「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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「ALL or NOTHING 思考」は捨てる
4週間かけてやっていた案件をやっと納品し、一息。
本当は友人と遊びにでかけるはずだったけど、父の再手術で落ち着かない状況になったので、「落ち着いてからまた行こう」という友人の気遣いに甘えさせてもらって、今日はせめてお茶だけでもする予定。

経過良好のはずがどんでんをくらったショックと、もちろん身体的なつらさもあり、父は参っている様子。それに付き合う母も大変そうです。

できることはやるし、アドバイスもするけど、最後は本人の気持ちですね、何事も。
「こういう風にしてみたら?考えてみたら?」と一応は言ってみるけど、それを取り入れるかどうかは本人しだい。
だから冷たいかもしれないけど、それ以上はできませんね。

さて、私自身はそれこそこんな状況でも何とか仕事をあきらめずにやり、そして自分の生活を大切にしたいと思います。
そこで大事になるのが「ALL or NOTHING 思考」を捨てることかなと思います。
例えば、これこれで忙しい、だから何にもできない、何もかもあきらめなきゃいけない、ではなく、やれることをやる。
もちろん完璧ではありません、理想どおりではありません。でも "Perfect is the enemy of good." という言葉もあるじゃないですか。とりあえずgoodを目指したいと思います。


こんな本や、


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こんな本を買ってきました。


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クックパッドは「これを作りたいんだけど」とか「この材料があるんだけど」のときは、サイトでの検索が便利ですが、本だと「あっ、これ作ってみよう」という気になります。


次の案件が入っているけど、今日は少し休みましょうか。
原稿を整える程度にしておこうと思います。









 
何もなくても
2回目の手術の後にICUでの一泊を経て病室に戻った父の面会に行った。
恐らく術前は心臓が(圧迫されて)苦しかったのだろう、弱々しかった声が、すっかり威勢の良いものに戻っていた。
「すごろくのゴール前で3コマくらい戻っただけだから、焦らずにね。どっちみちもうすぐゴールだよ」と励ます私に「お前の理屈はもう聞きたくない」と文句を言えるくらい回復していた。
ただ、「お前の説明(2回目の手術は心臓自体の手術ではない)には救われた」とも小声で言っていた父。
娘の理屈になんか屈したくないという負けず嫌い魂。弱い自分を見せたくないという気持ち。
はいはい、わかっていますよ。

いや、わかっていたのかな?
私は何もわかっていなかったのかも。
「こんなに世話にはなりたくなかったんだけど」と何度も言う母に嫌気がさし、何を言ってるのだろう、なんて思っていたけど、それも今はわかる。
いくつになっても、そう、子どもから高齢者まで、みんなプライドを持っている。
そのプライドは人生の昼の時期(母がよく私に言う言葉)である現役世代は、外部からの評価なりで満たすことがたやすい。家族にも、してあげることが多く、してもらうことは少ない。
ただ、昼の時期がすぎるとどうしてもプライドを保つのが難しいのだ。

ちょっと記憶が薄れているが、長嶋が松井と国民栄誉賞をもらったとき、松井の気遣いがすごかった。
片手が不自由な長嶋のプライドを傷つけないようにしていたのだ。
ああ、あれが本当の優しさ。本当の心配り。

プライドを保つため、みんな頑張っている。私自身ももちろん、本当の意味でのプライドが欲しいがため、生ぬるい環境からビジネスの世界に飛び込みたかった。そこでいかんなく負けず嫌い魂を発揮していると思う。
何のためなんだろう?きっとプライドが欲しいのだ。
でもビジネスの世界で奮闘することは、いずれできなくなること。そして、家族や他の人への「やってあげていること」もいずれできなくなること。そういうときが必ず来る。そのときに大切なのは何なんだろう。
それは「人を信じること」なのかな、と現時点の自分は思う。それだけは、「目に見える」できることが減っても、変わらず持ち続けることができそうなこと。
いや、今から、今でも、その視点は大切で、「目に見える」ことだけで様々なことを計らないでいいんじゃないか、とも思った。

公私ともに頼りにされている今を楽しもう。こんな素敵なときはないのだ(ちょっとシンドイけど)。
そして、そういう時期が過ぎたら過ぎたで、自信をなくすことなく、楽しんでいけたらいいな。
人生の先輩の両親を見て、また勉強になった。






 
自分の時間を差し出す
数日前より体調不良を訴えていた父。
「心臓に水が溜まった」との母からの連絡があり、その日の午後に再手術するとのこと。
「えっ、心臓に水が溜まるなんて、あり得ないけどどういうこと?」という私の質問に母は答えられるはずもなく。二人して動転している様子。
おそらく心臓とその外側の心膜の間の心膜腔に水が溜まったということなのだろう、そしてその液体を抜くということなのだろう。
とにかく病院に行った方が早いと思ったので、急いで駆けつけたところ、医師の説明は思っていたとおりのものだった。

