「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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そろそろ
平日は夕食後も仕事。外出はほとんど用事のみ。
土日もたまには休むけど、仕事をしている方が多い。

そろそろこういうのはどうかな、と思い始めました(やっと?)。
もちろん仕事は好きだし、大切に思っているのですが。

こんな自分が言うのはなんだけど、人生仕事だけではないのですね。
自分の中での優先順位の決め方が、単に誰かから頼まれたからそれに追われている(だからそれが優先順位の上位に来る)、という状態だと悲しい。
主体的な生き方をしているつもりが、お客様は神様です、となってしまうと単なる奴隷。
難しい。

今一度、自分を取り戻したいと思います。

振り返ってみると、仕事を再開しようとトライアルを受けまくったけど落ちまくったときも焦っていた〜。
ただ、そんな中、焦るのはやめて楽しもうと思い始めてから少しずつ状況が変わっていきました。
最近はトライアル合格率100%だけど、そんな自分を当時は想像もできなかった。
だから、理想の状態に今いないことを焦るのはやめたいなあ。
楽しんでいるうちになれたら最高。
そうそう、仕事をし始めてからは仕事の途切れない翻訳者になりたかった。
仕事を選べる翻訳者、納期を自分で決められる翻訳者、依頼を断れる(断らざるをえないほど忙しい)翻訳者になりたかった。
とりあえず、今、そうなっています。
次の理想状態にもきっとなれるでしょう。あまり考えなくても。
それくらいの気持ちでいないと、私の場合、頭の中がそればっかりになるのです。

器用なようで不器用な自分。
そういう自分をうまく飼いならしていきたい。
そして、すぐ目の前にある数々の幸せの元(家族や人とのふれあい)を慈しみ大切にしたい。

そう言いつつ、今日も仕事なのでした。。。




 
師匠とのおでかけ@二条
京都市役所近くの素敵なお店、シナモさん。
師匠に連れて行っていただきました。

壁面にぎっしり据えられたランプが醸し出す雰囲気に心癒されます。
仕事のストレスが全部吹き飛びそうでした。


前菜のソーセージも良いお味。パスタやピザもおいしかったです!
「ワイン食堂」なので当然のごとく泡を楽しみました。
通いたくなるお店です。


その後、四条高島屋にて「竹久夢二展」を鑑賞。
帰りに烏丸でお茶しました。


☆ACTUSショップの上にあるcafeで。アフォガードを久しぶりに。

いつものことですが、私の仕事の話をいっぱい聞いていただきました。
そしていつものことですが、アドバイスをいっぱいいただきました。

しかし、私のかけている時間の半分くらいで倍以上の量をこなしている師匠。
もちろんレートも違いますし。
いつか、あんな風になれるのかなあ。
とりあえず、1日あたり今の1.5倍こなせるようになることを目標に置こうね、と言われました。
まだまだ道は遠いです。
でも、先を歩いている人がいるというだけで、どれほど心強いことか。
本当にありがたいです。


昨日は久しぶりにこの教科書を紐解きました。

THE CELL 細胞の分子生物学 第5版/ニュートンプレス
細胞の生物学


実は、私の持っているのは第2版なのでかなり古いのですけどね。
いやあ、またこの本を開くことになるとは思わなかった。
最新版を買って勉強する必要性を感じます。
私は生物学科出身なのですが、受験では「物理」「化学」を選択。
もちろん大学ではひと通り勉強したはずですが、それほど勉強熱心な学生ではなかったし、院試も滑り込みセーフって感じで(汗)。
先日、研究室時代にお世話になった先生の1人に「もっと勉強しておけばよかったと思います」とお話したら、「もう遅いわ」と笑われましたが、よくその当時説教されたのですよねえ。なぜもっとやる気を出さないのかと。本当はもっとやれるはず、やりたいと心の底では思っているはず、と言われ続けてきたのに、拒否していたのです。なぜだったのでしょうね。自分の可能性を信じるということや、自分の人生を生きるということに若い頃は目が行かなかった。そして今頃になって、がっついている自分が笑えます。恐らく根底には自分の好きに生きるなんて無理だというあきらめがあったのでしょうね。やはり人のことを気にしていたのかもしれません。そんなワガママだと周りとやっていけないと。嫌がられるのがイヤだった。紆余曲折を経て、だいぶ正直な自分になってきましたが、それでも意外と周りに気を遣いすぎるところがあるのです(実際に奏効しているかどうかは別として)。そんな自分から脱皮したくてもがいてもがいて。まだ道半ばですが、この方向性でやっていきたいなと思っています。

