「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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もしかしてやれるかも
ここ数週間の1日あたりの作業時間を分析してみると、ざっくり5時間くらいになりました。
週末は2日間完全オフが続いています。
おっ、もしかして、これはやれるかも。つまり1日の作業時間を5時間にするという今年の目標を早くも達成できるかも、です。
ちなみに処理量は今までと変わらず、とにかく無理はしないようにしています。
これが続けば生活が変わるかもしれない。というか自分の意識が変わるかもしれないです。
1日5時間しか働かないとしたら、やれることがいっぱいありますよね。しばらく封印していたことを再開してもいいし、新たなことを始めてもいい。まあ現実は子どもたちとの生活をまわすだけで精神的に精一杯のところもありますが、「5時間しか働いていない」という意識を持つと、何かが変わるような気がします。

私は変化を起こすのは速いのですが、気持ちが状況についていっていない場合が多いです。でも、事実を客観的に見ると自分の立ち位置がわかりますね。つまり、必死な時代はもう終わったかなと。気持ち的には駆け出し気分が抜けていないところもあるのですが、状況的に考えるともうそういう位置ではなさそうな。よし、次はこうしていきたいなという新たな方向性も生まれつつあります。

作業時間が短縮できた理由、これは翻訳作業の流れを検証し、ある方法を試してみたことにありそうです。
具体的には、訳文の見直し作業を「見直し」ました。年末年始にかけてずっと考えていて、一度こうやってみようと「実験」して1ヶ月間うまくいったので、このままこの方法を取り入れようと思います。
その方法とは、訳文の見直しをパラグラフごとにその都度やってしまうというもの。今まではとにかく訳して、全部訳し終わってからTrados上で全部見直しをし、最終的にプリントアウトしてからも不安だから見直しに時間をかけていたのですが、それを「その都度見直し」に変えたのです。1文ずつやる方法もあると思いますが、やはり内容をパラグラフごとにとらえたいので、1パラグラフずつ。そこで単語対単語レベルの見直しをしておいて、最後にプリントアウトしたもので全体の流れを客観的に検証します。この方法は少なくとも前の方法よりはいい感じです。効率がよくなったのはもちろん、品質もよくなったのではないかと期待しています。

これからもこういう「実験」、どんどんやっていきたいです。


☆なんとなくだけど「リケジョ」とか「実験が好きな人」って型にはまったイメージを持たれそうでイヤだなあ。「実験」も「統計」も「理系的思考(研究室でみっちり叩きこまれました)」も、正しく使えばこんなに便利で世界を広げる手法はないのにね。



 
ふんわりしたひととき
2年ほど前にいったん活動を休止した手作りサークルのメンバーと久しぶりにランチ会をしました。

栗東にあるこじんまりとしたレストラン、ヴィオレット・ステラにて。今日の参加者は7名。



なつかしいメンバーと心温まるひとときを過ごしました。


長女を出産した直後は抵抗していたけど、そのあとはどっぷりと子育てママ生活を送っていた私。あれはあれで楽しかったなあ。子どもたちが成長するにつれ、自分の時間も増え、趣味をすごく楽しんでいた日々。なつかしいです。
もう少し心の余裕を取り戻せたら、あの頃の私に戻れるのかしら。時間だけはたっぷりあったあの頃の私に。
いつか、手作りやピアノやお菓子作りなどの趣味を再開するときが来るのかなあ。いや、今でもできないことはないのですよ。心の余裕がまだ少し足りないだけで。

ふんわりした時間の過ごし方、甘く優しい空間をなつかしく思い出しました。

でも、またその後こうやって夜まで仕事しているのもわりとイヤではない感じ。もう少し納得のいく翻訳をしたい、そう思い始めた今日このごろ。いまさらながらに少し勉強してみようかなあ、なんて思っているのです。だって楽しいもんね、何かを学ぶって。趣味と実益がますます近くなってきました。うん、これが理想だなあ。楽しいことを仕事にするってことが。まあ、他にも楽しいことはいっぱいあるのだけどね。

バランスをとりながら楽しくやっていきたいです。



 
同じ空間で
びわ湖ホールでの
「辻井伸行withヴァシリー・ペトレンコ&ロイヤル・リヴァプール・フィル」
を聴きにいきました。





おやつもすませ、準備万端。


この日の曲目は以下のとおり。

ショスタコーヴィチ:祝典序曲 (ロイヤル・リヴァプール・フィル創立175年記念演奏)
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 [ピアノ:辻井伸行]
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番


