「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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水面下の動きと今年のお礼
最近特に、自分の思いをこのブログで熱く(暑苦しく?)語っているなあと思います。このブログは最初は私的な日記感覚で書き始めたものだったのですが、お知合いの方々がリンクをはってくださっている関係で、読者さんも増え、読んでくださる方のことを意識せざるをえなくなり、少々息苦しさを感じた時期もありました。ただ、フェイスブックとは異なり、ブログは訪問しないと読めません。なので、訪問したい方のみに向けて書いているのだから、もう好きなことを書こうと開き直って書いています。

実名を載せていないこともあり、私にとってこのブログの内容は自分の秘めた部分であることは間違いありません。もちろん読者の中にはリアルな知り合いも大勢いるし(主に同業者)、リアルな友だちも数人読んでくれています。でも、実際にface to faceで接触している人のほとんどはこのブログのことを知りません。昔からの友だちにも知らせていません。

このブログの内容はいわば白鳥がゆうゆうと湖を泳いでいるその水面下で必死になって足を動かしている、その足の動きを特にとりだしているもので(実際に白鳥が必死なのかどうかは知りませんが)、必死なのは一部分。見えている部分は優雅なのです(あっ、ちょっとよく言い過ぎ(笑))。なので、このブログを離れれば何事もなかったかのような自分でいられます。それが私にとっては心地よいです。
そして、その必死な足の動きさえも、自分はおもしろがってやっているのかもしれない、と思い始めました。というのは、実はもう十分満足しているのですよね、ある意味で自分の人生。本当は何人でも欲しいくらい好きな子どもたちとの生活は楽しく、好きな仕事をし、イヤなことはせず、楽しいこともやり、と見ようによっては言うことなし。もちろん思い出したくもない辛かったこと、今でも苦しいことはあるのですが、それに始終追いかけ回されているわけではないので、自分の心の持ち方しだいで、今この瞬間を「幸せ」と感じることはできるのです。

先日の誕生日に長女がラインで送ってくれたバースデーカードにこんなことが書かれていました。


いつも明るくておもしろいお母さんは
家族みんなを
笑顔にしてくれてると思うよ(*´ー`)ノ
最近仕事をいきいきと
してる姿も素敵やよ♡


こんなに好き勝手に仕事していても、そういう風に見てくれているなんて、ありがたすぎてありがたすぎて。そして、私がずっと否定してきた今までの私の生き方、それを否定しなくてもよいのかなと気づかせてくれました。
自分を捨ててがまんしてきたこと、そういうのが多かった。歯を食いしばって耐えたこと、そういうのが多かった。その反動で少々鼻息が荒い今日このごろで、「自分が自分が」「もっともっと」という感じになっているのは否めません。でもね、そういう否定したい過去から育ったものもある、それがあるから今の自分なのかもしれない。ああ、もう否定するのはやめよう、と思いました。そしてもう十分に手にいれているのだなと思いました。だからぶっちゃけ、あとはゲーム感覚です。来年以降の目標、「1日○時間労働で年収○万円」というのは一応心のなかに掲げています。でもそれは単なる遊びの中での目標。達成できなかったら困るものでもないし、達成するために歯を食いしばるつもりもない。そうなったらいいなあ、というくらいの感覚。このブログで鼻息荒く語っていることも、実はその遊びの中でのこと。そんなふうに言える自分は本当に恵まれていると思います。ただ、何度も言っていますが、仕事の成果物をいい加減にするつもりはありません。「よい加減」にすることはあるかもしれませんが。仕事という縛りのなかで、遊びたいのです。試したいのです、自分を。まあ、こういうことはおおっぴらに言うつもりは全くありません。だから実名は出しませんしね(笑)。

本音で語れば語るほど、「会ってみたい」「会って話してみても同じだった」「会わなくても様子がわかる」といろんな方から言ってもらえるのがうれしいです。少々恥ずかしいのですよ、水面下での必死な様子の実況中継は。でもそれは私の大事な部分。そして、語らなくても全体像というのは、行間から感じていただけると信じて、来年以降もブログを続けたいと思います。