遠足報告からまたこんな話になってしまいました。
ディープなお話したい人、常時募集中です。














 
3年たって思うこと
抱えている案件が3件から2件になってホッとする状態どころか、最近では4件が3件になった直後にまた4件に戻るというような状態が続き、目の前のことだけで精一杯の毎日です。
ただ、夢中で走りながらも何かしら考えているもので、自分のこれからの方向性、仕事の受け方、エージェントとの付き合い方など、修正していきたい部分については常にどうしていこうかと考えながらやっています。

そういえば、10年以上のブランクの後に仕事を再開してから丸3年が経ちました。
まだ?もう?
振り返ると最初の頃よりはすべてが進歩しています。
仕事量はどんどん増え、負荷はかかっているのですが、精神的にはその分安定してきているのかもしれません。

このまま仕事にだけ突っ込んでいくのか、それとも他とのバランスをとっていくのか。
そのあたりが今後の考えどころになりそうです。




 
すごい女子会
昨夜は、所属しているミズトラ会のお食事会に参加しました。
いやあ、そうそうたるメンバーでして、たまたま京都に近いという理由で私にもお声がかかり、末席を汚させていただきました。

まずはビストロ屋さんでお腹をふくらませたあと、グランビアのバーへ。
こんな日に限って携帯を忘れたので写真がありません。ごめんなさい。
KYOKOさんのブログで確認してくださいね(KYOKOさん、宣言通り、リンクさせていただきましたよ〜m(_ _)m)

すごいメンバーばかりで、「ただの翻訳者」の肩書は私のみ。
パワーとエネルギーに圧倒された時間でした。

その中でも特に、「翻訳者が目指す品質」と「エージェントやクライアントが望む品質」の間にあるギャップということをあらためて考えさせられました。ちょっと「品質」という言葉は誤解を招くかもしれませんが。
「高品質」はもちろん悪いことではありません。悪いわけありません。
でも何事も兼ね合いです。
また、「品質さえよければ/自分の中のある部分の能力だけ高ければ」後は何も考えなくてよい、というのはビジネスパーソンとして少し考えものですよね。
何事もお客様あってのこの仕事。
そのようなことを考えさせられる貴重なご意見の数々をお聞きすることができました。

さまざまなワークスタイルで活躍されている皆さんのお話を聞くと、自分を振り返るきっかけになりますし、考える視点がまた広がります。
いろんな人がいるなかで、自分はどうしたいのだろう、どうしたらゴキゲンに生きていけるのだろう、そういうことまで考えさせられた夜会でした。

 
Yes, I can!
天候不順が続くこの夏も終わりにさしかかっています。
子どもたちの学校が来週から始まるので、夏休み気分ももう終わり。
さあ、秋モードにスイッチしてますますバリバリやろう、と思っています。

昨日は厳しめの納期の案件が、後は最後の全体的な見直しだけ、のところまで持って行けたところで、久しぶりに外出。
といっても子どもに要るものを買いに行くという用事なのですが、少しだけ本屋に寄り道する心の余裕がありました。
本屋で気ままに本を眺めてリラックスした後、発売されたばかりのこの雑誌を購入。

通訳翻訳ジャーナル 2014年10月号

通訳翻訳ジャーナル

興味深いデータがたくさんあり、そこそこ読み応えがありました。

その中で特に惹きつけられたのが、「個人翻訳者の現状を知る」として実務翻訳者の井口氏がまとめられたデータ。
「給与所得者の平均労働時間は(1ヵ月)145.5時間。翻訳者も平均値は同水準」とのこと。
自分はどうだろうと、早速8月の労働時間データを1ヵ月換算してみました。
結果は140時間。おお、平均!?
でも、8月は家族のことで時間が取られるからセーブしていたのに、これだもんね〜。
やっぱり私は働き過ぎ?それとも能率が悪いのかな?

