会話のテキスト、公募ガイド、小説などを買い込み。
スーパーで晩御飯の材料と酎ハイも買って。

仕事をし、夕飯準備もやって。
あとは急ぎの依頼以外は自由時間。
夕食までに小説を半分読み終わり。
子どもたちと夕食を終えて入浴後はパラダイス。

よっしゃー、小説の続きが読める。
夢中でページをめくり、あーあ、終わっちゃった。
酎ハイ片手に異空間への旅。
もう読みおわちゃったよ〜。

自分のために買ってみた「公募ガイド」。
私と似た性質の次女が飛びつきました。
ちょうどその日学校で、先日入賞したポスターの景品をもらったそうで。
図書カード3千円とノート5冊、蛍光ペン10色セット。
喜んでいました。
味をしめたのか、たまたま見せた「公募ガイド」から早速自分の取り組みを決めて。
猫の絵を描いていました。
私もいくつかやってみたいのが見つかったので、これから楽しみです。

その日買った小説は辻村深月さんの「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」。彼女の作品は初めて読みます。
あ〜、わかる、という箇所続出。
人間関係の苦みをすくい取って見せてくれる感じ。
わかる、その苦み。
でも結構私は甘味やうま味の方を味わうタイプかな。
苦みがあることはわかっている。
でも苦みだけではないとも思っている。

結局苦みを味わいたいのか、甘味を味わいたいのかもその人その人の選択。
この小説を読んで一番思い出したのは自分がこれまで感じてきた疎外感。
いや、自分としては疎外されたとは思っていないのだけどね(^_^;)。
ふーん、そう思うんだ、としかこっちは思っていないし。
例えば中学時代は「なんでそんなに勉強するの?」から始まり、担任の先生にひいきされているだの、変わっているだの、いろいろ言われていた。
気にしないようにしていたけど。
同類が集まるだろう高校時代は、理解しあえる人も多かったけど、「あなたのことガンバリちゃんって呼んでいるのよ」と部活仲間に言われ、どう好意的にとってもそれはたぶん批判的意味合いだったようで。
そんななか、がんばることってダメなんだ、恥ずかしいことなんだ、と思うようになっていたのは事実。
ほらほら、いっぱい苦い体験はあるよ。

でもね、それでも楽しかった。
仲間といるのが理由なくうれしかった。
たとえ異人種と思われていたとしても。
もうその頃から開き直りの性格だったんですね。
そして、たぶん強い性格。
自分では強いとは思っていないけど、よく周りから言われるから。
「あなたみたいに強くはなれない」
「あなたみたいに強い人はいないよ」と。
えー、みんなおんなじでしょう、と最近まで思っていたけど。
違うんだと思った方がうまくいくことが多いかもしれない。

まあ、こんな私の苦い気持ちを代弁してくれるような表現がこの本にはいっぱいあって、そっか〜こんな風に言い返したらいいのか、なんて思ったりもしたけど、やめておきます。
苦みだけみたら苦いんだけど。
甘いところもいっぱいあるから。
人はみんな弱くて、でも優しくなりたい、強くなりたいって思っている。
それは同じだと今でも思っています。

本の感想で終わりそうですが、今日言いたかったことは、楽しむ時間のための仕込みもまた楽しいものですね、ということ。
夜の読書の時間を最高に楽しむための準備みたいな。
まるでニンジンをぶら下げた馬のようでもありますが、先の楽しみのための準備はまた楽し。
できることなら、追われる毎日ではなく、準備して待つ、そして思い切り楽しむ毎日を送りたいな。
重い腰を上げて、先の楽しみのための準備をやっていきましょう。


変えられることを変える

昨日寝る前に本棚をあさっていたら昔買った"DON'T SWEAT THE SMALL STUFF..."が出てきたので睡眠導入剤として(笑)読み返してみました。
この本の訳書「小さいことにくよくよするな!」(リチャード・カールソン)は日本でもベストセラーになりましたね。出版からもう15年くらいたつけど、日本はアメリカの10年後をいく、なんて言われていたから今読んでもちょうどいいかもしれない、なんて思って。

本の最初の方の一節。
"Change the things that can be changed, accept those that cannot, and have the wisdom to know the difference."
が心に残りました。
「変えられることを変えろ、変えられないことは受け入れろ、その二つの違いが分かる賢明さを持て。」
まあ、直訳するとそんなところでしょうか。
なかなか深いですね。
「変えられることを変える」前に、「変えられないこと」に悩むのに時間を使って「変えられることを変える」エネルギーが枯渇してしまったり、「変えられないこと」を「変えられること」と思い込んで無駄なエネルギーを使ったり、またその逆に「変えられないこと」と思い込んで「変えられることを変える」努力をしていなかったり。
お〜、難しい。