せっかく手術した心臓をまた手術するなんて、とショックを受けて、相当参っている父及び母に、心臓自体はもう触らないよと何度も説明した。少し落ち着いたようだった。
手術時間は麻酔から目覚めるまでで2時間程度。無事に処理は終わった。
術後にヘパリンを使用したことが原因と思われるとのこと。あっちのリスクを下げればこっちのリスクが上がるという難しいさじ加減なのだ。

病院の駐車場で、午前中に受けていた極小案件のキャンセルをお願いする電話をかけた。事情はかいつまんで説明した。
ただ、4週間かけてやっていた案件の納期が迫っていて、余裕をもたせたはずが、こういろんなことがあると余裕がなくなる。

夕方、病院からの帰路、その日に予定していた食料品の買い出しをし、夕飯を作って食べ(させ)、机に向かったら、さすがに21時頃にキーボードに突っ伏してしまうほどの疲労感が襲った。
頭の中が混乱していたのか、納品日までの日数を1日短く見積もっていたことに、入浴中に気づいた(逆じゃなくてよかったね)。
このままだと最低ラインのものしか出せないかも、と思っていたが、1日延びたことで、ある程度は普段通りのものが納品できそうだ。

結局こういう日に自分の仕事を優先させないというのはやはり仕事の性質?
私が夫のような会社員だったらどうするのだろう?結局夕方までにすべてかたがつくようなこんな事態。
もちろん、これは喜ぶべきことで、リスクは常に存在する。
では、やはり私は2カ月ほど仕事を入れずに待機すべきだったのか?
いやいやそういう「家族のために自分の人生を生きない(大げさ)」ということはもう絶対やらないと決めたじゃないか。どんなことがあってもあきらめないのよ。
なんて思いつつもなんともいえないやるせなさが自分を襲っていた。

いいお母さんになる、いい娘になる。それはどういうことだろう。
自分を捨てずにそれはできる?できるとしたら教えてほしい。
その2つとも(理屈の通じない相手に)差し出さなければいけないのは自分の時間なのだ。
ではいいお母さん、いい娘にならなきゃいいじゃん、そういう声はわかっている。
わかっているけど、揺れ動きながらも自分を通すことができない。

そういうギリギリのところで仕事をあきらめずにやっている。そこまで頑張らなくったって、って自分でも少しは思う。でもそれだと子育ての時と同じになってしまう。

泣き言書いてゴメンナサイ。自分だけが大変、みたいな書き方だったかもしれません。でも、この気持ちをここに記録しておこうと思います。


 
私と仕事
朝、皆が出払って、1人になり、用事もすんでさあ仕事、となると、やっぱりウキウキする。
私にとって仕事とは、まあ、ジグソーパズルのようなもの。
ちょっとした頭の体操。そして指先の運動。
だからこれが、ピアノの練習を1日していたらそれが仕事ですよ、となれば、それをやると思う。
ゲームってやったことがあまりないし、あまり好きになれそうにないからピンとこないけど、ゲーマー感覚というものかもしれない。

でも比較してみると、ジグソーパズルやピアノの練習よりは翻訳をやりたいかなあ。頭を使うことが楽しいというか、なんというか。
よくわからないけど、おもしろいです。

ただ、なかなか進まなかったり、期限が迫ったり、他の用事があることが気になっているときは、ちょっとストレスを感じます。
いくら好きでも24時間はやれませんし。



☆サーモマグにアツアツのほうじ茶を入れて。



私にとって理想の生活とは、翻訳の仕事だけを好きなようにやれる生活。
執事とお手伝いさんが欲しいです。




 
緩めましょう
この週末、夫はテニス旅行で不在。車がないため、土曜日に母に来てもらい、娘たちと父のお見舞いへ。
そのまま母はうちに一泊。
日曜日、久しぶりに休みのスケジュールが合った娘たち二人が一緒に京都に買い物に行くとのこと。
私も誘われたけど、少々お疲れ気味だし、仕事もあるので、今回はパス。
夕方、遊び疲れた家族のメンバーを見ていると、ああ、私も遊ばなきゃと思いました(笑)。

もう、真面目すぎる〜、自分の性格。
そして辛抱強すぎる自分の性格。
そんな自分を自分でこっそり褒めながら、もっと違う道があるのではないかとも考える。

きっと休みが必要なんですね。心にも身体にも。
今の仕事が終わったら、少しだけ気を緩めましょうか(次のことは少し忘れてね)。
10%ずつ
今、仕上がり250枚超の案件を10%/日で訳しています。
TRADOS上での訳了割合表示が%だから、%の数字をいつも見ながら作業しているのですが、枚数にしたら25枚/日くらいでしょうか。
これくらいの分量になると、ちょっと訳しただけでは全然割合が減っていきません。
1日のノルマが終わるのは夜になることが多いですね。