ロイヤル・リヴァプール・フィルによるショスタコーヴィチ「祝典序曲」が終わり、いよいよ辻井さんの登場。
初めて見た辻井さん、思っていた以上に見た目がかわいらしい印象でした。
でも、ひとたび鍵盤の上に指が走り出すと、稲妻のように轟く音。なんという力強さ。そしてもちろん繊細な部分はまるで水のしずくがポトンと落ちる音を聴いているよう。超絶技巧を必要とするラフマニノフの「
ピアノ協奏曲第3番」を迫力満点に演奏されました。
演奏終了後は割れんばかりの拍手。あれほどの拍手は今まで聞いたことがありません。もちろん私も腕が痛くなるほど拍手しました。

アンコールはラフマニノフの「
パガニーニの主題による狂詩曲」より第18変奏。
雄大でロマンチック。うっとりするような演奏でした。
もう1曲はリストの「ラ・カンパネラ」。
もうあんな
「ラ・カンパネラ」は今まで聴いたことないです。超高速にもかかわらず、しっかりと気持ちが込められ抑揚があり。
辻井さんはとにかくまずテクニックが素晴らしい。プロの演奏家でも難易度の高い曲だと弾くのがやっとこさ、の場合がありますが、辻井さんには全くそういう感じがありません。確かなテクニックの土台の上に築く曲想。とても心地よく、ときにうっとり、ときに一緒に力が入り。もう言葉にできません。
同じ空間で同じ音を聴いていると思えるだけで幸せでした。

辻井さんとの協奏曲の後は、再び
ショスタコーヴィチ。不思議な曲、いろんな解釈ができそうな曲でした。いずれにせよ、やっぱり生の演奏がいいですね。生の体験、これからもしていきたいです。

ああ、しかし、今年の一番の楽しみが終わってしまった。。。
これからあと1年どうしよう。。。



☆錦織の試合を見ながらのブログアップ。これまでの試合は午前中だったので、それよりは仕事への影響が少ないかしら(笑)。

 
「肌断食」と上げ膳据え膳
久しぶりに昼間にお会いしたお友だちのお肌がツヤツヤだったので、それを本人に伝えたところ、1年ほど前にファンデーションを変えたとのこと。ちょうど1年くらい、明るい昼間にはお会いしていなかった(?)ので、気づかなかったのですね。
変化を目の当たりにした私は、早速お友だちに教えてもらったそのファンデーションを買いに伊勢丹まで行ってきました。
久しぶりの肌診断もしてもらったところ、水分量が低く、乾燥している感じ。でも、ファンデの色はこれまでずっと標準色だったのに、今回は標準よりも明るいものを勧められたし、首と顔の肌色の差がほとんどないとのことで、まあそれはよかったかなと納得しました。
実は私、ここ1年ほど「肌断食」をやっているのです。お仲間がやり始めたことがきっかけだけど、その頃、「なぜ、こんなに化粧品を使っているのに、顔よりも首の方が白いのだろう」と疑問に感じていたのですね。
「肌断食」とは、簡単に言ってしまうと、ぬるま湯(メークした場合は純石鹸)で顔を洗って、その後なにもつけない(ワセリン少々は許容範囲)、という超手抜き美容法。
家にこもりっぱなしのこの職業だから、やってみようかと始めました。
予想されていたガサガサ、乾燥には少々悩まされましたが、何よりも楽だし経済的。そしてなんとなくだけど肌色が明るくなってきた感じと、たるみからくる深いシワがなくなってきた感じ(あくまでも感じです)があって、続けています。
でもその分(?)、乾燥による小ジワとシミ・ソバカスが目立つような気がします。なので、どっちを取るかですけどね。
シミ・ソバカスはもしかしたら他の部分が白くなってきてより目立つようになったのかもしれません。ファンデもコンシーラーも以前より明るめのものを勧められたし、実際にその明るさのファンデを塗ってもらうとまあ、白い感じにはなっていて、その色で良いと言われているのですから、以前と比べて色が白くなったのかもしれませんね。

