「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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天職?
1ヵ月単位の仕事、後半になって追い詰められていますが、ようやくゴールの光が見えてきた感じ。でも実は満身創痍の感もあり、Tradosのトラブルやらで正直納品するまで生きた心地がしない気もする今日このごろ。自分では普通だと思っているのだけど、たぶんマジメなんですよね。そして、自分だけで何とかしようとする。それが自分を苦しめるので、「まあ、いっかぁ」と「後工程の担当の方を信じる」ことを大切に思おうとしています。
おそらくどんな仕事をしていても今の私はそういう気持ちになってしまうに違いありません。「完璧主義」と「自力主義」をうまく手放せば楽になれるのでしょう。

そういう苦しみもあるにはあるのですが、この翻訳の仕事はまあ、自分に適していると思えますね。「天職」とまでは言えません。でも、その「作業」が好き。その「作業」が苦にならない。仕事選びはそれでよいのかなと。それに伴う「作業」が好きで、仕事として成立するもの、それが私にとっては翻訳だったわけです。
中3の頃、たぶん人生の中で一番「机の上での勉強」というものをやっていて、自宅学習として1日5時間とっていました。夕食前2時間と夕食後3時間。同級生に聞かれました。「なんでそんなに勉強するの?」と。「う〜ん、好きだからかなあ」と答えていました。その「作業」がわりと好きだったのです。机に向かって頭を働かせているという作業が。今と同じですね。もちろん1日中はしたくありません。中3の頃と違って、自分のことだけを考えていればいい立場でもないですし。家族のための食事作りやらのプレッシャーは毎日のしかかります。そんな中での作業ですから、ああ、休みたいとも思います。でも「わりと苦ではない」ので、やれてしまいます。

「仕事」という位置づけだと、コストパフォーマンスやら労働時間やら将来性やらを考えるべきだと思ってしまいますが、そういうのを全部取っ払ってしまえば、「作業」としての翻訳は好きだし、楽しいですね。納期がなくて、好きなように訳して、めんどうな見直しもせず、思いのままにキーボードをたたく。もしそういう状況ならなおいいですね。知的好奇心が満たされ、何よりも、大好きな「文字」「文章」「英語」に常に触れていられる。趣味の世界だともうそれで十分です。仕事だから多少の足かせはあるけれど、基本の「作業」は同じです。

私は「天職についた」のだから幸せ、というところまでは思っていませんが、まあまあ仕事としてはいい感じだなあと思っています。そして、学生時代の「机上の勉強」と同じで、人生それだけではない、ということも同時に感じ、仕事も含めた自分の時間の使い方、自分のごきげんの取り方に思いを馳せる今日このごろです。



 
コーヒー周りの買い物
普段はNespressoを楽しんでいますが、休日は普通のコーヒーを夫が淹れてくれます。
今まではコーヒー豆を挽かずに、買うときに粉にしてもらったり、最近は手持ちのコーヒーメーカーに付いていたミルで豆を挽いたりしていたのだけど、実はコーヒーメーカーをあまり使うことがない(ヤカンのお湯を直接注いでいる)ので、ミルはミルで欲しいなあという話になりました。

で、駅前のデパートで探索。これを見つけて買いました。


ラッセルホブスのコーヒーグラインダー(写真はHPから拝借)。

Russell Hobbs Coffee Grinder 7660JP★ラッセルホブス コーヒーグラインダー
スタイリッシュで使いやすそう。これでよりご機嫌にコーヒーを淹れてくれることでしょう。


ついでに朝食用のマグカップを新調。

栗原はるみ デイリーボーダーマグ

【栗原はるみ/洋食器】デイリーボーダーマグネイビー【楽ギフ_包装選択】



イエローとネイビーを選択。



うちの子どもたちはいつもアイスコーヒーを飲むのですが、いちいち買うのがめんどうで、最近家で作っていました。
それを今まではペットボトルを再利用して保存していましたが、専用の容器が欲しくなり、これを購入。


