「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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愛すべき「でたらめ」
最終日間近の伊丹市立美術館での「ぐりとぐら展」に行ってきました。




あの「たまご」が置いてあります。


「ぐりとぐら」シリーズの名場面の原画がたっぷり楽しめます。出品作品はこちら。

 
  • 「ぐりとぐら」
  • 「ぐりとぐらのおきゃくさま」
  • 「ぐりとぐらのかいすいよく」
  • 「ぐりとぐらのえんそく」
  • 「ぐりとぐらとくるりくら」
  • 「ぐりとぐらとすみれちゃん」
  • 「ぐりとぐらのおおそうじ」
  • 「ぐりとぐらの1ねんかん」
  • 「ぐりとぐらかるた」
  • 「ぐりとぐらのあいうえお」

なつかしいですね〜。

ぐりとぐらのかいすいよく


ぐりとぐらのおおそうじ


絵本を読み聞かせていた頃はちゃんと細部まで見ていなかったのですが、今回挿絵をよく見ると、いろいろと細かいところがおもしろかったです。窓辺によく置いてある花はゼラニウム。たまにインパチェンス。1997年出版の「ぐりとぐらの1ねんかん」だとポインセチアも登場して、実は時代を反映しているところもあるのです。古き良き時代を感じさせられる部分と新しい部分が混在しているのですね。



購入した図録には展示されていた挿絵が満載。それをじっくり見るのが楽しい。自分の子ども時代、そして娘たちが小さかった頃に自然とタイムスリップします。癒されますね。

野ねずみのぐりとぐらがカステラを食べるときにいろんな動物が集まってきます。ライオンあり、ワニあり、シカありで、ありえない設定。すべてがそう。でたらめだらけ。でもそこが子どもにとって、そして大人にとっても魅力なのですね。



ぐりとぐら展では中川・山脇作品をほかにも取り上げていて、「いやいやえん」の原画なども置いてありました。「いやいやえん」は長女が大好きでいつも読み聞かせをせがまれた本。私自身はそのとき初めて読んだのですが、結構おもしろいのですよねえ。

私自身が子どもの頃好きだったのは、これ。

「らいおんみどりの日ようび」



実は内容は忘れました。でも大好きだったことを覚えているのです。長女にも「『いやいやえん』好きだったよね?」と聞いても「内容は覚えていない」とのことでした。そんなもんです。でもなにか心に残っているのですね。


子ども時代の、そして子育て時代の柔らかい心が戻ってくるような素敵な時間を過ごすことができました。


 
甘えるということ
「今日、時間ない?」と母に誘われ、ピエリ守山のセカンドハウスでランチ。
席から琵琶湖が見渡せてとっても気持ちのよいお店なのです。
「ぼ〜っと景色を眺めるときって必要ね」と母が言っていました。同感です。




仕事で忙しい私を無理に誘ったと思っている母は、ご馳走してくれるつもりでしたが、私は先日両親が次女の試合を見に来てくれたお礼だから、と言って、ここの支払いを持ちました。この後子どもたちのために母がおやつを買って持たせてくれるのがわかっていたからです。年金暮らしの両親からもらうのは、もう気持ちだけで十分。

ZARAに寄ったら、普段着にちょうどよいTシャツが999円(値段、言わなくていいのにね(笑))。母がこれを買ってくれると言います。甘えました。買ってもらいました。買いたいのだろうなあと思ったから。
予定どおり、子どもたちのおやつも買ってもらい、実家で母を降ろしてから帰ろうとしたとき、ふと喉の渇きを覚えたので、「喉が渇いたからなんかない?」と聞いてみました。実家はあまり冷たいものを普段飲まないから、買い置きのジュースなどはないのはわかっていて、これまたあえて甘えたのです。「あるある、こんなんでいい?」と出してきたのは紙パックの野菜ジュース。冷蔵庫に二つきれいに並んでいて、どう見てもこれは夫婦二人で飲むつもりで買ったのだろうなあと察しがつきました。だから、そのように述べて、「だからもういいよ〜」と断ろうとしたけど「いいから、いいから」と持たせようとする母。私は紙パックを受け取りました。