また、井口氏は「収入への影響度は”速度”より”単価”である」というデータを算出されていて、やっぱりそうだなあと思いました。
最終的にはそちらを目指していきたい。そう思います。

最近は3件抱えている案件のうちの1件を納品して2件になるとホッとして、さあ、今日ぐらいはゆっくり休もうと思った矢先、数時間後にはまた3件に戻るという感じで、依頼が途切れません。
お断りするものも多いですし、納期や分量の希望を聞かれたら、無理のない範囲でこちらの希望を伝えています。
断らざるを得ないときや無理のない範囲で収まるようにお願いするときに、いつも思うのです。ああ、本当はあのセリフを言いたいと。

”Yes, I can!”

質、量ともに十分な能力のある自分になりたい。そして自信を持ってそのセリフを言いたい、といつも思います。
でももし質と量のどちらかをとらなければならないとしたら、先ほどの観点からすると、「質」を取るのかなとも思います。
少しずつでもそういう方向に持っていけたらいいなあと思います。




 
やめれば入ってくる
普段よりも夏はやはり疲れやすいので、さすがにぶっ続けで何時間も訳すことが難しい今日この頃です。
家族のスケジュールもいつもとは違うので、それに合わせて少しゆとりを持って仕事を進めています。
こういう風に自分で調整できるところが、フリーランスの利点ですね。
とはいっても、本当はもっと仕事がしたい。新規の依頼を断るたびにそう思います。

おもしろくてやりがいのある仕事の依頼がひっきりなしで、常に複数の案件を抱えている状態。
何が何だかわからなくなってきたので、初めて専用のノートも作りました。
エージェント名、コーディネーターさんのお名前、クライアント名、内容、納期、分量などを書いておき、終わったら蛍光ペンで線を入れてわかるようにしました。もう、手帳に書くのでは追いつかなくて。

自分の得意分野を軸にしながら、新たな分野や領域にも余裕の持てる範囲内で挑戦しています。それぞれに勉強になることが多く、飽きることがありません。分野が違ってもその経験はいろんなところで役に立つものですね。少しずつ積み上げていくごとに、訳文の商品性が上がり、作業効率があがっていけば言うことなしです。キャリアを積める仕事がしたかった。やればやるだけ成長していける仕事がしたかった。だからとってもうれしいです。あくまでも自分比ですが、日々成長を感じます。どこまでやれるのだろう、本当は今の2倍の分量を同じ時間でやれるくらいになりたいな。いや、分量を多くするというよりは自分の価値を高めたい(つまりレートを上げたい)ですね。もちろん単にレートを上げるだけが目的ではなく、総合的に自分が差し出すものの価値を高めたいし、受け取るもの(仕事内容や仕事のやりやすさも重要)も高めたい。そう思います。

最近感じたこととして、「出せば入る」は本当、ということがあります。モチベーションの上がらない仕事を思いきってやめたことで、やりがいのある仕事がどんどん入ってくるようになりました。
仕事だけではなく、プライベートでも「本当にやりたいこと以外は(なるべく)やらない」「本当にしたいことは(なるべく)実現する」という方向にスイッチしてから人生に変化が起こったような気がします。
もうやめたんです。〇〇なヒトぶるのは。自分の中でのええかっこしいもやめたんです。まさにありのまま。ああ、本当は好きじゃないな、とか、本当はこういうのを求めているということをまずは自分の中で素直に感じる。それができるようになってから本当に楽です。そして、社交辞令的な行動はなるべくしないということ。もちろん「嘘も方便」「言わぬが花」ということはあるので、そこは大人の対応で。これだけ歳を重ねるとさすがにそれくらいのスマートな立ち振舞はできるはず。普段、ありのままの自分を大切にしていると、短時間だけ大人の対応をすることは十分がまんできます。たぶん、「キレる」というのは普段がまんしすぎなんですね。本当は言いたくないことを言って、やりたくないことをやって、本当は言いたいことを言わずに、やりたいことをやっていない。そういう状態だとどうしても不機嫌になっていくので、最終的には「キレ」てしまうのです。