「肌断食」に興味のある方はこの本を読んでみてくださいね。

「肌」の悩みがすべて消えるたった1つの方法―美肌には化粧水もクリームもいりません―宇津木龍一


「肌」の悩みがすべて消えるたった1つの方法―美肌には化粧水もクリームもいりません―

「肌断食」では、「なるべくなにもつけないほうがいいけど、たまにはメークもOK」と言われているので、私も出かけるときはメークをします。素肌で人に会えるほど、きれいにはなっていない(このまま肌断食を続けていてもなれないのかもしれませんね)ので、化けるときはちゃんと化けたいのです。今回お友だちに教えてもらったファンデーションは今までよりもいい感じで化けられそうなので、重宝しそう。教えてもらってよかったです!



新聞に載っていた「タイの塩包み焼き」を夫が作ってくれました。


内蔵を取り出した鯛に香草を詰めて、


卵白を混ぜた塩で包みます。


160℃のオーブンで55分くらい焼いたら出来上がり。
レモンとトマト、イタリアンパセリを添えて。

簡単で(私はなにもやっていないけど)、おいしかったですよ!
塩をトンカチで割るのも楽しいですし。
香草がふわっと香り、ほどよい塩気で、ふっくらと焼き上がります。

チーズとパスタで、またワインがすすみますネ〜。

☆伊勢丹で買ったチーズがおいしい!


☆これはクックパッドのレシピらしいです。エビとほうれん草のパスタ。にんにくと鷹の爪の風味がおいしかった〜!

しかし、この日もサラダ以外の料理(及び後片付け)は夫が担当。
こないだの休日も天丼と広島焼きを作ってくれましたが(買い出しと後片付けも)、「おもしろかった〜」と特にイヤイヤやっている様子もなく。
ん〜、台所の主の座を奪われる日も近い?とりあえず週末は朝から晩まで彼が台所にいる感じですね。ありがたやありがたや。

この週末も仕事をしていません。
今後の目標「楽して稼げる翻訳者」の「楽する」ほうは、すでに達成されている感のある、今日このごろです。



 
統計学的思考or感性重視型思考
先日TVで某中堅俳優さんが自分の役者半生について語っていました。
最初は全然売れなかったそうです。自分はこういう役をやりたいと心にいつも思っているのにそういう役のオファーはないし。
今は確固たる地位を確立しているその方、転機は「スタッフの言うとおりにしてみた」時期あたりにあったようです。
どうやら自分が思っている自分のイメージと、人が見たがっている自分のイメージとは違うらしい。だから自分以外の人の意見を聞こう、と思ったそう。その頃からぐんぐん売れて、今に至っているようです。そして今でもオファーがあればまずスタッフに相談するそう。「ねえ、これ、やったほうがいいと思う?」と。
トレンディー俳優から実力派へと見事に転身されましたね。「20世紀少年」のケンヂくん、とってもよかったです!

昔の話ですが、知り合いのT大生が自分の就職先を決めるのに、なんと統計を利用していました。いろんな企業のデータを見て、彼が出した結論、「離職率が一番低いからこの会社にする」。耳を疑いました。えっ、それだけで決めるのと。おそらく彼の思考としては、「離職率が低い」ということはいろんな意味で居心地がいい会社だということ。だから、そういう会社に長く勤めたい。そういう感じだったと思います。その当時は理解できなかったのですけどね。
T大とは青天井で、日本中のすごい頭脳が集まり、上が果てしないそうです。そして、自分はT大には受かったけど、どうやったってそういう「上の人たち」にはかなわないと感じたようです。だから、たいしたことのない自分は感性よりもデータを重視する、そういうことだったと思います。

(なぜか顔が似ている)ケンヂくんと元T大生。二人の共通点は謙虚だということですね。自分の感性はたいしたことがない、感性ではうまくいかなかった。じゃあ人の意見を聞いてみよう、統計的に考えてみよう、そういうことですね。