帰り道、野菜ジュースを飲みながら、しみじみ考えました。
そう言えば、先日サザンのコンサートに行ったとき、子どもたちはお留守番で、しっかりものの長女にいろいろと任せて家を出たのです。普段はわりとクールで、私が頼りにしてるくらいの長女が、私が帰宅した途端、普段よりもかなり饒舌にいろいろとしょーもないことを話してくるのです。その様子を見て、私は本当に娘がかわいく思えました。甘えてくる娘がかわいいのです。
親にとって、自分が頼られることがこんなにうれしいことだなんて。子どもをここまで育てなければ決して私にはわからないことだったでしょう。私自身、親には、「迷惑をかけず、心配をかけず、逆に頼られる」くらいを目指していました。今わかることは、私の努力の方向は間違っていたということです。もちろん自立することは大切なこと。でも親にとってうれしいのは子どもに甘えられることなのですね。「あえて」甘えてみる。うれしそうなんですね、とても。私のような、親から見て、「一応」しっかりしてそうなタイプの子どもから甘えられることは特に。ああ、間違っていたなあ、としみじみ思いました。親だけではありません。人に甘えることも私は自分に禁じていました。またまた「迷惑をかけず、心配をかけず、逆に頼られる」ことを目指していたのです。でもそれは自分をすごく律さなければいけないし、逆に迷惑をかけられることを嫌っていることにほかならないのですね。そのことに気づいてからは「甘える」「甘えられる」関係、その大切さを感じています。今気づけてよかった。ここに至ったのは例の(って何のことかわからないと思いますが)「対岸を見た」経験が活きているのかもしれません。非常に深く自分を見つめる機会があった。今までの自分の価値観を根本から見直す時間があった。その経験からこのように変われたのかもしれません。今、いつもリラックスした気持ちだし、周りの人への感謝が湧き出てきます。うれしいです。甘えられる関係は。甘えてもらえる関係は。こんなことに気づけるくらいは長い人生であってくれたことに感謝です。そしてその状態で親にも接することができるこのときに感謝しています。



売り切れゴメンのビール、11時前にリカマンに買いに行って、ラスト1ケースでした。





ネイル更新。キラキラのシールはローラちゃんもやっていて今流行りだそう。
家庭訪問も終わったので、遊んでみました。服装などの制限がない、この職業ならではの自由さですね!

醜い自意識のかたまり
新聞の書評で見かけて、図書館で予約した本、読了しました。


永い言い訳 西川 美和




長年連れ添った妻を事故で失った主人公は、悲しみを「演じることしかできない」人物。
自分は「醜い自意識のかたまり」と自覚している、そんな彼の物語。
周りの人間を傷つけずにはいられない、でも自分も傷つかずにはいられない、そんなやっかいな主人公。
その彼の再生の物語といっていいのかな。
「醜い自意識のかたまり」の人物目線での世の中の見渡し方、周囲の人への感情が描かれています。
主人公の気持ちがわかる部分もある、でもどちらかと言えば、彼の周囲の人に同情を持ってしまいました。




こちらもやっと読了。

ソロモンの偽証(全6巻) 宮部 みゆき





ここからの感想はこの小説をこれから読む予定の人は見ないでくださいね。感動が半減しますから。そして本を読んだ後にここに戻ってきてほしいなあ。

さて、これはなんと言ったらいいのか。ミステリーであり、学校ものであり、いろいろジャンルわけはできるのだろうけど。
私、最後のほうは、泣いてしまいました。もしかしたら本を読んで泣くのは初めてかもしれません。自然と泣けてきたのです。
悲しすぎて。哀れすぎて。もう一人の主人公、いや、本当の主人公に感情移入してしまったのです。
先ほどの『永い言い訳』での主人公が自ら自分をそう称した「醜い自意識のかたまり」、これはなんてやっかいで、なんて周りの人を苦しめるのでしょうか。
もちろん本人も「シンドイ」のでしょう。その気持はわかります。でも、自分がいろんなことに負けたからって、弱いからって、同じようなこと、いやもっと辛いことに立ち向かっている人、あきらめつつも希望を持って生きようとしている人を陥れようとしてもよいのでしょうか。

自分にももちろん「醜い自意識のかたまり」というものは存在すると思っています。いや、どんな人にもそういう部分はあります。ダークな部分ですね。でもそれを正当化する、そして人にも強要する、その悪魔のパワーの恐ろしさ。それに従わない人に罪悪感を植え付ける罪。やっている人は決して気づかないのですね。私は裏主人公(?)に心から同情しました。いい人に自分を重ねあわせるなんて虫がいいのかもしれないけど。「対岸を見てきた」その人の気持ちが痛いほどわかったからです。