そういうわけで、まずはどんどんやめています。仕事は依頼の半分くらいは断っているし、プライベートでも気が乗らないことは一切しません。不思議なことにいろんなことをやめても全然困りません。むしろ清々しいです。ああ、本当に欲しいものはそう数多くはないのだな、と気づきました。
私の場合、好きな仕事を中心に日々わりと落ち着いた時を過ごし、家族がいる空間ではリラックスしてくつろぎ、大好きなお友だちに会ってお話しするのを楽しみにし、たまに外に出かけて風にあたるという生活をしていれば概ねゴキゲンです。
それ以外はそれほど必要ではありません。もう十分に満ち足りています。不思議ですね。どんどんやめることで逆に満ち足りていることに気づくとは。

スッピンの自分の清々しさ。気楽さ。そしてかえって得た自信というものを最近感じます。
情報過多なこの時代、努めて「出す」こと、「やめる」ことに留意したいと思います。











 
鳴門旅行
週末、徳島の鳴門に家族旅行に行きました。

途中の淡路島でお昼。

春吉さんのシラス丼。新鮮なシラスにミョウガや生卵が合います。おいしかった〜!

あいにくのお天気で、当初の目的「海」には残念ながら入れず。
苦肉の策で、淡路島のリゾートホテルの室内プールにビジターとして入りました。
キャッキャキャッキャ(文字にすると少々うるさいですね)はしゃいで、楽しかった〜。
うちの家族は遊びも全力なのです(この私が一番休みたがりなのですから)。

鳴門での宿泊先はモアナコースト。ネットでたまたま見つけて私が一目惚れしてしまったところです。
一週間前にかけこみ予約したのですが、メゾネットのお部屋が空いていてよかった!

モアナルーム207
☆この写真はサイトから拝借。
インテリアにもこだわりがあって、目覚まし時計はダルトンです。


2階の寝室(心室と変換される〜)。


ミニキッチンもついていて過ごしやすいのです。


階段を降りて1階の寝室。落ち着いた雰囲気。

そしてなんといってもここの売りはこれ。

屋上のジャグジー。まあ天気が残念で、青い空、青い海は見られませんでしたけどね。
めげずに何度も入りました。頭のなかに自然とユーミンの「海を見ていた午後」が流れるのです。

夕食はイタリアンの大皿料理で。質、量ともに満足。私たちは家族パックで申し込んだため大皿料理でしたが、いろいろ選択できるようです。

夕食後は毎度おなじみのアロママッサージを1階の寝室で受けました。
ハンパない右肩の凝りを徹底的にマッサージしてもらいました。

その後みんなでテーブルに集まって、持ってきた人生ゲームやトランプをして。
そうそう、今回の旅行にはBOSEのSoundLink Miniを持っていったので、車でも部屋でも好きな音楽を楽しむことが出来ました。


BOSE SoundLink Mini Bluetooth speaker
☆これ、本当にいいですよ〜!家族で使いまくっています。


楽天トラベルの朝ごはんフェスティバル第2位の朝食。写っていないけど、パンがとってもおいしいのです。もしかしたら今まで食べた中で最高かも。

この日は朝起きてからジャグジーに入り、それからのんびりと朝食。ゆっくりと過ごしました。

その後、ホテルの近くにある大塚国際美術館に行きました。
1000点以上の西洋の名画を原寸大で陶板画にした美術館です。


バチカンのシスティーナ礼拝堂を完全再現したという部屋。迫力がありました。
イタリアに行ったことはあるのですが、もう20年も前なので、本物を観たかどうか記憶が薄れていますが、こういうのを見ると本物が観たくなりますね。


これは、先日本物を観たばかりのバルテュス。う〜ん、やっぱり薄っぺらい。
展示点数は多いのですが、一つひとつ立ち止まるほどの感動を覚えることがありませんでした。やっぱり本物が観たいですね。
ただ、ピカソのゲルニカだけは、レプリカでも感動しました。
これだけの点数の本物を観ようと思ったらかなり時間がかかりそう。少しずつでもいいから観に行きたいなあ。

大塚国際美術館は思ったより広く、ざ〜っと見るだけでも2時間くらいはかかりました。なんだか美術の教科書をパラパラとめくっているような感じでした。

お昼ごはんはせっかくだから四国のうどん、ということで香川方面へ。

たしか「うどん屋」とかいうベタな店名のシンプルなさぬきうどん屋さんへ。これがやっぱりおいしくて。わざわざ食べに寄ったかいがありました。


家族みんな忙しい中で、なんとかスケジュールを合わせてでかけた今回の旅行。
ほんの少しの時間だったけど、楽しく過ごせました。
旅は命の洗濯とは、本当ですね。
うちを離れて泊まるということは、何にも勝るリフレッシュになるのかもしれませんね。







