「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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エンドレスゲーム
あ〜、地雷が埋め込まれていた!
まさかここでこう来るとは!
昨日は訳出に非常に時間がかかり、予定していたところまでとても終わらなかった。
疲れとプレッシャーで昨晩はまた眠れなかった。


もう、何やってんだろう。
自分の未熟さにイラ立つ。
相当ストレスがたまり、これが終わったら1週間は仕事を休もうと考えた。


いつもこんなことの繰り返し。
トライ・アンド・エラーの繰り返し。
もうこんなことやめよう、と思うのにやめられない、やめたくない。
ただ、もう少し自分に優しいやり方というのは探る必要がありそう。


この経験をじっくりと振り返り、次に活かしたい。
受注する段階での自分の考え方の癖を見直す必要がある。
てんこ盛りはやっぱり無理ですね。


てんこ盛りにならぬよう器を大きくしていきたい。
それまでは今の器にあった量で。。。


次こそは、次こそは。。。。

エンドレスゲームは続きます。


 
近況報告?
今週はまさに仕事漬けでした。
作業時間は1日平均8時間。夕食後も作業したのは5日のうち3日。
日中外に出るのは子どもの用事でやむを得ない時のみ。
朝机に座ったら、昼休憩30分以外は全て仕事。
夕方になると夕食の支度。買い物が必要な場合は外出。
そんな生活でした。

切羽詰まるまでは夜に仕事をしたくなかったので、日中にどれだけ時間がとれるかが勝負。
午前中に4時間仕事をするとかなりはかどります。

夜眠れなくなるほどのプレッシャーを感じていたけど、少しずつ解放されてきました。
やはりやればやるほど効率が良くなってくるので、ストレスも少なくなるのです。
ギリギリのところで踏ん張る感じの、自分にとってはチャレンジングなスケジュールでしたが、これを1つ乗り越えられたら、また自信につながるような気がします。正直、この年齢になってなぜ自らハードなことに突っ込んでいくのだろう、と自分に呆れ、半ば後悔していたのですが、そういう気持ちも後から振り返ると単なる1つの経験に過ぎず、前に進むための一段階における笑い話になるのかもしれません。

自らチャレンジするという生き方、でもこれを選べるようになったのは最近で、それまでの私は一応子育て中心の生活を送っていました。それも自ら選んだことでした。ただ、子どもたちが成長するにつれ、自分から湧き上がる気持ちを自分以外のものに投影させることに違和感を覚え、自分自身にだけ焦点を当てたくなってきたのです。
だって、子どもたちに私がしてやれることは今となってはいろんな意味で環境を整えること、それ以外にありません。道を指し示すことも、口うるさく世話を焼くことも、正直もう必要ありません。それどころかかえってそういうものは子どもたちの邪魔をすることになります。そういうことをいつまでも続けているとしたら、それははっきり言って子どもへのこちらの依存です。いつも思うのですが、子どもに口うるさく要求する親は、自分をまず見つめたらいい。自分を見つめたくないから子どもに依存しているのです。そんなに問題がない子どもにわざと問題を作る、そういう風にしか見えません。
このことは子どもだけではなく、あらゆる自分以外の人に当てはまります。誰々のせいで、私はこういう生活。誰々のことがあるから私はこういう制限を受ける。それらは実は自分の気持ちが投影されているだけのことで、本当は自分の少なくとも気持ちの部分は必要なかったりもします。もちろん実際に時間が取られる場合もあるでしょう。24時間子育てだけしているような気持ちだった時期がある私にはよくわかります。でも本当は24時間子育てする必要はその当時もなかった。自分だけで背負い込まなくてもよかったかもしれない。なんて今になって思います。
少し話がズレましたが、「人のせいにしない」のはもちろんのことですが、自分が深層心理でわざと人のことをやっかいなものにしている場合があるので要注意です。人のことを考えているうちは自分のことを考えなくても済むのですよね。自分のことを考えるという一番つらい作業を避けるためにわざと人のことをやっかいなものにしている場合があるのですね。
もっと自分を見ましょうよ。人のことをとやかく言う前に。本当に自分はそれで完璧ですか?人に完璧を求める前に問いたいところです。
自分に焦点を当てだすと、人のことをとやかく言ったり考えたりする時間はありません。やることはいっぱいあるのですから。
また、最近よく聞くのが「子育てが終わったら次は親の面倒」「そうこうしているうちに次は孫の面倒みなきゃ」って話(実際はまだやっていない)。冗談じゃない。いつまで人の面倒みる人生、そのために待機する人生ですか。いや、それはそれでいいんですよ。私が違和感を覚えるのはそれを好きでやるのではなく仕方がなくそうなっていく、だから私は自分の人生を考えているヒマがない、みたいな言い方。自ら選んでいることに気づいていない。気づくのが怖い。