ハリオ ウォータージャグ
WJ-7-R

シリコンゴムの注ぎ口が便利なのです。


大人も子どももコーヒータイムが楽しくなることでしょう。





 
めんどうとの闘い
久しぶりに土曜日も仕事です。最近は1ヵ月単位で受注することが多いのですが、ついつい最初のうちは甘めのスケジュールでやってしまって、後から苦しくなるパターンがいつものこと。だって〜、終わらないうちから次の仕事がかぶさってくるのだから、せめて次の仕事の最初のうちくらいは気を休めたくって。それでも、目指している「土日完オフ、1日の作業時間5時間」が達成されつつある今日このごろ。まあ、とりあえずよしとしましょう。

自分を大切にする、自分の好きなことしかやらない、無理はしない、なんてことを考えだしてからくるっと一回転して、また新たな心境にあります。とことんめんどくさいことを避けた結果、その自分の状況があまり居心地のよいものではなくなってしまった感じもあるのです。具体的に言うと、例えば「キチンとするのやめよう」と家事を放棄したとします。「やりたくない」気持ちを最優先させる、それはそれでいいことだし、たまには必要だなあと思います。でも、その結果、家の中がグチャグチャになってしまったら、居心地が悪いのは自分なのですね。「キチンとする」やり方にはいろいろあって、もちろん自分一人が頑張らなくてもいいのでしょう。でも、人に頼むにしても、何らかの方法で解決するには自分で何かを考える必要があるのですね。
結局人生って「めんどくささとの闘い」のような気がしています。その闘いに勝った人こそ「好きに生きている」人なのでしょうかね。闘いなんて言葉は少々オーバーですが。きれいな空間で過ごしたい、でも片付けや掃除はめんどくさい。美しく着飾りたい、でもオシャレに時間やお金をかけたくない(それはめんどう)。人と会ってしゃべりたい、でも自分からセッティングするのはめんどう。すべて「でも、めんどくさい」がつきまとうのです。そして「めんどくさい」方が勝つと、「楽」なんだけど、「楽しくない」。「楽」ばかり追いかけると、イメージ的には1日中、1年中、化粧もせずに頭もとかさずスエット姿で寝転んでテレビやモニターを見ている生活。そしてお腹がすいたら食べたいものを食べる感じですね。ジャンクフード、嗜好品、そいういものを悪者扱いせずに。一方「楽しい」ばかりを追いかけていると、「家にいない」。外に外に刺激を求め、常に手帳を予定で埋めていく感じ。華やかさはあるけど、足元がグラグラだったり。極端に考えるとそういうイメージですかね。できることならその2極間でバランスをとりながらやっていきたい。大地に根を張った野生のバラのように。好きに生きることと楽に生きること、楽しく生きることは違うのですね。そのあたりを今一度、検証してみたいなあと思います。自分がどうしたいかということを。




☆夕飯のサムギョプサルで娘が作ったベイマックス。肉をサーフボードに見立てて、ハワイでの波乗り風(?)に仕上げました♪



 
あったかいんだから〜
寒い日が続きますね。最近、昼休みにコタツに入ると出るのがイヤで、仕事部屋に戻りたくなくなることも。仕事部屋はエアコンをつけたり足元にストーブを置いたりしていたのですが、どうしても下半身が冷えるのですよねえ。

何か足元を温めるものが欲しいと思って探し当てたのがこれ。

ホット足入れヒーター ダークブラウン NA-21SHZ
まるでコタツに入っているような温かさを実現!


寝袋のようなものにすっぽりと腰まで入れて、足裏にあたる部分のヒーターをつけるとこれがもう、「あったかいんだから〜(笑)」。電気代が約0.31円/時(中の場合)でかなり省エネ。これだけで仕事時の暖房はOKです。エアコンも要りません。
難点は出たり入ったりが大変なこと。マジックテープが左側面に付いているので、出るときはマシですが、入るときは立たないと腰まで入れられません。それと、コードが左側に付いているので、コンセントの位置が限られます。このように少々不便な点はありますが、いったん入ってしまうとホントに極楽。長時間の座り仕事には向いていると思います。