弱い人はすぐに人のせいにします。本当は心で泣いている、強く見える人の気持ちは無視して、自分だけがこの世でもっとも不幸な人だと思い込んでいます。そしてそんな強い人がいたら困るから、弱い方、悪の方へとその人を引きずり込もうとします。そのパワーの強さったら。はっきり言いますが、私もある意味「対岸」を見ました。人間の愚かさ、人間の恐ろしさ、そういうものに何度か直面する機会があったのです。絶望しました。悲しみました。言葉では言えません。でも、そういうところからでも一筋差し込んだ光だけを頼りに花を咲かせようと茎を伸ばし、葉を広げてきたつもりです。人間、ダークです。でもみんな「善」も求めているのです。その部分に救いを得てなんとかやっています。そんな自分への理解とエールに感じられたのですね、この小説の結末が。だから救われました。この小説に。こんなの初めてです。

ここまで感じる人は少ないかもしれないけど、この小説には極上のエンターテイメント性もあるので、映画化はうなずけますね。
ちょっと原作とは違うだろうけど、映画も見たくなりました。

とても考えさせられる小説でした。辛いようなうれしいような。そして、改めて、馬鹿にされようが、誤解されようが、自分は悪に引きずり込まれず、光の中を生きていきたいと強く思いました。





 
論文翻訳は時間がかかる
先日受講した「医薬論文翻訳講座」が奏効したのか、論文案件で高評価をいただきました(当社比)。
論文案件はもちろん好き。もともと書く側にいたからなじみがあるし、物語性があるのでおもしろいですね。
ただ、訳出には時間がかかります。英文が長くて凝っていて解釈が難しいし、裏をとる作業にかかる時間が膨大。

そういえば、学生時代に「論文セミナー」という講義がありました。金曜日の5時から始まるもので、研究室のメンバーが2人ずつ交代でそれぞれ興味のある論文を紹介するのです(余談ですが、その後飲みに行くのが常でした(笑))。
順番が回ってきたらもう大変。私なんか当時は1本読むので精一杯。せいぜい著者らの前報告数本を参考として読む程度。なんせ実験系の大学院生にとっては、実験時間=成果をあげる時間(本当は違うのだけどね)。実験以外のことをやっている余裕がないのです。
そんな中、当時助教授だった年配の女性の先生は、毎回膨大な数の参考論文を読み込んだ上で、1本(同著者まとめて数本だったかな?)の論文を紹介されていました。本当はそうするべきなのですよね。科学の世界では、まず先人たちの物語があって、それに新たな事実なり見解なりを付け加えていくのだから。
今、翻訳をやっていてよくそのことを思い出します。だからどうしても過去の文献にあたりたくなります。参考文献は全部読む(眼を通す)、くらいのつもりでいます。だから時間がかかりますね。

一方、マニュアルや発表スライドなどの訳出にはそれほど時間がかかりません。もちろん必要な調査は行いますが、英文はシンプルで短いし、繰り返しが多いので、結果的には単位時間あたりの訳出枚数が多くなるのです。私は案件ごとにかかった時間を記録しているのですが、論文とマニュアルなどでは、単位時間あたりの訳出枚数に2倍の差が出ます。つまりマニュアルなどは論文よりも2倍速く(多く)訳せるということです。

どちらにも一長一短があって、1つに絞るつもりは今のところはありません。飽き性ということもあり、いろんなものを訳すほうが好きですし。いろんなものを訳すことで、知らなかった世界を知ることができて好奇心が満たされます。翻訳をやっている醍醐味ですね。

そうそう、先日やっていた臨床試験系の案件でこのサイトが役立ちました。

http://www.tri-kobe.org/cdisc/glossary/glossary.php

CDISC(Clinical Data Interchange Standards Consortium)の用語集です。日英で解説があります。これ全部対訳君に入れたいくらい。
リンクしている「臨床研究情報センター」のサイトもいいですね。癌とアルツハイマー病というよく手がける疾病のガイドラインなどが日英で記載されています。


最近、訳文の見直しを徹底しています(当社比)。間違いがあるのではないかという前提でもう1度見直しているのです。そして、調査にもたっぷりと時間をかけています。もちろんその分時間がかかってしまうのですが、評価は上がったので、品質はこのラインをキープしたい。時間対訳出量は意識はするけど、そこばかりに注力すると、品質が下がります。バランスよくやっていきたいですね。







 
お茶会
行ってみたかった紅茶の店にお友だちと。

ガストロノームの敷地内にあるフルレットドゥースです(→)。

陽光のなか、紅茶とケーキで午後のひとときを。



いつの時代も女性には「お茶会」の時間が必要ですね。
おしゃべりするだけで、心がグンとほぐれます。

ちょっとお話したいなあ、と思った時にお友だちがいるのって本当にうれしい。
でこぼこで、変わり者の私ですが、今までいつでも優しくて頼りになるお友だちに恵まれてきました。
もしお友だちがいなかったら、私の人生は明らかに何かピースを欠いたものになるでしょう。
いろんな人がいて、自分も独特の存在で、そしてありのままに付き合える関係性が持てたら、それは本当に心の支えになりますね。

