本棚にあった本を読み返しています。
「翻訳読本」/別宮 貞徳(講談社現代新書)
おそらく翻訳の勉強を始めたころに買ったものだと思われます。でもその内容に当時はそれほどピンときていなかったかも。
今読み返すと、ため息が出るほどうちのめされ、でもそれは心地よい痛みであり希望でもあるため逆に元気が湧いてくるという不思議な感覚にとらわれました。
「第一に必要なこと」という第1章目に一番大切なことが書かれていました。
「翻訳力とは何よりも日本語を書く能力であり、翻訳者はまず文章のすぐれた書き手でなければならない」
「外国語の能力と翻訳は別」
「名翻訳家は名文章家」
などなどは、あらためて心しておきたいところです。ただ、どちらかと言えばこれらは文芸翻訳者の資質かなあ、なんて自分に逃げ道を作りかけたのですが、その後続くのが、
「たとえ文学ではなくても、翻訳をするからには、これだけはおろそかにしていただきたくない。それは、美しい日本語を書くということ」
という主張。意味さえとおればいいという考え方は捨てるようにと。そして
「美しい日本語が書けない人、書こうという意欲のない人は、はじめから翻訳を志すべきではありません」
と締めくくられています。
その後の章では「美しい翻訳」とそうではないものとの違いがくわしく説明されています。訳例の素晴らしさに頭が下がります。そう、結局日本語を書くことなのですね、翻訳(和訳の場合)というものは。日本語の文章を作り出すことなのですね。
もう一つ最近読んだ本がこちら。
トム・ラングの医学論文「執筆・出版・発表」実践ガイド (シナジー)
この本の目的は書名のとおりなのですが、翻訳者の観点からすれば、「ヘルスサイエンスにおけるライティングとはどうあるべきか」について触れている部分が参考になると思います。
論文執筆にあたり「内容さえ良ければいい」という考え方は大間違いだと指摘し、効果的な読みやすい文章を書くためのポイントをわかりやすく説明しています。例えば
Original: There are some genetic factors that may influence the outcome.
原文:
いくつかの遺伝要因
があり、それが結果に影響する可能性がある。
Revised: Genetic factors may influence the outcome.
修正文:遺伝要因が結果に影響する可能性がある。
無意味な単語(下線部)は削除し、思考上の真の主語(ここではfactors)を文法上の主語にすると効果的であるとしています。
さて、仮にOriginalの文章を訳すことになった場合、どのような訳にするでしょうか?「いくつかの遺伝要因が〜可能性がある。」としても間違っているわけではありません。原文に忠実といえば忠実です。合格点といえば合格点なのかもしれません。でも、伝えたい内容を効果的に伝えるためには、思い切って修正文の訳文「遺伝要因が〜ある。」とまでする必要があるのかもしれません。となると、翻訳者はまず英語を修正し、それから日本語に訳すことになります。難しいといえば難しい。でも「美しい日本語」にするためにはそういうことが必要なのかなあと思います。
刊行にあたり監訳者が本書のメッセージとして「研究活動の表現には機能美があること」「"見た目”と"中身”を調和させ、高み(integrity)を目指すこと」を挙げておられました。
「機能美」、それこそが私が目指す実務翻訳の理想です。
文芸翻訳でなくても「美」を追求するべきなんだ、とこれら2冊の本から教えてもらい、自分がなぜ翻訳が好きなのかがあらためてわかりました。
内容がおもしろい、というのも大きいのですが、「美」を追求する仕事であること。それが私が魅力を感じる点のように思います。
まだまだ自分が美しいと思える翻訳にまではたどり着いていません。これからは一層「美しさ」に磨きをかけていきたいと思います。