今年1年、ご訪問ありがとうございました!(お会いしたことがない方には)できればお目にかかれることを願っています!
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。
フタを開けよう
「在宅」「翻訳」のキーワードで登録している仕事紹介サイトからの求人情報が届きました。例えば治験翻訳業務の派遣の仕事とか。派遣だと毎日必ず仕事はあるし、月給も安定。そういうものに惹かれていた時期もありました。

「安定」をとるか「リスク&リターン」をとるか。もっと言えば「考えること」をとるか「考えないこと」をとるか。もうこれは大げさに言えば人の生き方です。さらに、同じ人の中でもある部分は保守的である部分は革新的であったり。様々に混じり合います。
誰が見てもおわかりだと思いますが、私は仕事に関してはチャレンジャーでいたいのです。もっと良いやり方ないかな、とかアプローチを根本から見直す必要があるのではないか、とかいつも考えています。もうこれは理屈ではありませんね。そういうことを考えるのが好きというだけです。

うまくいっている人にはそれなりの理由があります。なにをもって「うまくいく」と言うかはまた人それぞれですけどね。自分自身が「ああ、こういう風になりたいなあ」と心から思う人。そういう人のマネ「だけ」をするのが近道です。はい、ここでも大事なのは「なんでもとろうとしない」ということですね。知らず知らずのうちに入ってくる情報、それに飲み込まれそうになるけど、もう一度自分の心を見つめて。一体自分の理想とは何なのか?自分が心地よいことはどういうことなのか?本当は欲しいなと思っていることは何なのか?
自分の範囲を超えたスゴイ人もたまに自分の前を通り過ぎます。あの人は私なんかとは違う、とは思わないで。みんな同じ人間なんです。なれるかもよ。もっとスゴイ人にも。その可能性にフタをするのだけはやめたいのです。フタをしてしまえば永遠に自分はそこに立ち止まったままなのです。とりあえず開けましょうよ、フタをね。フタを開けているだけで、結構入ってくるものですよ。




向かい風の中で 嘆いてるよりも
上手くいくことを想像すれば いつの日か変わる時がくる


嵐  「Happiness」


 
トラドにはならない
昨日はFB上でたくさんの方々からお祝いメッセージをいただきました。あいかわらず仕事に追われ家からほとんど出なかった1日でしたが誕生日の実感がわいてうれしかったです。ありがとうございました!





☆ろうそくの本数と年齢は無関係です(大きいくくりでは関係あり?)


さて、翻訳です。
最近「ピペド」という言葉を知りました。「ピペド」とは「ピペット奴隷」の略語。主にバイオ系研究分野で大学院生やポスドクなどの若手研究員がピペット(という実験器具)使って奴隷のように働いている状態を指しているようです。要は「労多くして実り少なし」という感じでしょうか。私も昔々それこそピペットを使って実験していたのでその状況は容易に想像がつきます。

先日数多くの同業者とお話する機会がありました。その中で最も印象に残ったのが「それってある意味搾取やん」という言葉。品質的に問題のない訳文を1日○時間かけて仕上げ、結果として年収○万円くらいになっていないとしたらそれは搾取とも言えると。
まず、誤解を生まないように説明しますが、エージェントが悪いから搾取されているのではありません。私たちはフリーランサーなのです。契約するもしないも自由、仕事を受ける受けないも自由、そして何時間かけてその仕事を仕上げるかも自由なのです。なので、搾取しているほうが悪いのではありません。あくまでも自分サイドの問題です。仮に「搾取されている」と感じるような状況であるとしたら悪いのは自分です。はい、短時間で売上を増やせばよいのですよ。効率化?レートアップ?様々なことが考えられますよね。
仕事に求めるものは個人によって違うので、はたから見て「搾取されている」ような状況であったとしても、本人が満足していればそれでいいと思います。ボランティア精神なのかもしれない、勉強している気分なのかもしれない、趣味なのかもしれない。世の中にはそういう仕事がいっぱいあります。
だから、他人がどう、とか翻訳者としてどう、とかではなく自分自身がどう感じるか。それだけ。そしてそれをだれかに押し付ける必要も全くありません。
で、私自身は、絶対搾取されたくない、と強く感じました。「ピペド」ならぬ「トラド」には絶対ならないぞと。ちなみに「トラド」とは「ピペド」をもじって私が作った造語です。「トランスレーター奴隷」って感じかな?「トラドス」は好きだけど「トラド」には絶対ならない、と心に決めました。