最近買ってよかったものをついでにご紹介。


主にfrancfrancで買ったキッチングッズ。
これ(↓)は指先トング。

ゆびさきトング LS1505

思っていた以上の便利さ。昨日、豚肉のピカタを作るのに使いましたが、肉(食材)を手で触らなくてもよい、というのはかなりストレスが減ることなのですね。裏返して置くと先端がつかないので調理中の置き場にも困りません。もっと早く買えばよかったし、もう1個買おうかなあとも思っています(調理中に肉・魚と野菜用で使いわけたいため)。


包丁は「関孫六」シリーズ。貝印のものはやっぱりよく切れますね。

関孫六 4000ST 三徳 165mm AB-5222



1本買ってみてよかったので、魚用に出刃も買いました。


暖房器具にしても調理器具にしても、少し買い足したり、新しいものに替えるだけで、作業効率があがるし、何よりもテンションがあがりますよね。便利なものを作ってくれるメーカーさんに感謝です。


 
自分を映す鏡
駅前にあるcafe toriでお友だちとランチしました。
かわいらしいお店です。



手前はタコライス。奥はハヤシライス。


久しぶりにゆっくりお話しましたが、やはり人は自分を映す鏡ですね。たくさんの気づきがあったし、学ぶことが多かったです。とってもまじめだと思っていたそのお友だちに「本当にまじめだね」と感心され、自分で思っている以上に自分はまじめなのだと思い知らされました。まじめで一生懸命、人に迷惑はかけず、自力でなんとかする、人のためにもなんとかする、そんな自分は間違っていないと思っていました。その思い込みが間違っていることに最近気づいた私です。気づいたからこそのお友だちからの(今さらながらの)「本当にまじめだね」の言葉があったのだと思うのです。自分で自分が見えていないときは、人からも見えていない。そういう言葉も相手に浮かばせない。それくらいのいわば威圧感があったと思うのですよね。かたくなな感じの。でも今、そういうのを取っ払って自由になろうとしているから、相手も自由に私を見てくれるのだと思うのです。だからその言葉には信ぴょう性がありますね。はい、まじめだったし、そこから変わろうと思っても心のクセはなかなか直らない。まじめがいい部分もあるから全否定するつもりはないけど、今の私はとにかく「べき」をやめようと思っているので、いつもいつも自分に優しく問いかけているのです。「こうするべきと思ってきたけど、本当はしたくないんじゃないの?」「これはだめと思ってきたけど、本当はやってもいいんじゃないの?」と。本当はどうなの?怒らないから言ってごらん、みたいな感じで優しく優しく問いかけると自分の本心が見えてきます。本心が見えてから実際に心のままにやれそうな部分はそうするし、無理又はやると他のことがシンドイと今は思うことはやらない。でもどちらかと言えば心のままに何でもやろうと心がけています。

「前よりいい顔してる」と言われました。顔は自分では見えませんが、心は晴れ晴れしています。だからそれが出ているのかな?生きているのが楽だし、楽しいです(自分比)。今までの「まじめで一生懸命、人に迷惑はかけず、自力でなんとかする、人のためにもなんとかする」というキャラ、それはそれで愛おしいし、そんな人が他にもいたら抱きしめてあげたい。でも、もうそこからは抜け出しましょう。そのキャラは本当は人にとって大迷惑なのですよ。自力で何とかする人は他力を信用していない人。そして、他力を信用していないと、自分の範囲を超えることはできないのです。人のためになんとかする、っていうキャラもなんにも人のためなんかになっていないのです。救うのはまず自分。ゴキゲンとるのもまず自分。そして、人を信じて迷惑かけて、甘えて許してもらって、そうして初めて感謝の気持ちが生まれるのですね。

