「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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リバーサイドにて
SDLのTrados Studio入門セミナーを受講しました。

☆いただいたメモ帳。

この日は「SDLランゲージテクノロジー製品紹介セミナー2014」と称するセミナーが1日開催されていたのですが、私は午前中に行われた入門セミナーのみ受講。
駆け足の内容でしたが、便利な機能をたくさん教えてもらったので、これから試してみようと思います。
まだまだ深いなあ、Trados君。半分くらいの機能しか使っていないけど、すでにもう手放せない存在です。
Studio2014にアップグレードするメリットは、今回のセミナーでは伝わらなかったので、しばらくは2011を使おうと思います。


その後、セミナーが開催された大阪国際会議場からほど近いリバーサイドカフェにて、お仲間とランチ。



☆シラスのパスタ、ヘルシーでしょ。


ワイワイとおしゃべりを大いに楽しみました。やっぱりFace to Faceが最高ですね!
元気をいっぱいもらいました!


今日は、落ち着いたときを過ごせるかしら。
今のうちにお茶でも一服いただいておきましょう。











 
自由気ままに
お気に入りのリバティのワンピース(自作)を着て、朝から用足しを兼ねて近所をお散歩。



☆この花柄がたまりませんね。

途中で神社やパン屋さんにも寄りました。
いつもなら絶対自転車で行くけど、ちょっと散歩がしたかったから徒歩で。
いい気分転換になりました。

気ままに歩いているとしみじみと自由を感じました。
ああ、開放感!
私の優先順位ってなんだったんだろう。
効率?時は金なり?
そういうことに縛られていたなあ。
つらつらといろんなことを考えました。

子どもたちが小さい頃、よく通った道。
なんであんなに急いでいたのだろう。
なんでもっと楽しまなかったのだろう。
今になってそう思います。

だから、この今を楽しみたい。
後から「なんで」と思わないように。
歩みがのろくてもいいじゃない。立ち止まって休憩してもいいじゃない。
景色を楽しむ余裕がほしい、そう思います。


自由な心で毎日を過ごしたいですね。





 
雨の日に

☆深紅色のゼラニウム。雨空の中で目を引きます。


雨の音を聞きながら、パソコンに向かう時間。
通勤時間0分の快適さ、手放せませんね。


今日はしっとりと1日を過ごしてみましょう。


 
お手本となるのは

☆阪神ワインフェアで注文したワインが届きました。ん〜、そろそろワインセラーが欲しい。




ここのところ月曜日納品が続いていましたが、今週末はそれがないので久しぶりにゆっくり。来週の仕事にとりかかるのは月曜日からにしましょう。

ゆったりとしたスケジュールの中、ジムで汗を流したり、子どもの用事に付き合ったり。昔買った本を読み返したり。


そんな中、今読んでビビッと来た本がこれ。


暮しの手帖別冊 暮しのヒント集3

暮しの手帖別冊 暮しのヒント集3 2014年 01月号 [雑誌]