ここのところSNSからもすっかり遠ざかっていて、久しぶりのブログ投稿だからか、書き出すとまた止まらなくなってしまいました。おっといけない、仕事仕事。取り組むべきこと、取り組みたいことがいくらでもあります。
今日もクリアな頭で仕事を進めていけますように。





 
ステップバイステップ
「日曜日は休む」と決めていたけど、ダメでした。
いや、休むつもりだったけど、「やっている方が気が楽じゃないの?」と夫に言われ、そのとおりだったので。
それくらいプレッシャー感じています。

ああ、遅い。遅い。自分のスピードが遅すぎる。
どうしても一つひとつ裏をとらないと気がすまない性格、これをどうにかしないと。
辞書の用語を丸呑みにすることはほとんどないので、時間がかかるのです。

少し前、Tradosをいじって今まで作ったことのなかった(実はMultiTermをインストールしていなかったので[恥])用語集を作成しかけたのだけど、うまくいかずにタイムアップ。
ああ、これがあれば絶対便利なのに〜。
次のお休みの日にはじっくり取り組みたいです。

いろいろと思うことはあるけど、ひとえにまだ経験が足りないということかもしれません。
ステップバイステップも必要だということですね。





今日はこの本でも読み返しましょうか。

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (幻冬舎文庫)  長谷部 誠

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 (幻冬舎文庫)


心、整えたいです〜。






☆焼き肉食べたから、元気出るかな。







 
ペース配分が難しい
この週末も仕事漬けになりそうです。
私の場合、「絶対休むぞ」と決めないと休めないことがわかったので、「日曜日は絶対休む」と決めて、土曜日の今日、目標のところまで進めようと思います。

しかし、実は「目標のところ」というのがあやふやです。2週間くらいの作業をどのようにペース配分したらよいか。最初の頃の効率と最後の頃の効率が違うということが体験的にわかっているので、単に日数で均等割すると最初が大変すぎるのです。大変すぎるとどうしても品質が落ちるので、そこは気をつけないといけません。分納のスケジュールはそのあたりを考慮して、最初が少なめになるよう交渉しました。

そういえば、別の取引先から同じソースクライアントの案件を打診されるという体験を初めてしました。内容は少し違いますが、ほぼ同じ領域。受けたかったけど、やめておきました。スケジュール的にまだ今の自分には無理だと判断したのです。でも、そのうちきっと引き受けるでしょう。そんな日が必ず来ると思います。

駆け出しの頃、1ヵ月で原文5万ワードを打診され、とても無理だから半分くらいなら、と返答したことがありました。
でも、今ならできると思います。
今や、同じくらいの分量を2週間でどれだけやれますか?と聞かれる状態。もしできることなら「全部」と言いたいです。いつかきっとそんな日が来るでしょう。