 
翻訳LOVE!
この暑いときに暑苦しい話を、と眉をひそめる方はここで読むのをやめてください(笑)。
言うまでもなく、私は「翻訳LOVE!」です。
いや、翻訳というよりは今の仕事、でしょうか。

もともと英語は文字からして好き。
だから英語の文書は見ているだけでうれしい。
そして、文章を読むのも書くのも大好き。
ただ、自分の中から発信できる「素敵なこと」がなかなかないため、作家やエッセイストにはなれそうもない。
だからしかたなく翻訳、というわけではなく、実務翻訳では産業界の最先端に触れることができるので、それがかなり魅力となっているのです。

先日大学時代の研究室仲間が集まる機会があり、某製薬企業に勤めている先輩と話す機会がありました。
夫と同じく、抗がん剤の生物製剤に携わっている先輩。「今、ホットなのは”あれ”だよ」と言われた”あれ”ですが、実は先日その治験薬概要書を翻訳したばかりでした。夫も私が仕事をしているそばで「その治験薬概要書、僕も見たいよ」と言っていました(見せることも内容を話すことも絶対にありませんが)。
研究の世界を自ら離れましたが、たとえ表面的にせよ、自分が興味を持って勉強していた分野にからむ仕事ができてとってもうれしいのです。

独身時代に勤めていた某外資系企業を結婚を機にスパッとやめたのは、この仕事は一生続けられないと思ったからです。まず、子どもを自分で育てたかった。海外出張に1週間行くような仕事では、とても思ったような子育てができない、と考えたのです。今から考えるとなかなか良い会社でした。女性の登用は進んでいましたし、それに伴い、子持ち社員への配慮も充実していました。いくらでも上を目指せる世界でした。もちろん給料もいいですし。ただ、会社員という働き方そのものが自分には合っていないと思ったのですね。マイペースで物事を進めるのが好きですから(私のマイペースというのは人よりも速いペースです(笑))。好きなことだけ好きなようにやって、嫌なことは一切やりたくない、というワガママな私に会社員はとうてい無理。フリーの仕事は性に合っていると思います。

結婚後1年間家で勉強してからアルク誌の誌上トライアルに合格し、その後妊娠。乳飲み子を抱えて翻訳し、その後休業したことはもう何度も書いているので繰り返しません。子どもたちはかわいかったし、子育て生活、ママさん生活もそれなりに楽しかったです。どっぷりそっちにはまって抜けだそうとしない私に夫が「早く仕事をしたほうがいい」と言った話も何度も書いていますね。「本当にやりたかったことを早くやって、間に合わせのことはやめろ」と言ってくれた夫には深く感謝しています。

そして、いざ翻訳の仕事を再開しようとしたらそう簡単にはいかなかったこともずっと書いてきたことですね。その期間がどれだけ苦しかったか。どれだけ逃げようとしたか。どれだけもがいていたか。もう書き尽くせません。
その期間を経て、今毎日仕事ができる状態には、感謝の気持ちしか沸き起こらないのです。うれしくて仕方がなくて。
エッセイストの平松洋子さんが「すべては書くことのために」とおっしゃっていましたが、私も同じです。「すべては翻訳の仕事のために」。とは言ってもあくまでも自分なりの心構えであって、決して翻訳界で名を馳せようとか、収入はこれくらいじゃなきゃだめ、とかそういう問題ではないのです。1日の時間すべてを愛しんで過ごしたい。その中に仕事があるだけです。仕事以外をおろそかにしたいわけではありません。欲張りかもしれないけど、全部欲しいです。その中心に大好きな仕事がある今の状態には満足しています。

翻訳の仕事をしている人に限らず、人生を慈しんで一瞬一瞬を自分が納得がいくように過ごしたい、という方は大勢いらっしゃると思います。職種は関係ありません。仕事をしていなくてもいいかもしれません。まあ、私は仕事が好きですから、ボランティアや趣味などでは満足できないですけど。それはきっと世間からの本当の評価が欲しいからですね。あなたの働きは世の中の役にたっているよ、という。