とは言え、私はまだ始めて3年目くらいの新人(と言っていい?)。そして本当に仕事に追われるようになってからまだ数ヶ月。なので、自分の実力を上げていくことはもちろん大切。でも、5年先、10年先に「搾取されている」と感じるような自分にはなりたくない。そのためにどうするか。どう戦略をたてるか。もがきながら考えていきたいと思います。

 
ミズトラの会の治験翻訳セミナー(プラスα)
ミズトラの会の治験翻訳セミナーに参加しました。
講師はアルパ・リエゾン代表の有馬貫志先生。
内容は非常に濃く、進む速さは息もつかせぬほど。
あっという間の4時間でした。


その後は先生を囲んでの懇親会。大丸にあるシンガポール・シーフード・リパブリックへ場所を移して。



☆この日初対面の方とも楽しいおしゃべりがはずみました!

懇親会では先生ともお話がはずみました。
「先生」が自分にとっての天職だと言われた有馬先生。
ご出身大学での指針「mastery for service」を実践しているとのことで、使命感を持ってお仕事をされています。

一方で、「梁塵秘抄」の
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」
を引き合いに出され、
「人生は遊ぶこと。人は遊ぶために生まれてきた」との名言もいただきました。
こちらの方に特に共感を覚えました(笑)。


さて、肝心のセミナー内容ですが、治験分野に留まらず「翻訳とはなんぞや」という深〜いお話でした。
「原文の事実関係を把握する」「論理展開を意識する」などなど、要は俯瞰的に原文を理解し、自分の言葉でそれを置き換える(和訳の場合)ことが大切だとのことでした。翻訳愛にあふれた内容でした。
懇親会で先生に「つい直訳してしまうのですが」とご相談したところ、「それで翻訳を楽しんでいると言える?」と聞き返され、ドキっとしました。まだまだ深い翻訳道。まだまだ楽しいところがありそうです。


話が前後してばかりですが、懇親会では同業者の皆さんと大いに盛り上がり、楽しいときを過ごしました。また、異分野の方からも貴重な情報をいただき、自分の立ち位置について考えさせられるきっかけをいただきました。
午年から未年に変わるのに伴い、私も「馬車馬(のように働くこと)」を卒業して新たな自分になりたいと思います!


1/8/2015追記
私の感想文を含めた参加者の感想文がミズトラの会のHPにアップされました。よろしければご覧ください。

 
減らすべきものは
自由時間が欲しい。なので、何かの時間を減らしたい。
仕事の効率化、究極的には時給を何らかの方法で上げるというのが1つの手。
もう1つは仕事以外の用事にかかる時間を減らすという手。
アウトソーシングを含めた家事時間の削減を本気で検証しています。

掃除はお掃除ロボット?家事代行サービスを使う?
食事はレシピ付き材料宅配?
いろいろ調べています。

でも、もし家事を放棄すれば本当に身体を動かさないのですよねえ。
それに様々な形で人の手を借りたとしても最終的には自分の判断や行動が必要になる。

そういうことを考えると「家事は運動etc.」的に残してもよいのかなと思い始めました。
究極お手伝いさんを雇ってすべての家事をやってもらうとして、自分は仕事しかせず運動不足だからスポーツクラブに行く。
う〜ん、今はそれは違うような気がする。
あるいは、ホテルに住んで食事はすべて外でという生活。
それでも部屋の中の私物をある程度きれいに保つのは自分自身なのですよねえ。