うまくいかない人っていうのは自分の感性を大切にしています。
どういうことかというと、例えばその道で成功している人がアドバイスをしてくれたとして、感性を大切にする人は間違いなく言われたとおりにやりません。ちょっとアレンジします。ここはわたし的にはこうしたほうがいいと思うし、とかその他もろもろの理由で。そうやっているうちに、達人のアドバイス通りにはなにもやっていないことになります。結局自分の感性しか信じていないのですね。
そして、統計。うまくいく人は、すでにうまくいっている人の言うことだけを聞きます。例えば幸せになりたかったら、今幸せそうな人に話を聞きます。話を聞いても、「えっ、そうは思えない」と当然心が抵抗します(だってだから幸せじゃないのですもの)。でもそれを乗り越えて、そっかあ、その人の言うとおりにしてみよう、とやってみるとうまくいくのです。
先日の心屋さんの講演会でもすごく面白かったのが、公開質問で、自分のつらい状況をなんとかしたいと話された質問者の方。
それを聞いた心屋さんから「こうしい」と言われたのに「でも、でも、でも」と「でも」のオンパレード。理解できなくても「こうしい」を受け入れたほうがいいときがあるのです。だって心屋さんはその道のプロ。統計的にこうすればうまくいくということを知っているのです。だから四の五の言わず「はい」って言えばいい。それがその人はできなかったのですね。
プロの言うこと、一度聞いてみたらいいのですよ。幸いにも自分の周りに成功している人がいればその人の言うことを聞いてみたらいいのですよ。ちなみにうまくいっていない人の話は聞くものではありません。なぜかというと、その人が教えてくれるのは「うまくいかない」方法です。

ここからの話はあくまでも私の勝手な印象です。そして実際のところどうこうという話ではありません。と前置きして…。
先日、全日本フィギュア大会がありました。いろんな選手がいて、必ずそのコーチがいます。
長女に聞いてみました。「あなたが選手ならどのコーチにつきたい?」と。
間髪をいれず「ブライアン」と答えました。
「おお、やっぱり。お母さんもそうだよ!」と私。
あの、実際問題としてどうこうという話ではありませんからね(とまた言い訳をして)。それほど深くいろんなことを知っているわけではありませんし。
長女と私はブライアンコーチにつきたい。なぜって彼が金メダル量産メーカーだから。ただそれだけ。自分は金メダルをとりたい。だからブライアンコーチ。それだけ。それ以外には何もない。
もちろんブライアンコーチだから絶対、ということはありません。他のコーチでも取れるかもしれません。でも、確率的な話なのです。確率が支配する世界に自分を送り込むだけ。単にそれだけ。私は特別だから確率が支配する世界になんか行かないわ、というのが「感性を大切にする人」ですね。でもね、例えばケンヂくんがスタッフの言うことを聞いているからといって、彼に俳優としての才能がないのか、と聞かれたらそうではないですよね。結局、謙虚なほうがうまくいくような気がするのですよねぇ。自分の感性を信じ過ぎることなく、人の言うことも信じてみたほうがいいような気がするのですよねぇ。




☆バローの焼きたて食パンにスライスチーズ、フォートナム&メイソンのマーマレードをのせて。最近のお気に入り朝食。





 
もんもん星人→でもでも星人→これでいいのよ星人
やっと楽しくなってきた、とお友だちに伝えたとおり、最近開放感に浸りながら、やりたいことをやりたいようにやっています。

でも、昔からそうではなかったのですよ。まず最初は心にフタをしていました。どうせ私には無理。私の状況だと無理だもん。だからそんなものいらないもん。嫌いだもん。もんもん。
ハイ、もんもん星人でした。

まずフタを開けました。本当は欲しいのだと。本当はやりたいのだと。そのとき手に入っていないことを見つめるのは怖かったけど。つらかったけど。まず欲しいと思わない限り入るものも入ってきません。

さて、自分の気持ちに気づいたところで、次は行動です。そこに言い訳が入ります。でも今他のことが忙しいし。でもこんなことやったら〇〇に悪いし、嫌われるかもしれないし。そう思ってやらない。でもでも星人ですね。
そして、もっとたちが悪いのが、「でも」が自分で見えない場合。無意識のうちに自分が本当はやりたくないことを避けるのです。

例えば、何かをしたいと思ったとします。思えたとします。
でもやらない。
それがでもでも星人。
それはまだまし。自分が言い訳していることに気づいているから。
でもでも星人よりもたちが悪いのが「これでいいのよ」星人。
なんかしらんけど忙しくなった、なんかしらんけど他のことを考えなきゃならない、なんかしらんけどとにかくそれができない。まあ、これでいいのよ。だってなんかしらんけどなんだもん。
という感じですね。
これがたちが悪いのは、自分の心を見つめていないから。なんかしらんけどだから、私は悪くないのです。自分の行動力のなさを見つめるかわりに周りの状況に流される。で、「これでいいのよ」。
だったら最初から「これでいいのよ」ではないですか?
そこに気づいた方が早いのですよね。

「これでいいのよ」星人はなぜかすぐにまた「これではダメだ」星人になります。そしてまた何かをしたいと思います。でもできません。エンドレスです。もう腹をくくって「本当にこれでいいのよ」と思ったらどうでしょう。だって、本当はそれを望んでいるのではないですか?