父の手術日と夫の出張出発日が同じでした。
始発電車に乗る夫を車で駅まで送っていた時、「今日は忙しくなるね」と言われました。
「忙しくてもなんでも父親が無事でさえいてくれれば、あとはどうにでもする」と私は言いました。まさにそのとおりで、確かに忙しくて大変な思いをしたけど、無事でいてくれているのだから、その後仕事に追われてもどうってことない、そんなのは織り込み済みです。
今回の4週間後納期の250枚超の案件は10日で訳そうと計画していました。つまり10%/日ですね。もちろんその前後にTRADOSへのインポート、TRADOSからのエクスポート、見直し、レイアウトなどなどの作業が必要ですから、純粋な訳出作業だけにかける時間はそれくらいと見積もっていました。あいまにもちょこちょこ小口案件の依頼がありましたが、ほぼお断り。電話をいただいたコーディネーターさんにはこちらの事情をかいつまんで説明し、10月末までは短納期のものを引き受けるのは難しいと伝えました。

父の手術が決まって、仕事をどうしようか、と思いましたが、何とかなりそうな案件をやれてよかったです。
抗癌剤の治験関連文書という私の好きなジャンルだし、予定通りに作業が進んでいるので一安心。
TRADOSでの未訳出%がもうすぐ一桁になりそうです(やっと)。




☆いつも机のそばにあるキシリトールガム。ムーミンパッケージが出ていました。味はクールシトラスだそうです。


あと少し、気を引き締めて作業しましょう!






 
エア旅行
どこか行きた〜い。でも実際にはなかなか行けないのが現状です。
最近は旅行雑誌を「見る」のが趣味。わ〜、なんて悲しい。


るるぶ温泉&宿 関西 中国 四国'15



るるぶドライブ関西ベストコース'14~'15


命の洗濯をせねば。
しかし、フリーランスというのは何もかもが自分の自由ですね(あらためて)。
会社勤めなら自らの意思にかかわらず、同僚や上司・部下という人間関係あり、社内のイベントあり、旅行だってあるかもしれない。そういうのに身を任せることにもいいところはあるかもしれない。
我が家では、夫は会社員で忙しく国内、海外を飛び回り、娘たちは学校が忙しく、修学旅行というものもやってくる。
フリーランスの私は自分で作らないと何もない。
自由は大好き。でもそれには「常に主体的に動かなければならない」という「かせ(と言ったらいいのかな、ちょっとニュアンスが違うけど)」があるのです。

「天は自らを救うものを救う」という言葉を座右の銘としている私は、「棚からぼた餅」「待てば海路の日和あり」の類の言葉をわりと信じていないくちです。周りの人からはいつも「欲しいものがはっきりしているね」と言われます。そしてたぶん欲しいものは手に入れるタイプなのでしょう。肉食系だから男女関係だって受け身はありえないし(過去の話)。ただ、そういう感じだと自分がイメージしている「欲しいもの」以上のものは入ってこないのかな?もう一皮むけたいと思う今日このごろです。



 
PTAではなく
先日、娘が通う中学校のPTAの役員を決めるための地域ごとの会議が開かれました。
来年度3年生になる子どもの保護者を対象としたものです。
一番大変と思われる本部役員を1名決定し、その他数名の平(ひら)役員を決定するものでした。

予想していたとおり、毎度お決まりの「私はこんなに大変だから役員にはなれない、免除してほしい」という声があがり、それに対して「それを言うなら私だってこんなに大変」という応酬あり。
具体的には「母子家庭で、仕事をしなければならないけど、休みがとりにくい」「飲食店で働いているけど、夜に休むことが難しくてバイトの子を買収しないと時間がとれない」「自分が病気にかかり、夜間の外出が難しい」「自分が教えている習い事の受け持ちクラスが夜にもある」など。
ちなみに、今どきのPTAの役員会は夜に行われます。仕事をしているから日中は無理、というお母さんが大半なのです。

さて、今回は、お母さん本人が病気のために難しい、という訴えは参加者による多数決の結果、受け入れられました。その他は容赦なし。くじ引きにて役員が決まりました。

う〜ん、たぶんこの人たちより私の方が長時間働いているんだけどなあ、と思いつつ、会議では何も言いませんでした。
醜い言い争いに参加する気がしないのです。そして、自分の仕事が時間的に融通の利くものだから、というのももちろんあります。まあ、その分のしわよせは他にまわるのですが、そういうことをああいう場で言う気は全くありません。
私はふと、今年度役員をしている今回の会議の司会の方に、こう質問しました。
「お父さんが役員になっているのはどれくらいの割合ですか?」と。
答えは「いない」ということでした。ごくまれにはあるみたいですけどね。
この私の質問とそれに対する答えにはだれも注意を払いませんでした。う〜ん、私はそれがひっかかります。