そういうことを考えると今は家事を否定しすぎなくてもいいかあ、という気になりました。
やはり仕事時間を減らす?
そっちを目標にしたほうがいいのかな。





☆修学旅行に行っていた長女も無事に帰国しました。



 
気のおけない仲間と
いつもの飲みともだちと坐空で忘年会。



☆バームクーヘン豚がおいしいのです。



☆飲み物のメニューがとっても豊富(カメラの影が入ってしまいました)。2時間飲み放題の間に、生ビール1杯、日本酒2種類、白ワイン1杯を楽しみました(もっと飲みたかったけど時間切れ)。

気のおけない仲間との会食ほど楽しいものはないですね。お友だちにはありのままの姿を見せているので、自分の性格を(自分以上に)理解してくれています。自分では見えないこともあるから、アドバイスがありがたいです。
「山登り、がんばったらいいよ、でも途中の3合目くらいで休憩してBBQとビールも楽しみながら登ったら」なんて言ってくれます。
はい、そのアドバイス通り、休憩時間も十分に楽しみながら山登りしたいなと思います(山登りは比喩ですよ。過去ログを見てくれている人はわかりますよね)。ちなみにこのアドバイスをしてくれた友人は「私は間違いなく車で頂上に行く」と言っていました(やっぱり)。私もそうなりたいんだけどなあ。でもまだ山登りも少しは好きなのかなあ。

人は自分を写す鏡と言いますね。いろんな人とお話することで、また自分が見えてくる。
おもしろいですね。












 
世間に聞いてみよう

☆一杯のおいしい紅茶だけで、実は結構幸せ♪




「え〜、そんなんで大丈夫なの?」
「いい加減すぎない?」
なんて、他人に対して思うことがあります(自分のことは置いておいてね)。
プライベートではもちろん、そして「きっちりしているはず」の業界(?)でもそういうことを感じる機会が意外と多かったりして。

でもね、それで大丈夫なんですよ、ある意味。
はい、それで大丈夫な世界が正しいのであって、自分の「いい、わるいの判定」はたぶん正しくない。

そして、私から見て「いい加減だなあ」と思う人には2種類あって、本人が自分のいい加減さなどに劣等感を持っていて卑屈になっている人と、全然気にせずむしろそれを自信に思っている人といます。

で、自信に思っている人は実は、世間的に成功していてとっても幸せそうですよ。あっ、出るところを間違えると悲劇が襲いますが(「〇〇はありませんでした。。。。」っていうヤツね)。

何が正しくて何が正しくないか、それは世間に聞いてみましょう。
どのみちすべてのものごとは相対的でしかないのですから。
日本語として破綻していたとしても、いい歌なんですから(笑)。




育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ

もともと何処吹く他人だから価値観はイナメナイ



山崎まさよし 「セロリ」



 
トホホ
「必死」とか
「魂の限界」とかいう
情緒的な表現を科学の場で用いること自体が
私みたいな一応理系人間からすれば(いや、国民みんなですよね)
なじまないんだよな〜(トホホ)。。。


 
とりあえず願っておこう
昨日は残りの30%の訳出を終わらせました。換算すると仕上がり30枚超(見込み)くらいですね。
Tradosが威力を発揮し、セグメントが勝手にどんどん埋まっていき(100%マッチ)、何もしなくてもダダダダダと進むのです(持っている人はわかりますよね)。後は、96%マッチなどだと過去形を現在形に変えるだけ、とか。そんなこんなで昨日は訳出が進みました。まあ、これは言わば昨日書いていたところの「自動操縦」かな?私が目指しているのはもっと大きいくくりでの「自動操縦」ではありますが。