まだ仕事を再開してから3年たっていませんが、自分なりの成長を感じています。






 
「けど」から「から」へ
〇〇したい「けど」、△△だから無理。
〇〇したくない「けど」、△△だから無理。

もうそういうのはやめましょう。

〇〇したい「から」、こういう工夫をしてみよう。
〇〇したくない「から」、やめよう、断ろう。

それでいいんですね。

例えば仕事なら、
この仕事引き受けたい「けど」、難しそうだし、自信ないから受けるのやめよう。
この仕事引き受けたくない「けど」、やっといたほうがいいだろうから受けておこう。

を、

この仕事引き受けたい「から」、難しそうだけど、こういう工夫で乗り切ろう。
この仕事引き受けたくない「から」、断ろう。

にする。

プライベートなら、
あそこに行ってみたい(あれを買いたい)「けど」、お金とか時間の余裕がないからやめよう。
あれはやりたくない「けど」、やっとかなければいけない(ような気がする)からやろう。

を、

あそこに行ってみたい(あれを買いたい)「から」、お金と時間はなんとかして行ってみよう(買ってみよう)。
あれはやりたくない「から」、自分に素直になって「やらない」という選択をしよう。

にするのです。


「けど」は封印する!

「けど」の前で止める!

「けど」というのは、結局、工夫するのが単に面倒だ、ということだったりするのです。
本当に面倒なら「けど」を言うんじゃなくて、
私は面倒だ「から」、〇〇をしない。
で、いい。
それはそれで自分の気持ちに素直に行動しているのだから気持ちがいい。


こんなことを言いつつ、「けど」がいっぱい出てきそうな弱気な自分を叱咤激励している私でした。



 
目指すところは
翻訳という仕事は特殊な仕事だと勝手に思っていたからか、職人技を磨いてより高品質にと、心がけてきました。
でも最近、実務翻訳の世界では一体何が求められているのだろうということを考えると、ひとりよがりな力のかけ方は間違っているような気がしてきました。

舌を巻くような「うまい訳文」「こだわりにこだわった訳文」って必要なのかどうか。
相手の求める必要十分なものを提供するのが、相手にとっても自分にとっても結局最良のことになるような気がします。

そういう意味では基本を押さえてミスを少なくする、ということが大切だなとあらためて感じています。

お客様あってのこの仕事。
こだわりぬいた味付けの料理だけど、盛りつけ方に難があり、料理人が無愛想で店も清潔ではない、というのではなく、それの逆を目指したい。
結局はこの店に来るよねえ、という選ばれ方でいい。

選ばれる翻訳者ってどういうものなんだろう。
自分なりに考えながらやっていこうと思います。



☆朝からバリバリ自家製ピクルスを食べています。





 
超ハード!
ジムで初めて「シェイプ ザ ボクシング」というレッスンを受けました。
ボクシングのパンチに似た動きを身体をひねりながら行い、最後の方は軽くジャンプしながら動くというもの。
結構ハードで汗だくになりました。

長時間のパソコン操作で腕が痛くなっていたので、ちょうどほぐれるかと思っていましたが、翌日にはハンパない筋肉痛。まあでもパソコン操作の方の疲れはどこかに行ってしまったようで、それはそれでよかったかな。

痩せるには筋肉をつけなければいけない、なんて聞いたので、レッスンの後の筋トレは重りをこれまでより5kg上げてやってみました。
そんなこんなでクタクタになり、夜は頭痛がしてきてダウン。まったく、程度を知らないやつです(家族に冷笑されました)。
(でもまたボクシング、やってみようっと)



☆写真と本文は関係がありません。


 
リアルな一日
立ち上がりに10時間程かかり、さすがにくたびれた。
ただ、建物の建築と同じで、土台をしっかりしないと上へ上へと建てていけない。
だから、言わば土台作りの立ち上がり段階では少なくとも自分の中での疑問点、引っかかる点は解消しておきたい。
それで時間がかかる。

でも、土台をしっかりと作った後は効率がよくなり、ストレスも少なくなる。
苦しい時期を超えると楽になるのだ。

今週末は靴を一度も履かなかった。
お〜っ!
一日中スッピン。あっ、パジャマは着替えたけど^_^;