少々親バカが入りますが、子どもたちから学ぶことも多いです。次女は部活のキャプテンをやっているのですが、これが本当に自分よりも他人を信じるキャラ。副キャプテンの方がしっかりしているから、と実質的なことは任せているし、先日行われた新1年生への部活紹介も、原稿を頼りになる賢い友だちに書いてもらっているし、そして結局その部活紹介の日は試合が入ったので、「下級生のしっかりしている子に任せた。めっちゃいい子やねん」と信じて手放していました。なんて他力をうまく使う子だろうと。いつも友だち(や上級生、下級生)がスゴイということを報告します。では自分に自信がないのかといえばそうではなさそうな様子です。ああ、家の中にいるんですね、お手本が。長女もまた私とは違うキャラ。学ぶことが多いです。もちろん夫からも学びます。違うことは素晴らしいこと。違う価値観を取り入れればどれほど世界が広がることでしょう。家族のメンバーだけでもいっぱい刺激をもらえるし、まだまだ知らない世界があることにワクワクします。もちろん外に出て他の人と触れ合えばもっと広がります。単に友だちの数は多ければ多いほどいいとか、情報はたくさん入れておかなければ、という感覚とは違う感じです、うまく言えませんが。今まで会った人とのご縁を感じるし、これからご縁のある人との出会いにもワクワクするという感じでしょうか。そしてやはり、リアルな付き合い。文字ではなくface to faceの付き合いを意識して心がけたい、と思っています。
Trados用語ベースの追加登録
Tradosの用語集をやっと作成できたことをご報告しました(http://blogathome.jugem.jp/?eid=817)が、実はそのあと四苦八苦していました。用語ペアを追加で登録したいのに、できなかったのです。

用語ペアの追加はMultiTerm上で「新しいエントリを追加」するか、Tradosのエディタ上で原文分節、訳文分節のマッチする用語を選択し、右クリックで「新しい用語の追加」を選択すれば、エディタ下部に「用語ベースビュー」が表示されるので、そこで同じような作業をすればできることです。すご〜く便利なはずですが、できない。どうやらJavaのバージョンが8.0になっているとセキュリティによってブロックされるらしくて。あれこれやってもダメ。こうなったらこのトラブルをそのまま検索してみよう、ということで検索したら出てきました。ありがたいサイトが。はい、このとおりにやれば出来ました!つまり、Java 8.0をアンインストールし、Java 7のセキュリティ設定を「中」にするのです。やった〜、これで「用語ペアの追加」が簡単に出来ます!めちゃくちゃ便利です(セキュリティ警告画面のオプションで同一サイトからの場合は許可することにしておきましょうね、それでないといちいち聞いてきますので)。

用語集を充実させれば、用語の一括置換をしなくてもかなり効率化が図れるような気がします。訳文分節上で「Ctl+Shift+L」を押せばその部分に訳語が示されるので、それを選択すればOK(お仲間から教えていただきました)。一括置換をして原語と訳語(英語と日本語)が入り混じった文から作成しなくても、用語集の用語を好きなようにどんどん入れていけばよいのです。これは本当に便利ですね。今後は例えば用語集にMedDRAを入れたり、作業案件の頻出用語集を「ちょこちょこっとその場で」作ったりしながら作業の効率化を図っていきたいです。



<2015/02/10追記>
今回のJavaの問題はTrados Studio 2014のSP2からは解消されているそうです。2014のSP1以前のバージョンの場合のみこのような問題が発生するようです(お仲間からの情報です)。私の使っているのは2011なのだけど、いつかアップグレードしようかなあ。タイミングを図ろうと思います。
 
日曜日は大津で
娘がうちで友だちと「お餅パーティー(?)」をしたいというので、家を空けるために映画を見に行きました。
見たのはこれ(↓)、ジョニー・デップの最新作、『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』





軽い内容で楽しめました。ジョニー・デップがチャーミングでしたよ。



☆パルコのスプーンにて。BLTサンドがおいしかった〜!


この週末はすこ〜しだけ確定申告の資料作りにとりかかりました。ボチボチやっていきましょう。







 
新しいヘアサロン
お世話になっている美容師さんが独立してお店を持ちました。

HAIR SALON MaKiNg

HAIR SALON   MaKiNg 

白を基調としつつ、あたたかみのあるインテリア。
HAIR SALON   MaKiNg 

オープンまでは休むヒマもないくらい忙しかったようですが、自分の思い通りのお店を持てて嬉しそうだった美容師さん。店長も任されていた安定した職場を捨て、自分の可能性にかけたようです。独立した理由を聞くと、「好きなようにやりたかった」「(雇われている立場だと)安定はあっても上限が決まってしまう」など、実力のある人だからこそ言える言葉が出てきました。「どんなサロンを目指したいのですか?」とお聞きすると「アットホームで、お客様がリラックスできるような」との答えが。なるほど、シャンプーの時の椅子はまるでリラクゼーションサロンの椅子のような座り心地。足元にヒーターが入っているそうで、じんわりと暖かく。ヘッドスパもやってもらったのですが、気持ちよかった〜!マッサージに行かなくても頭や首の凝りがほぐせそうです。