「〇〇子みたいな(変わった)人は、100人に1人しかいないよ」と夫から言われ続けてきて、否定していましたが、もうどうでもよくなりました。変わっているなら変わっているでいい。出る杭なら出る杭でいい。最近また私が作った言葉「出る杭は目立つから輝きましょう」。自分の人生を生きる、人からの意見は気にしない、と決めてから本当の自分をありのままにさらけ出し、本当の自分がやりたいようにやっているので、とっても人生が楽しいです。

8月は全部仕事で埋まり、うれしい悲鳴です。依頼の半分くらいはお断りしているのですが、それでもワタシ的にはいっぱいいっぱい。なんとか仕事以外の時間もとっていきたい、そう考えています。














 
インテリアへの余裕
暑いのでご自愛くださいとの挨拶が飛び交う今日このごろ。8月になりました。
毎年夏は気持ちをゆるめて、普段よりはローペースでものごとを進めるように心がけています。
とは言っても本当は今も仕事まっしぐらな気分の私。
人生の中でこういう時が持てたことをうれしく思います。

最近寝る前にインテリアブックを眺めるのが常なのですが、その中である北欧出身の在日外国人が「日本の家は汚い」と言っている記事がありました。北欧では子どものときからきれいなインテリアの中で育つので、日本のような汚い家はありえないらしいです。
確かにインテリアの分野では日本はまだまだ欧米にはかないません。レベルが違うと言ったらいいのでしょうか。
なぜなんだろうと考えた時に、1つは日本人の働き過ぎが原因として浮かびました。

長時間労働は当たり前。そして、40代の子持ち主婦が日本人の中で睡眠時間が最も少ないとも言われています。
そうそう簡単に企業の風土は変わらないですし、労働者の意識も変わらない。
また、日本の主婦が忙しいというのは、あらゆる雑事は主婦がやって当たり前の文化に基いているし、非正規雇用者の賃金があまりにも安い(あるいは、いったん仕事を休むと、正規雇用されるのがあまりにも難しい)ということにも関係していると思います。

アメリカにホームステイに行った時に衝撃を受けたのが、キッチンで料理をほとんどしない、ということでした。
冷蔵庫は巨大で、大量のミルクやオレンジジュースが収納されているのですが、まな板なんて、キッチンに備え付けられた小さいものを引っ張り出して使う程度。語学学校に通うためのランチは、紙袋に入ったパンの上から大量のポテトチップスをふりかける、夕食はほとんどテイクアウト(すごくおいしいのがいっぱいある)といった生活を送りました。とにかく主婦の仕事が少ない。
ドイツでも夕食は料理をしないのが普通らしく、パンやハム、チーズなどで済ませるそうです。
窓磨きは外注できるし、とにかく日本の主婦が最低限はやっていることをやらなくてもいい環境が整っているのです。

そんな中だと時間の余裕もあって、インテリアも整うのでしょうか。
また、北欧では教育費も自己負担が少ないようですね。
だからそれほど必死に働かなくても良いのでしょうか。

自分たちの子どもの頃とは違うと間違いなく言えるのは、子どもたちが自分だけの力で超えていけるハードルはもはや存在しないということです。
全てが親がかり。親のサポートがないと無理。
例えば、勉強は塾に行くのが当たり前。
スポーツは親がサポートして小さい頃からどこかのクラブに入れなければならない。
習い事はご近所で手軽に、ではなく先生を選ぶ時代。
そうでないと何かに突出することは難しいのです。
ちょっと頭がいい、ちょっと運動神経がいい、ちょっと芸術的な才能がある、そういう子どもは私たちが子どもの頃は、それだけで輝けたし、それだけで道も開けた。
今はサポートがないとどんな原石も光れない。
最終的には親しだいな部分もあるのです。
そして、その親しだいに大きく関わるのが悲しいかな金銭面であるのが現状です。
ああ、何たる格差社会。
同年代のお友だちとはよくそういう話をします。

子どもを育てるだけで、いろんな意味で大変な社会。
そんな中でインテリアに心を向ける余裕がないのかもしれませんね。
インテリアだけではなく人生を豊かにするあらゆること。
それに目を向ける余裕が日本人にはないことが多いのかもしれません。

こういう現状の中でどう生きていくか。
この夏にゆらゆら考えてみたいと思います。