暮らしを大切にしている人たちからヒントをもらえる本です。

好きなことを仕事にして、仕事も暮らしも大切にしている人たちばかり。


その中の言葉からいくつか。

「日常生活では『こうでなければならない』と、物事を決めつけすぎないようにしています」

この言葉は「日常生活」を「仕事」に置き換えてもいいと私は思います。


(仕事が趣味のようで、熱中し過ぎて、オンとオフが曖昧になりがち」なご夫婦の言葉
「仕事は報酬が目的ではなく、仕事そのものが報酬です」

そんなふうに生きたいと心から思います。


「ものも情報も、少ないほうが豊かに暮らせる場合があります。際限なく増幅する余分なものを省くと、自分の価値観が見えてきます」

断捨離的な考え方ですね。でも本当にそうなんですよね。絞っていくことで自分が見えてくる。自分の本当のお気に入りだけが残る。ものだけでなく情報もそうなんですね。



素敵な言葉、素敵な暮らし方ばかり。
業界誌を読むよりモチベーションが上がりました(笑)。


やる仕事は違っても、住んでいる環境は違っても、自分の人生を慈しみ、充実した時を過ごしたいという願いは同じなのですね。
私の場合は、起きている時間全てを美しく楽しく過ごしたい、というのが究極の目標なんだと再確認しました。
そのための仕事。それ以上でもそれ以下でもない。
おいしい朝食を作って、家族でテーブルを囲む、その時の満足感と、やりたい内容の仕事をやって自分なりによいものを提出して、先方からも認めていただく、その満足感はほとんどイコールなのです。
以前は 仕事>それ以外 という気持ちが強かったかもしれません。それはたぶん、仕事以外を義務的にやっていた部分があって、それから逃れたかった、もっと自分がしたいことを思い切りしたかった、というのが大きいです。でもよく考えたら、必ずしも仕事が第一優先ではないのですね。美しく楽しく過ごせれば要はなんでもいいのです。

社会とつながっていたい欲、ビジネスとして評価されたい欲があるので、プロになりたいというのがまず根底にあり、その上でやっていて楽しい仕事、それが私の場合は翻訳だったということですね。
楽しいですよ〜。大好きな英語を読み、興味深い内容を理解し、またまた大好きな「文章を書く」という作業をする。
最近は仕事の分野や領域も絞り込んでいるので、ますます楽しくなりつつあります。
楽しいなあ。もうそれ以上でもそれ以下でもないです。
だから、他のことを捨てる必要もありません。同列ですから。
まあ、もちろん仕事がノッていると義務的な家事はやりたくありませんが、要は義務的なことは何もしたくない、ということですね。

全てがやりたいことだけやれたら、もう最高。
それを目指していきたいです。











 
楽しい京都遠足
京都は清水寺近くにあるお茶漬けバイキングのお店「阿古屋茶屋」に行ってきました。


☆意外とわかりにくい場所。



☆お椀にあるのは味噌汁の素。


激混み覚悟で行ったのですが、すいていて拍子抜け。待たずに入れました。
漬物はさすがの品揃えで楽しめました。お茶漬けにして食べるのがおいしかったです。
ただ、私にはよくあることなのですが、話に夢中で食べる方がおろそかになりました。
昨日は同業の方と3人で行ったのですが、話がおもしろすぎて、食べるどころではなかったです。



☆地下鉄四条駅でおみやげに買ったクリスピークリームドーナツ。まるでケーキのよう。



せっかく京都まで出たのだから寄らずにはいられない書店にてこれを購入。

精神科薬物療法のプリンシプル/中山書店

中身を見てほとんど即買しましたが、アマゾンのレビューでも高評価を得ていますね。


もう少しで買いかけたのがこの本。

抗がん薬の臨床薬理/南山堂
抗がん薬の臨床薬理
南山堂のサイトを見ると、えっ、品切れ状態?アマゾンでも新品在庫なし?これは買っておくべきだったか。
迷ったけど棚に戻してしまったのです。
いやあ、初めて見たけどいい本なんですよねえ。お値段もいい本なんですけど。
次に書店に行った時には(もしあれば)買ってしまいそうです。


昨日はおでかけ日和で、京都遠足はとっても楽しかったです。もちろん、同業の方々とのお話からは得るものがたくさんありました。
さあ、これからも「ありのままの姿」を見せて、「ありのままに」生きましょう!