シンプルにやってみましょう。
自分が心地よくなるためにはどうしたらいい?
欲しいものに手が届かない場合はどうやって自分を慰める?
がんばりぬく努力も必要だけど、代わりに手に入るもので同じ満足が得られるならそれでもいいはず。
あきらめるという選択肢もある。
「あきらめる」っていうと悪いことみたいだけど、そうではない。
「見極める」ということ。
自分が変えられないものを「変えられないんだ」と見極める。
ではそのかわりに何か変えられるものはないかな?
努力次第ですすんでいけることってまだあるのでは?
人からもらう幸せに期待する代わりに自分で自分の幸せをプロデュースする。
おいしいお茶を飲むだけでもいいんです。

自分で自分を幸せにする。
その決心をした人から幸せになっていけるような気がする。
変えられることを変えていきましょう。


次は?
 1週間ほどアメリカに出張していた夫くんも帰国し、ゆったりとした週末。
両親が遊びに来て、うちで忘年会をやりました。

今の仕事のペースにもようやく慣れてきて、少しだけ心にゆとりが生まれてきた今日この頃。
図書館で本を借りまくり、思いのままに読んで読んで読みまくるのが楽しい。
お友だちが貸してくた三浦しをんさんの本がすごくおもしろかったので、普段あまり読まない文芸作品も図書館で借りてみました。
小川洋子さんの「博士の愛した数式」が話題書コーナーにあったので読んでみました。
結構感動。
今は「妊娠カレンダー」を借りています。
あとはよくのぞかせてもらっている翻訳者さんのブログで紹介されていた本や、私の好きな「生活を楽しむ」的な本を数冊。
高校の時の夢は「作家になること」だった私。
小説を書いて、友だちに読んでもらっていたなあ。
なぜだか理系に進んで、作家の夢からは遠ざかっているけど。
文章を書くのが好きだから翻訳の仕事は自分に合っていると思えます。

今はなれるならエッセイストになりたいなあ。
これといってテーマはないのだけど何かについて思っていることを書いてと言われたら結構すぐ書ける。
本当の本当の野望は自書を出版することだったりして。
翻訳書を出版することではなく。

仕事が少し落ち着いたのでこれからのことを考えています。
もっと仕事をしていくというのも一つの道。
そして自分の楽しみはどこに持っていく?
野望に向かっていくのもいいかもね。

楽しく将来のことを考えています。
ひとりひとりに与えられた場所で
昨日は雪がちらつく中、ヨガに行ってきました。
今日も寒いですね。
でもこんなときこそ思い切って外に出てスイッチON。
歩いて5分かからない図書館に行き、帰り道のスーパーで買い物をして帰りました。

最近自分の仕事に制限を加えることをやめようとしています。
制限というのは、自分の中での無理ながんばり。
無理なというよりはあまり意味のないがんばり。
例えば朝から夕方まできっちり仕事しよう、とか。
時給を上げるために効率よく仕事しよう、とか。
翻訳者っていうのはこうあるべきだからこういう風に時間を過ごそうとか。
自分が囚われているイメージからのしばり。

そのかわり、前にも書きましたが、納得のいく仕事がしたい。
仕事も含めての生き方といってもいいかもしれない。
お客様に誠意をもって。
そして自分の生活も大切にして。

翻訳者としての自分の立ち位置や出世レース(あるかどうか知らないけど)での順位を気にすることはやめました。
目先だけのことにとらわれたくもないな、とも思います。
その方が気持ちがいいから。

昨年ロードショーを見に行って、大ファンになった「幸せのパン」。
先日WOWWOWでやっていたのでもちろん録画。永久保存版。
見返してみて、やはり感動。
そう、こういう風に生きていきたい。
このパン屋の夫婦のように。
地道な仕事で人に感動を与えたい。
改めてそう思いました。

今の仕事は、毎日小さな小学校の給食のパンを焼くこと。
毎月リクエストが入る定番のパンを大量に焼き上げること。
そしてたまに新メニューのパンを頼まれて焼くこと。
例えてみればそんな感じです。
どの仕事も大切。
どの仕事も心をこめてやりたい。

ライフワークとは仕事ではなく生き方だ、と本田健さんの著書にありました。
以前は意味がわからなかったけど、今はわかります。
私だけの、オリジナルのライフワーク。
育てていきましょう。