ご縁に感謝。そしてそれをつないでこれたことに感謝です。

 
試合の日の晩御飯
今日は次女の部活の大会。

予想通り一回戦で敗退し(泣)、第1試合だったため、私は11時には仕事を開始できました。


こんな日の夕食はやっぱりお肉。
ステーキを焼いて、あとはサラダとスープを。


先日お友だちのおうちで食べさせてもらって美味しかったのが、粉末のドレッシング。

味の素 Toss Sala まろやかな京風ゆず味

レンコンやひじきのトッピングがいいですね♪


スープは次女が修学旅行で買ってきたこれ。

スープはやっぱり北海道でしょ。コーン120g

スープはやっぱり北海道でしょ。コーン120g


おいしかったから、また取り寄せてみようかな。





サザンのコンサートで買った(そして、その場ですぐ着た)葡萄Tシャツ、うちでも着ています。小学校区内くらいの範囲で外にも着て行っています(笑)




絵空事かな?お伽噺かな?
互いの幸せ願うことなど


「ピースとハイライト」 サザンオールスターズ 



 
遊んだ後は
昨日のサザンのコンサートは最高だったけど、終電帰りだったし、今日もお友だちのお家で明石焼きパーティー。
遊んだ後は仕事山盛り。開かない眼に目薬さして、キーボードを叩き続ける。。。

ちなみに昨日の「セトリ」(この言葉、初めて知りました)はこちら(→)。
最高だったよ〜!
しかし、エロティカとマンピー両方入れてくるのね。
初めて(もしかして最初で最後?)のサザン、元気をいっぱいもらいました。やっぱ桑田は偉大!




イヤな事だらけの世の中で
登る坂道は向かい風
あの懐かしい日の想い出が
酔えば身に染む 涙ホロリ


「イヤな事だらけの世の中で」 サザンオールスターズ

 
少しうれしい
私の住んでいる地域でも、今日は夏日を観測したのではないかという陽気。
夕方になるとますます暑く感じられて、ブラトップ姿で仕事(笑)。
今夜、修学旅行先の北海道から帰ってくる次女もこの暑さにはビックリするのではないかしら。

しかし、子どもが1人不在だというだけで、ものすごく家事が楽。
洗濯の量は少ないし、ご飯の支度も簡単。
なんせ、普段はメンバー3人の帰宅時間はバラバラだし、次女は週3日塾に通っているので、その日は6時に夕食の支度をしておかなければならず。5時から食事の支度、6時から次女に食べさせて(それに付き合い)、7時から長女との食事、8時から仕事、10時過ぎに夫の夕食の支度。。。というスケジュール。そういう日は自由時間がほとんどありません。

ところが、昨日は夫も出張帰りの新幹線で夕食を済ませるというので、長女と二人の夕食。その前の日に大量に作ったハンバーグで、ロコモコプレート風にして、簡単に済ませました。二人だとそういうことも可能。夕方どれだけ仕事が進んだことか。
そして今日。テストが終わるからお友だちとご飯を食べてくる、という長女。ということは夫と二人、といっても彼は帰りが遅い。
ちょうどやっていた王将の餃子セールに夕方並び、生餃子とスイートポテトをお買い上げ。ご飯を炊いて、餃子を焼いている間にサラダを作れば、もうこんなもんでOKでしょう。なんて楽ちん。
家族のメンバーの数だけ、大変。それは間違いないですね。子どもが好きだから、本当は何人でも欲しかったけど、仕事の再開がどんどん遅くなりそうなので、2人に。私のようなタイプはそれが限界かな、と思います。

作家の平松洋子さんも、お子さんが小さい時はイライラするときが多かったけど、振り返ってみると多くの人に助けられ、家族にも理解してもらって、仕事を続けてきたのだと言われていました。
1人きりの静謐な時間を何よりも大切にするタイプの人にとっては、家事や育児は自分への障害にも思えるものですね。
私も1人の時間が大好きで、じっくり本を読んだり、ボーっと考え事をする時間が必要。もちろんいつでも1人きりがいいかというと、そういうわけではなく、たまにはにぎやかなのも好きだし、人と会うのも好き。でも、わりと自分自身と向き合う時間が好きかもしれませんね。読みたい本を片手に静かな時を過ごすのが好きです。