例えば、仕事をもっとしたいと思っている人がいるとします。一瞬本気です。本を読みます。人にアドバイスをもらいます。ちょっとだけ調べてみたりもします。
でも最終的には「仕事をもっとしたい」とは思っていない行動をとっています。なんかしらんけど、できないのです。他に楽しいことがあるのです、やりたいことがあるのです。だったらそっちをやればいい。「仕事をもっとしたい」という気持ちが本当ではなかったのですよ。
人間の深層心理って勝手に自分を自分の好きな場所に連れて行きます。その人は「仕事をもっとしたくない」のです。だからなんかしらんけどできなくなるのです。いや、なんかしらんけどではなく本当はなるべくしてなっているのですね。

なにも仕事だけが人生ではありません。仕事をもっとやることだけが目標ではありません。それは人それぞれ。
私は仕事をもっとしたいと思った時に、十分に頭のなかでシミュレーションしました。本当にやりたいの?こういう生活になるかもよ。こういうことはできなくなるかもよ。そして「でもやっぱりやりたい」と思った頃から仕事量がどんどん増えていきました。私の場合、望んだとおりです。でもどんな人も結局今の状況は「望んだとおり」なのですよ。
違う、私はそうじゃない、今の自分のままじゃイヤと本当に思ったら…。
「でもでも星人」にも「これでいいのよ星人」にもなりません。本気だから、ね。



だって心はもうわかってる
自分らしくってこと
素直に生きること

ただそれだけで良いはずなのに
それが一番難しい生き方
なんて無情…


福山雅治  「明日の☆SHOW」



 
「嫌い」はチャンス
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ

SEKAI NO OWARI  「Dragon Night」



この歌大好きでした。「正義」は人それぞれ違っているし、自分が正しいとみんな思い込んでいるもの。
だから、世の中に「絶対」とか「正しい」ことなんてないのだと再確認できる曲ですね。

ただ、今の私が引っかかるのは、僕が「彼」を嫌いだということ。
「嫌い」の中に自分の本心が隠されているのです。

それに気づいたのは、心屋さんの講演会の後、そのつながりで、ある人のブログを読ませていただいたときでした。
プロフィールの「嫌いな人のタイプ」に「人の優しさを利用する人」と書かれていました。
ああ、人はどうして他の人のことはよくわかるのでしょうね。瞬間的に「あなた、1回そういうタイプになってみたら」と言いたくなりました。ここからは想像です。例えばその人はそういう「人の優しさを利用する人」に傷つけられた、迷惑をかけられた、そして自分は絶対にそういうことをしようとしない「いい人」です。でも、「嫌い」とまで思うということはどこかに「うらやましい気持ち」があるのですよね。その嫌いなタイプの人は人生うまくやっているのかもしれない、案外人に好かれているのかもしれない、もしかしたら「いい人」やっている人の方が、何かと苦労の多い人生なのかもしれない。なんで自分ばっかり損するのって感じですよね。だから1回「いい人」やめて「人の優しさを(利用するのではなく)受け取る人」になったらいいと思うのです。

人のことを言うは簡単。さて自分はどうだろうとその時考えました。私が嫌いな人って?
「ああ、こういう人」とすぐに浮かびました。そしてその人のことがうらやましいのかと自問してみました。
その人のそういうところは嫌いなのだから、決して全部はうらやましくないのですが、自分の本心がわかりました。
その人みたいに〇〇したかったのだと。もちろんその人のやり方は私からしたらめちゃくちゃでマネしたくもないのです。でも、得ようとしている結果は同じだったのですね。ああ、私は〇〇したかったのだ、とはっきりわかりました。
で今は、私は〇〇したいからこうしよう、と行動を変えています。その人のやり方ではありません。もっとストレートです。
ああ、いい気分。やっぱりこうしたかったのね。わかってよかった!もう隠さずにやりたいように生きていこう、そう思いました。そして、その人のこと「嫌い」と思う気持ちがなくなりました。「なんだ〜、一緒じゃん」って感じです。どっちが「ワル」かと聞かれたら、偽善者ぶっている自分の方が「ワル」だったりして。そんなことに気づくともう爆笑もんです。