メザシなんかをかじりながら机の前にひたすら座り続ける時間。

これが、華麗なる(というイメージ、もしかしてまだありますか?)翻訳者のリアルな一日なのです。




☆写真と本文は「全く」関係ありません。


 
Tradosは手放せない
私は全ての翻訳作業をTrados上でやっています。でも、いわゆるTrados案件は受けたことがありません。これからそういうものが増えるから、ということでTradosを導入したのですが、今のところTrados案件の受注はなく、「勝手に」Tradosを使っています。

Trados以外のCATツールを試していないので、比較して言えることはなにもないのですが、Trados、便利です。
まず、アライメント機能。ワードでもパワーポイントでもテキストなら1文ずつ原文と訳文の枠がきちんとできるので、訳抜けは基本的には起こりませんし、作業がとてもやりやすい。ただ、パラグラフごとに原文を見たい場合が当然あるので、原文のプリントアウトは常に見るようにしています。

メモリーは訳せば訳すほど増えていき、マッチ率も高まっていきます。自分の過去訳を検索してコピー&ペーストすれば同じかといえば、それ以上に便利です。なぜなら、勝手に検索してくれるし、勝手に訳文の枠に入れてくれる。そして、数値の違いなどは勝手に修正してくれるし、それ以外の相違点は印をつけて教えてくれるから、そこだけ新たに訳せばいいのです。

メモリーがマッチしない場合も、単語の検索をかければ、同一単語をどのように訳していたのかが瞬時にわかります。Tradosの画面だけでそのような作業がすべて済むのが便利です。

最後にエクスポートですが、これは私もいろいろ試行錯誤しているところです。例えばパワーポイントならそのまま保存すれば、パワーポイントのまま訳したところだけ反映されます。ワードべた納品の場合は、画面上の右半分(つまり訳文)をコピーして新規ワード画面にペーストしたほうが結局簡単です。Tradosから訳文保存すると、フォントが変えられなかったり、いろいろと不便なことがあるのです(これは解決できる問題なのかもしれませんが)。コメントは、訳文保存すると反映されるのですが、コピー&ペーストすると反映されません。ちょっと面倒ですが、外部レビュー用にエクスポートして、そこからコメントだけコピー&ペーストするのが結局早いので、今はそうしています。

話が前後しますが、原文を取り込む際、原文原稿がPDFの場合はまずOCRソフト(私は読取革命を使用)で、原文をワードに変換します。PDFをワードに変換するとやたらと改行マークが入るので、「^p」を「 」に置換して、改行マークを削除します。そうやって整えたワードをTradosにインポートします。これまたちょっと面倒ですが、これが結局あとあとうまくいく方法です。

Tradosは定型文書に威力を発揮します。型の決まったレポートだと、私の場合、最初と比べて5倍くらいのスピードで訳せるようになりました。単一案件でも量が多いものは繰り返しも多いので、後のほうになればなるほど楽になってきます。

Tradosが威力を発揮するような文書を訳すのがおもしろいかどうかは別問題ですが、大量の文書を効率よく訳すことはできるでしょう。また、効率よくとまではいかなくても、過去訳を参照することで、訳文づくりのヒントが得られ、品質向上にもつながると言えるでしょう。

そんなこんなで、Tradosにはお世話になっています。今日も頼むよ、Trados君。

 
キーワード
「正しい」より「楽しい」

「人からどう思われるか」より「自分がどう思うか」

そんな言葉をキーワードにしていろんなことをやるようにするとホントに楽しいし、自分の思い通りになってくる。

おもしろいですね。



「人からどう思われるか」なんて気にしない、と思っていたとしても自分の中に「正しくあらねば」ルールがあると息苦しい。

いいじゃないですか、正しくなくても。

大体、何が正しいかなんてほんとに1つに決まること?


「正しい」翻訳者ではなく「楽しい」翻訳者になりたいです。いや、もうなっています(^^)