 
良く見せようとしない
昨日は春季総体。次女も試合に出場。お疲れ様の気持ちを込めて、好物のグラタンを作りました。





午後、お友だちと久しぶりにお茶しました。
そこで思い出しました。そう言えば出会った当初、同じ役員をやっていた仲間が「私たちは負けず嫌いやから」と言ったとき、「私は違うし」と思っていたことを。そしてお友だちに「そう思うこと自体がもう負けず嫌いやねんて」と言われ、二人で大笑いしたことを。自分の感情をありのままに表現することの清々しさをその時に知りました。その役員グループは「チーム負けず嫌い」と呼ばれ、終わった時は校長先生からその名前で手作りの賞状までいただきました。あ〜、楽しかったなあ。

その後いろんなことがあり、落ち込んでズタボロな自分になった時期があったのですが、お友だちにはそのありのままの姿を受け止めてもらいました。最低な自分。でも不思議なことに、最低な自分をさらけ出したことで逆に自信が芽生えたのです。こんな最低な自分でいいんだと。ありのままの自分でいいんだと。弱い自分でいいんだと。それまでは強がっていたなあ。でも本当は自信なんてなかったのですね。



さて、挑戦記です。

昨日お友だちと話していていろいろ思い出すうちに気づいたこと。
それは、「良く見せようとしない」ということ。
そのお友だちが言っていたのだけど、「わかる人にはわかってるねん」ということ。
私は今まで能力がない(と自分では思いがちな)自分を隠したかったんですね。
だから、苦手な分野でもなるべく引き受けようとしたし、「できます」というのがカッコイイと思っていました。
でも、今回やりたいことをやりたいと言うと決めたら、逆に苦手な分野は「ちょっと難しいです」と言えそうな感じになってきました。
そんなこと言ったら能力がないと思われるのが怖くて言えなかったのですね。
でも、きっと、わかる人にはわかっているのです。
能力があるのかないのかは。
だったら素直になったらいい。良く見せる必要はないのですね。
そして「これなら得意です」「これは好きです」は、バンバンお伝えする。
人間って、基本的には相手を喜ばせたいと思う性質があるのではないでしょうか。
依頼する側も「ああ、これ、喜んでくれそう」と思う人に依頼したいですよね。もちろんそれが一番の理由にはなりませんが、潜在意識として。
だから、まずは自分からリクエストする。そんなに大げさではなく、何かの機会にさりげなく。

自分にとってチャレンジャブルだけどワクワクする仕事が舞い込みそうな気配が最近ありました。
その仕事をするのがとっても楽しみです。






 
観察が楽しい
夫の東京出張土産のかりんとう。「出張費、そんなに出ないんだから」と言いつつ、行くたび(週1ペース)にいろいろと買ってきてくれますが、全然ネタがつきないですね。東京という街はスゴイなあ。でもたぶん関西の街も知らないだけで、たくさんのおもしろいものがいろんな場所にあるような気がします。



今朝は少しだけ庭の草むしりを。やりたくない自分に「これはゲームなんだ」と呪文をかけてみました。葉っぱの数だけポイントアップ。太い根っこつきだとスペシャルボーナス、って感じで。私はゲームをしないけど、子どもたちがやっているのを見ると手を動かしてポイントを稼ぐという感じなので、じゃあ草むしりも同じだね、と。呪文のおかげで作業がサクサク進みました。



JR西日本が豪華寝台列車のイメージを発表したと今朝の新聞にありました。
最上級室のバスルームの写真を一目見て、「行きた〜い」となりました。調べてみるとルートは京阪神から日本海や瀬戸内をめぐるもので、料金は「ななつ星」よりはお安いとのこと。ほ〜。
一緒に行ってくださる方、募集中(って私が行けるかどうかですよ、いろんな意味で)。人生をディープに語り合いましょう(笑)。