「嫌い」や「イヤ」はチャンスです。自分が本当は何が欲しいのかがわかります。怖いけどね。でも気づくと、そして気づいてストレートにそれを得ようとして動けるようになると楽しいですよ。「いい人」にならなくてもがんばらなくても、それは得られるのですね。



☆心屋さんの講演会でもらったストラップ。そう、がんばらなくても、「いい人」にならなくてもそうなんですよね。

 
バイバイgood girl
「いつもブログ見てるよ」とお友だちからメールがありました。
「相変わらず試行錯誤ですが、最近ようやく(?)生きていることが楽しくなりつつあります」とお返事しました。
えっ、ようやくですか?
はい、ようやくですね。

今までもそれなりにもちろん楽しかったのですよ。でもこれほどの解放感を持った楽しさはなかったなあ。
私はアナ雪でいうところの「good girl」をやめたのです。
「いい娘」「いい妻」「いい母」「いい人」「いい女」になろうとするのをやめたのです。
そしたらこんなに楽しくなりました。

なぜ、そうするようになったか。それは少しお話しましたが、「がんばっても報われない」と思ったから。
心屋さんの本を読むようになって「いい人」は今までと逆をした方がいいとのアドバイスを実践しているのです。
講演会で心屋さんはこう言いました。
「僕の講演に来てくれる人の99.5%くらいは『いい人』です。それでうまくいかないなら逆をやってみてください。ゴキブリを飲むつもりで」と。
「ゴキブリを飲む」くらい極端なことをしないと「いい人」ループから抜け出せないようなのです。
「いい人ループ」とは私が作った言葉なのだけど、
「いい人(礼儀正しく親切で人に優しく人に迷惑をかけず…)になろうとする」→「自分に無理をさせる」→「疲れる」「いい人になろうとしていない人に腹が立つ」→「人にもいい人になるよう強要する」→「嫌われる」→「自分がいい人でないから嫌われるのだ、とさらに無理を重ねる」→…
という悪循環の図式。

この悪循環を反対にすればいいのですよね、単純に考えて。

さて、私の実践編。
いわゆる「いい人」はわりとすぐにやめられました。特にまだそれほど長くお付き合いしていない方には最初から「ありのままの自分」を見せるようにしていますし。まあ、ブログを読んでくれている人は私の長所も短所もお見通しでしょうから、隠してもしょうがないですし。
「いい妻」は、最初からそれほどがんばっていないし、「いい母」になることにもたいしてがんばっていなかったのですが、最近もっともっと自由にやれるようになってきました。

最後に残るのが意外と「いい嫁」「いい娘」になることを手放すことでした。
でも最近思いきってやってみました。年末年始の帰省時に思いきり好きなようにふるまってみたのです。例えば夫の実家での台所の手伝いは言われなければやらない、お義母さんが少々イラついている(ように感じられる)場合でもあえて無視して動かない。そんな「できない嫁」「気の利かない嫁」になってみたのです。すご〜く怖いことでした。絶対できないと思っていたことでした。まるでゴキブリを飲むような。でもやってみたのです。
結果、お義母さんの内心はわかりませんが、私はすごく気分がよく、お義母さんにも今まで以上に感謝の気持ちがわいてきました。私は終始上機嫌だったと思います。とりあえず、自分自身の気分はすごく良かったし、恵まれていることを感じました。
実家の母に対してはいろんな感情がごちゃまぜになり、整理がつきかねていたのですが、これまた思い切って「わがままで自由奔放で好きなことを言う娘」というありのままの自分(少々自分勝手に傾きすぎですが、これでバランスがとれるらしいのです)になって、言いたいことを超上機嫌でエラそうに言ってみました。意外や意外、母が「そう、その通りやねん」といろんなことを認めるではないですか。
やはり親子、母の影響は大きく、私が窮屈なのは母が原因なんだろうなあと薄々感じていましたが、最近は、ではその母が窮屈になったのはどうしてなんだろう、というところまで思いをはせられるようになり、ああ、こういうことがあったから母自身が「いい人」になろうと必死だったのだなあとわかったのです。まさに「いい娘」「いい妻」「いい母」「いい人」「いい女」になろうとしていたのですよねえ。その影響を娘も受けてしまっていたのですね。そして、母も「いい人ループ」にはまってしまって苦しんでいるので、私がそのことを指摘したら、絶対に否定すると思ったのに、すんなりといろんな言葉を受け入れてくれました。おお、不思議。よくわからないけど、私が変わったから母の態度も変わったのでしょうね。母は母なりに一生懸命だった、がんばっていた、がんばりすぎで悪循環に陥ってしまったけど、もとは「いい人」になりたかっただけの超がんばり屋さんだったのだと、私の胸にストンと落ちるものがありました。それがわかると改めて感謝の気持ちがわいてきました。本当に良かったです。で、もちろん母に「いい人になるのはやめな」と上から目線で指示しました。理解はしてくれましたが、実践できるかどうかはわかりませんけどね。