さて、今回の髪型ですが、決めていかなかったので「う〜ん、どうしようかなあ」と相談。「そういえば〇〇(芸能人)がバッサリショートにしていたんですよ」とのことで、早速iPadで検索。その時はちょっと見つからなかったのですが、「じゃあ、その人の感じでお願いします」とリクエスト。信頼しているので、まあいい感じにしてくれるだろうと。久しぶりにカラーもしたのですが、その色もお任せ。何事もプロに任せるのが一番だと思っているので。

通うのが楽しみなサロンです!






 
Tradosでここまではできました
最近Facebook上でTradosについて盛り上がり、最終的にみんなの興味はTradosでのメモリ活用と秀丸などでの用語一括置換を組み合わせたい、ということに集約されました(違っていたらゴメンナサイ)。

なんちゃってTradosユーザーの私ですが、Tradosにはお世話になっています。全翻訳作業をTrados上で行っています。他ソフトでの用語一括置換は少しだけ手を出してみたのですが、まだ本格的にはやっておらず。そういう状態です。

ちなみにこれまでいわゆるTrados案件、つまりパッケージ案件(メモリや用語集があらかじめ入っている場合もある)を受けたことがなく、すべて自分で様々な元原稿(PDF、ワード、パワーポイントなど)をTradosにインポートして訳した後、納品形態に仕上げていました。

また、実はTradosで「用語集」というものを使っていませんでした。作り方や使い方がわからなかったというのが正直なところです^_^;

でも最近、同一用語が頻出する案件を手がけ、これは用語集が欲しい、そしてできればその用語すべてを一括置換したい、と思いました。

先日買ったのがこの教科書。
SDL Trados Studio 2011 基本の「き」 大型本 佐藤一平

Trados2011_H1H4_03

これを見ながら初めて用語集の作成に成功しました!
少しだけ前進です。


さて、現在の私のTradosでの作業のやり方ですが、まず、エディタ上で原文を一括コピーします([翻訳]→[すべての原文のコピー])。そしてメモリや訳語検索を駆使して訳文を作成していきます。途中で用語を一括置換したくなったら[編集]→[置換]を使います。やっと用語集も使えるようになったので、それも使えますね。これだけでもかなり便利です。

さらにホントの意味での「一括置換」をしたい。つまり、用語集にある用語すべてを一発で置換したい。Facebookでのお仲間からの情報で、「外部レビュー用にエクスポート」する方法を使えば、一括置換したものを戻すことができそうです。それもいいけど、MultiTermから一発で置換できないかしら。(そのうち)そのあたりに手をつけていきたいです。


今までMedDRAなどの用語はすべて「対訳君」に入れていたけど、これもMultiTermに入れようかなあ。まだまだだけど、おもしろいです、Trados使うの。あともう一息使いこなしたいです。また教科書どおりにいろいろやってみましょう。

今回Tradosをめぐってお仲間と様々な情報交換ができたのが本当に良かったです。ちょっとしたやりとりからヒントが得られたり、お互いにわかっていることを教え合ったり。
私は車の運転が苦手なのですが、4点センサーとバックモニターのある車(もちろんAT車)に便利に乗っています。スピードものろいし、駐車も四苦八苦。でも自転車より、歩くより速くて便利ならそれでいいや、という感じで乗っています。
Tradosにもそういう感覚を持っています。得意な人からみたら「使っている意味あるの?」という感じかもしれませんが、自分は満足しています。かなり効率化がはかれています。なくてはならないツールです。
医薬業界にもTrados化の波が押し寄せてきつつあるのを最近感じます。もちろん「なくても」なんとかなりますが、「あったら」便利だし、自分に付加価値がつくような気がしています。