さて、翻訳です(某雑誌のメルマガを真似してみました)。いや、翻訳ではなく、アラフォー(あっ、これももうミッドだった)女子の挑戦記です。

先日「やりたくない仕事をやめ」て「やりたい仕事だけをやりたいと言う」という挑戦(大げさ)をしたことは、もうご存知の通りかと思います。1つわかったのが「うまくいっている人の常識」は「うまくいっていない人の常識」とは違うということ。
私自身、自分はまだうまくいっていない(と思っている)ので、うまくいっている人の常識をなかなか素直には受け入れられません。正直、半信半疑です。でも、思いきってうまくいっている人の常識を取り入れると、思ってもいなかった世界が広がることがありますね。
それと「うまくいっていないと思う」ことをやめる、というのも私には必要だなと思います。これもうまくいっている人の常識にかなうことだと思うのですが、「私ならできる」と思うことですね。いろいろと自分の中に抵抗勢力はあるんですけどね。
仕事をしていると挑戦の連続で、どうしよう、飛ぼうか飛ぶまいか、と思わず足が止まることもしょっちゅう。本当はやりたいけど、でも私なんて。。。とか。もうちょっと勉強して準備が整ってから、とか。でも準備準備って、いつ準備が完璧になるのでしょう。準備で一生が終わりそうです。準備は不十分かもしれない、でも飛んでみる。もうその勇気を持つことしかないですね。

私は今、自分自身を実験台にして「うまくいっている人」ならこうするだろう、というやり方を試しています。ちっぽけな自分のオリジナルの考えは少し引っ込めて、新たなやり方を試す。おもしろいですよ。自分がどうなるのか毎日観察しています。とりあえず今のところいい感じです。これからどうなっていくのか、ワクワクします。









 
なりたいものは
 大好きなブロガーさんが作っていたので、私も作ってみました。コブサラダ。



アボカドの種を取るのが難しかった〜。これにブラックオリーブなんかが加われば色合いが締まりますよね。
後はチキンのソテーなんかも加えるとサラダだけでなかなかのボリュームになりそうです。




複数のお知り合いが話題にしていたので、私もこれについて触れておこうかなあ。

通訳翻訳ジャーナル 2014年7月号
通訳翻訳ジャーナル 2014年7月号

実はアンケートに回答したので先日送られてきたものです。
今回は「翻訳者の収入&料金」という内容でした。

何書いたか忘れちゃっていましたが、自分が提出したものを確認したところ、お〜、載っていましたよ。翻訳者からのメッセージコーナーに。

「好きで選んだ仕事だが、
労力に見合った報酬を得ることができないとモチベーションが下がり、
仕事の品質にも影響を与えるので単価は上げたい。」

提出したものそのままではないですけど、これですね。

「私は」翻訳の仕事を「勉強になるから」と習い事感覚でやっているつもりは全くなく、その道のプロになりたい、プロとして扱われたいと強く思っています。
まあ、それが自分にとってはイバラの道でもあるわけですが。
でもいつも最終的にはそこに目を向けています。
勉強するのもそのため。情報収集もそのため。
がっついている感じがもしかしたら周りに不快感を与えているのかもしれないけど。
もし、もし、このブログを読んでくれている方で不快感を覚える方がいらっしゃるなら、どうか私から目をそむけておいてほしいと思います。
そして、もし、私と同じように思う方がいらっしゃったら、どうぞこれからも読み続けてください。
うれしいことも悲しいことも自慢したいことも恥ずかしいことも、ありのままに書いていきたいと思っています。







 
素直になると
昨日は午後から久しぶりにジムでトレーニングをしてきました。無心でマシンを動かしていると頭が空っぽになって、いい気分転換になります。昨夜はワインがなぜかすすみ、グラスに3杯。もうすぐ阪神のワイン祭りで買ったワインが届くので楽しみです。




☆次女の学年違いのお友だちが修学旅行のおみやげをくれました。手書きパッケージがとってもかわいい!
北海道は寒かったらしいです。


新規登録先に納品した訳文が好評価を得て、ホッ。最低でもやめた仕事の分の埋め合わせにはなりそうです。
やめてよかった。やめなければ始まらなかったと思います。でもずっとやめるのが怖かった。
やっている間は時間がとられていろんなことを考えずに済んでいたし。
フリーランスってヒマが怖くないですか?私はそうだったなあ。だから仕事を詰め込みたかったし、なんでもいいからもっともっとと思っていました。