「いい人」に見せようというのは「ありのままの自分」に自信がないことの裏返しですよね。でも仮に「いい人」になったとしてそれで得た自信はもろいんですよねぇ。もろいからさらに「いい人」になろうとする、これまた悪循環。もうや〜めた、です。やめてから楽しいですよ。そして、思ったほど周りに迷惑はかけていないと思います。それどころか機嫌が良いので、周りもうれしいかも。「いい人」はやめて「機嫌のいい人」になったわけですね。


Don't let them in, don't let them see
Be the good girl you always have to be
Conceal, don't feel, don't let them know
Well, now they know
(「いつも『いい子』でいるのよ、隠し通して、何も感じずに」なんて言われてきたけど、もうみんな知っているじゃないの私の本性を)
***

I don't care what they're going to say
(何を言われてもどうだっていいわ)
***

Let it go, let it go
That perfect girl is gone
(窮屈な思いは手放そう。完璧な女になんかもうなろうとしないわ)


「アナと雪の女王」より「Let It Go」


☆( )内は私の超訳です。この歌で「跳躍」しましょう!
守山までのドライブ
免許更新のため、守山まで。
前の日の雪のため、湖岸道路からの景色がとってもきれい。


その後、ピエリ守山でウォーキングしていた(?)両親とお茶。

セカンドハウス(喫茶店)からの眺めは最高。琵琶湖の向こうの山が白く見えます。


ケーキは私がほぼ2つ食べましたΣ(゚∀゚ノ)ノキャー

ケーキをごちそうになったお礼に、母が欲しがっていた雪用シューズ(というよりはなかなかおしゃれなゴアブーツ)をプレゼント。ついでに私もおそろいで買いました。値段は、言いたくないけど(ホントは言いたい)セールで1足1000円です(笑)!

日中外出すると、やはり仕事が滞りますね。
明日はガッチリやりましょうね。



あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で
もがいてるなら
僕だってそうなんだ


あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で
もがいてるなら誰だってそう
僕だってそうなんだ


Mr.Children  「名もなき詩」



 
3連休はほぼ休み
新年初、スポーツクラブに行ってきました。お友達紹介で体験ができるとのことで、部活を引退して体が鈍っているらしい長女も一緒に。ヨガのレッスンやマシン、ランニングを終えて最後はお風呂。久々だったので全身に疲労感が(忘れた頃に筋肉痛がやってきそうです)。

注文していた本が届きました。
SDL Trados Studio 2011 基本の「き」 大型本 佐藤一平

SDL Trados Studio 2011 基本の「き」

うん、これは便利。最初にこの本が欲しかった。まだまだ使いこなしていない機能についてもたくさん書かれているので、ちょっとずつ取り入れていきましょう。

病気がみえる vol.2 循環器―医療情報科学研究所

病気がみえる vol.2 循環器 第3版 [BY2-3]

最近、循環器系の案件も増えてきたので、手元に置いておきましょう。


3連休、まだ仕事していません。今日は少しだけやる予定です。「休む」ことに関してはだいぶ進歩したような気がします。この調子でいきましょう!



☆ネスプレッソのグラスセットを買いました。