いまどきのお母さんは大変、だとしたらどうして夫もやらないのか?
母子家庭で大変というお母さんと自分が病気だから大変というお母さん。家族全体でみて、どうして自分が病気の方は免除されるのだろう。じゃあお父さんがやれば、という発想はだれも持っていない。もちろんそんな「ひどい」こと、私も口が裂けても言えませんが。

PTAって「Parent-Teacher Association」ですよね。でも、日本のPTAはPTAじゃない。「Mother-Teacher Association」だよ。帰宅後夫にそうつぶやいた私でした。そしてそんなこと考えているのは私だけ、というのは夫に言われなくてもわかっています。

「社会における女性の登用?」、はいはい、やってくださいよ。でもその前に今のPTAってこんな感じなんですよ。意識改革はどこに必要なんですか?

100人に1人しかいないと夫に言われる変わり者の私はそう思っています。




 
この1週間
自分だけの日記感覚で書き始めたこのブログ。
でも今では少し間が空くと、「忙しい?」なんて連絡をくれる友人もいたりして。
自分の近況を公開するのもなんだかなあとも思いつつ、基本、親しい人、好意的に記事を読んでくれる人の顔だけを思い浮かべて書いています。

先週、父親が心臓の手術をし、現在は回復に向かっています。
人工弁置換手術です。これをやっておくと後々楽だから、という前向きな手術。
とは言え、どんな手術にも必ず一定の危険が伴うので、術前術後は本人も家族も緊張しました。

「患者の家族は第2の患者」と言われるらしいですね。
終わってみればあっという間の時間も、家族からすれば長く重い時間でした。
手術のリスクは数パーセント。5時間程度の全身麻酔手術。
一旦心臓を止めて施術するのです。
今は、このような説明を術前に患者や家族にきっちりとしなければならない義務があるらしく、細かい説明を受けた両親はそれだけでかなりビビってしまっていました。

本人(父)はもちろん大変だったと思いますが、母の動揺は誰の目にもわかるほどで、父も術前に最後に私にかけた言葉が「頼む」でした。
そんな母を支えなきゃと私も必死だったと思います。
長い長い手術の待ち時間。終了予定の時間頃に母が知り合いの話をしました。
夫が植物状態になって、妻(母の知り合い)はもう無理に生かさなくてもいい、と言ったけど、娘が承知しなかった、と。
そのときに感じたのです。えっ、もしかして血縁関係にない母より、私の方が父のことを心配しているのかと。
それまで母を支えなきゃ支えなきゃと思っていたけど、もし父を失うようなことがあれば、一番打撃を受けるのは私なのかと。
少しビックリしました。

そんな気持ちを抱えて手術終了後に面会できたときの安堵感、翌日麻酔から覚めて話ができたときの喜び。日に日に回復していく姿を見てわきおこる幸せな気持ち、それは計り知れないものでした。

もともとの心臓弁を見せてもらい、やはり石灰化が進んでいるのがわかりました。
職業柄、そういうのを見るのも平気だし、医師の話にも専門用語でつい応答してしまって、あっ、しまった、わからないフリをしていなければ、なんて思っていたほど。
ただ、いくら慣れていてもそういうことと、心配な気持ちとは別の次元にありますね。

医療の進歩に自分も少しでも貢献したい。
もともとそう思っていた気持ちをそのまま持ち続けて仕事をしていきたいです。

ちなみに、父の手術があるのはわかっていましたが、1か月後、そして2カ月後納期の仕事は受けていました。
そして、できるときには仕事をしていました。
私には仕事が癒やし。すべてを忘れて没頭できるひととき。
そして、前回の記事でも書きましたが、娘たちには本当に救われて、自分が支えられていることがわかりました。



☆手術当日に海外に出張した夫も帰ってきました。ANAのアメニティのロクシタンのハンドクリームとリップバーム。
シアバターがいい感じです。


☆ゴディバのチョコは机に置いて、仕事の合間のお楽しみに。


ずっとうちに泊まっていた母も実家に戻ったので、そろそろ平常運転です。

手術が終わるまで、楽しいことをなかなか考えられなかったけど、ようやく予定もたてられそうです。
一緒に遊びたい方、連絡くださいね〜!


 
引き継がれていくもの
苦しくて苦しくて自分だけが背負い込んでいる気がしていた。

世代的に、一番頼られる私たち。
自分がしっかりしなければ、と。

でも、気がつけば後ろから次の世代がついて来てくれていた。
具体的に何ということはないのかもしれないけど、その存在だけで、その気持ちだけで救われる。

娘たちよ、ありがとう。
お母さんは本当に幸せです。

ああ、ここまで育ったのだね。
実感しました。