さて、今日もまだまだ仕事できそうです。仕事ばっかりも疲れるけど、少しうれしいですね。








 
ダークな本
時間があるといつまでも読書してしまいます。
うちに置いてあったので、先日読んだのが、こちら。

Nのために (双葉文庫) 文庫 湊 かなえ

Nのために (双葉文庫)

ドラマもやっていましたね、見そびれましたけど。

「イヤミス」っていう言葉、ご存知ですか?
なんでも、人間のダークな部分に着目し、厭な読後感を残すタイプのミステリのことをそう呼ぶとのこと。
沼田まほかるさんもそのカテゴリらしいです。
この本も、非常にダークでしたね。いつもの湊作品のとおり。
もちろん、他の作品との違いはいろいろとあるようですが、まあひっくるめて暗い、という感じでしたね。
そしてこれまたいつものとおり、ストーリーをどんどん追いたくなるので、あっという間に読めました。



母の日は自分へのご褒美として本屋に向かいました。
そこで買ったのがこちら。映画化されましたね。


ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫) 文庫 宮部 みゆき

ソロモンの偽証 第I部 事件

まだ2巻目ですが、引きこまれます。
これまた暗いです。ダークです。
登場人物の性格はバラエティに富んでいるのですが、それぞれにダークな面を持っています。
聡明な子は聡明な子なりに、グズな子はグズな子なりに、不幸な女性は不幸な女性なりに、他者に対して非常にネガティブな感情を持っている。恐ろしいです。本当はみんなこうなのかなと考えさせられます。おそらく「こんなイヤなこと考えているのは自分だけだし、心の中にしまっておきましょ」なんてみんな思って生きているのではないでしょうか。でも、実は自分だけではなく、世の中の人みんながそれぞれにいろんなことを考えているのですね。それだけは誤解しないようにしないと、とんでもないことに巻き込まれる可能性がありますね。

ただ、ものごとの暗い面と明るい面のどちらを自分は見るのか、という選択は常に自分でしていいのだから、必要以上に暗くなることはないですね。明るいばかりではないけど、暗いばかりでもないのが世の中ですから。
だからと言って、何にも悩み事はありません、と
たとえ口では言っていても態度を見ればそれが嘘だとわかります。嘘というか、暗い面を見ないようにしているだけということがわかるということですね。逆に暗い顔しているようで、案外幸せを感じていたりね。どちらもある。わかっている。わかったうえで、どのように選択するか。それだけですね。

人間ですから、ダークな感情はあります。そういうもんですから、気にしない。
自分の存在そのものが誰かにとっての不快のタネになることだってあるのですから、いちいち気にしていられません。
不完全な自分を認め、不完全な他の人を認める。そうでないと、この世は生きていくのにとてもつらいものになるでしょう。









 
手に入ったものを味わって
土曜日は夫が出かけたので、夕飯を食べさせてもらいに(笑)、母娘で実家に帰りました。
実家もNespressoを買ったので、いつも楽しいコーヒータイムを過ごしているようです。






日曜日は、先日行った星乃珈琲店にモーニングを食べに。



買い物帰りにケーキを買って。



夕飯はステーキと決まっていたので、おいしく食べるためにお腹をすかせようと、夕方家族で堤防沿いをランニング。
超スローな私の走り姿をせせら笑う声を気にもせず、マイペースで走り、なんとか1 kmくらい完走。
走るの、楽しいですね。

母の日といっても子どもたちもいろいろと忙しく、夕飯の支度はほとんど夫。
でもお手伝いは少しはしていたかな。その間、私はのんびりと読書していました。


今年のプレゼント。香り小物や靴下、炊事用手袋など。役立ちそうなものばかり。うれしいです。

プレゼントを渡す時、「いつもありがとう」と言ってくれるけど、こちらこそありがとうです。毎日感謝です。
次女が6年生の時にくれた手紙に「この家に生まれて、この家族と暮らせてとてもうれしいよ♡」と書いてありましたが、子どもたちがそう思っていてくれるのならうれしいです。
私は自分の家族を作りたかった。ささやかで平凡かもしれないけど、それが大げさに言えば人生のミッションでした。つまり第一優先事項でした。
それは得られたと思うから、次は仕事や自己実現、という方向に注力しているけど、もう、一番欲しかったものはすでに手に入っているという実感は常にあります。そして、仕事という次に欲しかったもの、それももう手に入った感じがします。
さあ、次は何が欲しい?
わくわくしながら考えています。