以上、亀のようにのろい、私の「Tradosマスターへの道」の現況報告でした。





 
正しいことは間違い?
正しいことを正しいと主張することはいいことだと思っていました。それも、自分のためにではなく、どちらかと言えば人のために主張することが多くありました。昔から姉御肌で、同性から頼られることが多く、悩んでいる人、困っている人がいればほっとけない、そんな感じでした。理不尽な状況でつらい思いをしている人を見ているのがいやで、その原因となるもの(人)に対して、代わりに正しいことを主張したことが多かったのです。ある部分ではそれは間違ったことではありませんでした。要求が通ることもあったし、悩んでいる人が楽になったこともありました。感謝されてますます頼りにされるということもありました。
でも、いいことばかりではありませんでした。むしろ悪いことの方が多かったです。まず、主張した相手がこちらの言うことを100%理解することはなかなかありません。仮に相手が理解したとしても、そういうことを主張されたことに傷ついてしまい、仮にだれかを救った(良く言えば)としても、別の人を傷つけていることになるのです。そして、相手が理解しない場合、いわゆる逆ギレされました。私のしたことは、私の周りの人たちは「あなたは正しいよ。向こうが悪いよ」と言ってくれる事が多く、「普通に考えたら」正しいでしょ、と私も思っていました。でもそれで自分が苦しくなり、相手も苦しめ、結果的に周りをも苦しめるなら、その行為は間違っていたのです。正しいか正しくないか、それ自体が絶対的なものではありません。仮に「正しい」としてもそれを押し通す行為は間違っていることが多いのです。正しいのだからわかるでしょ、との主張は間違っているのです。スケールが違いすぎますが、最近の痛ましいニュースからも教訓を得ることができますね。正しいことを主張することが正しいとは限らないのですね。自分が思う正しいことを押し通そうとする最終形が戦争なのかもしれません。正義のためです。悪いことをしているとは「お互いに」思っていません。でもそれで実際に傷つくのは誰なのでしょうか。だれかが客観的に裁いてくれればいいけど、だれも客観的に裁いてくれません。裁けるわけないのです、そもそも世の中には絶対はないのですから。世の中には絶対はない、ということだけが絶対です(笑)。

だから、「正しい」ことに固執する前に、まず自分を大切にする、それが自分の一番近くにいる人を大切にすることにつながる、それがどんどん大きくなって、もしかしたら世の中も温かいものになるのかもしれない。最近そう思うようになりました。散々痛い目にあってようやく気づいたことです。「正しい」ことに固執しなくなるということは、今まで「やってはいけない」と思っていた「逃げる」こと、「あきらめる」こと、「考えるのをやめる」こと、「適当にする」こと、「楽すること」などをやるということですね。これがなかなか私はできなかったのですが、最近ようやくできるようになりつつあります。なによりも自分を大切に。本当の自分って案外しょーもないことで幸せだったり、ささいなことで不機嫌になったり、意外とちっちゃな存在なんです。おいしいものを食べて、おしゃべりを楽しんで、ゴロゴロだらだらして、好きなものに熱中して、そんな感じで満足なのですよね、ホントのホントは。それを、母としてこうありたい、娘としてこうありたい、主婦としてこうありたい、女としてこうありたい、(おまけ)翻訳者としてこうありたい、(もっとおまけ)人としてこうありたい、なんてことに縛られていると、「正しい」ことに固執するようになってしまうのです。「正しい」よりも「楽しい」。「いいひと」よりも「機嫌のいい人」。それを常に目指したいですね。目指すなんて大げさな表現ですね。小さな子どもは本能でそうやっているものです。大人になるにつれ、世間の圧力がかかるから、「楽しい」から「正しい」になってしまうのですね。世間の圧力がなくなっても自分で自分に圧力をかけるようになってしまったりして。やめましょう、圧力をかけるのは。ふわふわ生きていきましょう。平和な世界で。

立春が過ぎ、本当の春を心待ちにする今日このごろ。心をうんとゆるめて、何にもとらわれずに生きていきたいですね。


☆今年も購入した「立春朝搾り」。フルーティーな味わいです。