でも今回今までイヤイヤやっていた仕事を思い切ってやめたこと、新規登録先には本当にやりたい分野だけ伝えたことで、自分の中での覚悟というか決意というかそういうものが固まって、「やりたくないことはやらず、やりたいことはやりたいと言う」という自分に変わったような気がします。
「やりたいことをやりたいと言う」のも実は怖いからなかなかできなかったのですね。何が怖いって、「やりたい」って言っても無理だったら嫌だなという自分かわいさ。そう、可愛い可愛い自分を傷つけたくないのです。理想を高くもっていたら、かなわない時にショックを受ける、それなら最初から理想が低いほうが落差に傷つかなくてもすむ、という心理です。
でもね、自分では隠したつもりのその自分の本心は現れてくるのですよねえ。人の状況を見て心がざわつくとか。ざわついた心を治めるために違う行動をとったりとか。具体的には人への攻撃か自分への攻撃になるようです。人への攻撃型のタイプは相手を引きずり下ろすことで自分を保とうとする。批判したり中傷したり。自分への攻撃型のタイプは「どうせ私なんて」と逃げこむ。そうやっていればすむと思い込む。根拠なく自分を卑下するのです。実はこの2つのタイプは根底ではまったく同じなんですね、おもしろいことに。表現型は真逆なのにね。要はどちらも自分が可愛いのにそれを出せないということですね。

自分自身のそのような心のくせに気づき、素直になろうと心がけると楽になりました。ああ、心がざわつくなあと思ったら次の行動に出る前に自分に問いかける。何が可愛い自分に刺さったの?と。ああ、本当は自分も欲しいんだなあ、本当はうらやましいんだなあ、そういう気持ちに気づきます。それがわかったらそこから素直に行動を起こせばいい。ちょっと勇気がいるけど。でも「やりたい、やめたい」って言わないことにはそのとおりにならないですよね。まずは自分の表層にその気持を持ってくる、つまり奥底にある気持ちに気づくことが大事かなあと思います。

そうそう、いつもブログをフェイスブックに同時投稿しないようにしているのに、時々間違って同時投稿してしまっているようです。そういうときに限って内容が全然ないものだったり(汗)。いや、どれをとってもたいして内容はないのですが(汗、再び)。こんな勝手気ままなブログをいつも読んでくださっているあなたに感謝しています。








 
書かずにはいられない
朝日新聞で再連載されている夏目漱石の『こころ』。
ふと振り返ったら本棚にありました。



中学生のときに買ったものです。これを読んで夏休みの宿題の読書感想文を書いたら学校代表に選ばれたことを思い出しました。
読書感想文を書くことの楽しさに目覚めたのはそのときでした。それまではいわば「本の紹介」的な内容、つまりあらすじをいれつつ、ちょっと自分の思ったことを書く程度だったのが、初めて「自分が思ったこと以外一切書かない」という手法をとってみたのです。そして校正というものを初めてやったのもこのときでした。原稿用紙にとにかくどんどん書いていき、あとから修正したり組み替えたりするという作業。私の場合、指定の枚数に収めるために削っていく作業も多かったように思います。

学校代表に選ばれてからは校長室で国語の先生とさらに手直しをしたことを覚えています。もう少しこういうところも書いてみて、などと言われましたが、正直いってその作業はイヤでした。自分の思ったままに書くのが一番好きだったから。その感想文は学校代表に選ばれたものの、それ以上に何か賞をもらえるとかはありませんでした。
その後「税金について何か書いてほしい」と先生に頼まれました。またどこかのコンクールにでも出すつもりだったのでしょうか。税金について書きたいという気持ちがわきおこらなかったので、結局書きませんでした。

大学になってからの新聞投稿、ホテルで募集していた結婚体験談、小さいところではラジオ講座の読者の声欄への投稿、それら全てが採用されましたが、どれもこれも自分が書きたいから書いたものばかり。

そうそう、翻訳の仕事では自分のオリジナルのアイデアは何も入らないのだけど、「伝えたいことを文にして表す」という作業はできます。その作業自体が結構好きなのかもしれません。