見直し作業をどうしようか、どうやって効率をあげていこうか、そういうことを(入浴中などに)つらつらと考えていました。
細かい話はまた次の機会にご報告しますが、そういう細かいこととは別に、今後の方向性についてもなんとなく考えました(酎ハイ片手に)。
仕事を選べる翻訳者になりたかった。選ばれる翻訳者になりたかった。そして仕事が途切れない翻訳者になりたかった。
とりあえず、なっています。
えっ、これはいわゆる「願えば叶う」ですか?
ん〜、じゃあ次もとりあえず願っておこう。さてどう願うか。それを考えていました。
で、出てきたのがこれ。「楽して稼げる翻訳者」。
とりあえずこれでいきましょう(笑)。




もっと自由にもっと素直に
強がらないで歩いてゆこう

岡本真夜 「そのままの君でいて」




 
燃え尽き症候群?
昨日テレビで某フィギュアスケート選手(結構好きです)のインタビューをたまたま見ました。
なんと、燃え尽き症候群にかかっていたらしいです。
なんでもそういうテーマのドラマを見て、自分もチェックリストで確認してみたら、当てはまっていたとのこと。
ビックリでした。そんなに苦しんでいただなんて。

もしかして私も?と思ったので早速チェックリスト(http://matome.naver.jp/odai/2133205795658028901)で確認。
結果は、
「まじめによく働いている人にある平均的な数値です。時にはリラックスしましょう 。」
でした。あれっ、大丈夫なのかな?

ちなみにチェックリストでの点数が一番低い範囲だと、
「燃え尽き症候群の心配はありません。人生や仕事に対して無頓着かもしれません。」
になるようです。

シンドくなりたくない、だから無頓着でいる、心にフタをする、そういう楽な生き方、私はずっとしてきました。
目標は高く掲げない、現状の良いところを探して満足する、ありのままの自分から変わろうとしない、などなど。
でも、それが本当に楽な人生なのかな?
そのあたりに疑問を感じ、今の自分に違和感を覚えてから私は動き始めました。
心にひっかかることはいったんテーブルの上に出すことにしたのです。
昔の心のクセだと、例えば身近な人が素敵な体験をした場合、自分には無理だという理由をまず心の中に挙げ、ひどいときはそのこと自体を「素敵なことではなく大変なこと」と置き換えて、最初からあきらめている自分を納得させていたのです。
よく言う「取れないぶどうは酸っぱい」というヤツですね。
でもよくよく自分の心を見つめると、わざわざそういう風に置き換えるあたりからしてもううらやましくてしかたがないわけですよ。ああ、うらやましいんだ、と思うことが最初のステップ(そこに行くまでにも時間がかかる場合あり)。
本当は私も欲しいなあと思ってからやっとプラスの方向に舵を取れるのですね。
で、その航海はシンドイです。もちろんシンドイことばかりではなく、風が勝手に目的地に運んでくれる場合もあるし、近づくにつれ、欲しかったいろんなものが手に入ったりもします。でもシンドイことをゼロにはできないかもしれませんね。
さて、シンドイと思ったらどうするか。はい、元の自分に戻るのが一番楽なんです。つまり燃え尽き症候群の心配がないような自分。でもそれで満足?本当に満足?やっぱり違和感を覚えるのでは?
だったらシンドイ時は風に任せて休憩するなりしてやっぱり船には乗っておきたい。
休んでもいいけどあきらめない。あきらめたらそこで終わりです(ゼロに戻るということ)。

今、なるべく自動操縦で昼寝でもしていたら目的地まで着いていた、なんて感じになれないかなあなんて、虫が良いことを考えています。他のやり方を探すということですね。で、現実、オールを使って漕いでいます(涙)。ん、でもオールはもう卒業したかな、今は機械を使って自分で運転している感じかな。さて次は?はい、自動操縦で連れていってもらいたいです。そんなやり方あるのかなあ。とにかく言えることはオールで漕ぐこと、自分で運転すること、それ自体を目的にしていると本当に行きたかったところがわからなくなり、そこに着く前に燃え尽きちゃうかもしれないということですね。



「方法」という悪魔に取り憑かれないで
「目的」という大事なものを思い出して

 SEKAI NO OWARI 「RPG」