「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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また降るぞと身構えていた雪が今回は降らず。今朝は念願の「琵琶湖までウォーキング」にはりきって出かけましたが、工事中で途中までしか行けませんでした(笑)。でも1時間はたっぷりウォーキング。普段の買い物などもなるべく徒歩で行くようにしています。

1月に入ってからやはり忙しいです。先日長女のセンター入試が終わり、来月初めには次女が3校受験。その月末には長女の前期試験。2月で終わらなければ長女次女とも3月も受験。本人が大変なのはもちろんですが、親もそのたびに受験料の振り込み、願書書きのチェック、当日のお弁当作りやらで落ち着かない日々。何よりも体調管理と心のケア(?)に留意する必要があるので、とにかく緊張感が抜けません。これで人生が決まるわけでは決してないのだけど、そう思えるのは年を重ねた今だからであって、若者にとっては一つ一つが人生の岐路。重みが違うと思うので、こちらも軽くは扱えない。だから精一杯応援したいし、結果がどうなっても受け止めるだけの精神力をこちらが持ち合わせなければと思っています。

下の写真は先日雪が降ったときのもの。


センター入試が終わった長女が「気分転換に」と作った雪だるま。


長女の高校に面談に行った帰りにランチ。東洋亭で定番のハンバーグを。名物トマトサラダがGood!


長女のセンターが終わるのとほぼ同時に、1ヵ月間抱えていた私の仕事も終わり、少し気が抜けてしまいました。気分転換に緩めスケジュールで論文1本を訳しましたが、スケジュールに余裕があると、訳出作業も楽しいですね。どうすれば英語と日本語の垣根を超えてわかりやすい文章にできるのだろうと、考えだしたら止まらない。本当なら1文1文こだわり抜きたい。でも、仕事であるかぎり、そこには時間という制限がついてくるのですね。

最近仕事のやり方について、再び考え始めています。とにかく仕事が欲しかった時代の方針とは別の方針を自分の中に持ちたいと思っているのです。とにかく仕事が欲しかった時代の方針は奏効しました。うまくいったと思っています。ただ、それは仕事の面だけであって、自分の時間はかなり犠牲にしているし、身体的にもこれでは続かない。もう一つステップを上がろうと思います。つまり「楽して稼げる翻訳者」を本気で目指したいと思っています。

今、ヒントになりそうな本を片っ端から読んでいます。
昨日読んだのがこの本。

すごい手抜き - 今よりゆるくはたらいて、今より評価される30の仕事術 - 単行本(ソフトカバー) – 2015/12/4

すごい手抜き[佐々木正悟]

すごい本でした(笑)。意識改革を迫られます。つまり、「完璧がいいことで手抜きはダメなこと。だからできるかぎり完璧を目指すことがいいことだ」という考え方では「結局は成果が上がらない」ということを理屈で説かれるのです。なるほどなあと思う箇所続出でした。優等生気質な私は、テストを受ければできるかぎり完璧なところまで持っていく、というクセが抜け切れていないと自己分析しているのですが、これが仕事、特にフリーランスの仕事になると、このような完璧主義では時間がいくらあっても足らなくなるのです。だってこだわろうと思ったらいくらでもこだわれる。ミスをなくそうと思えばいくらでも見直しができる。「完璧なものを提出したい」という自分の欲が強いのですね。良いものを目指すことは決して悪いことではないのだけど、トータル的に考えればどうなるか。例えば私が90%の品質で1つの案件を納品するよりも、同じ期間で品質は70%に下げても2つ納品したほうが、実は翻訳会社さんやソースクライアントさんとしては助かるのかもしれませんよね。90%と70%で20%も違うと思っているのは自分だけだったり。そもそも90%というのは絶対無理であったり、単に自己満足だったり。「完璧主義」が何よりも正しいという考え方こそが間違っているのかもしれないという視点は、いろんな意味で考えさせられるものでした。


しばらくはいろんな本を読んで、次に目指すものを得るための方針を確立したいと思います。


 
安い買い物
先月購入した仕事用の椅子。



1ヵ月ほど使用した感想ですが、結論から言いますと、「イイ」です!
ひどかった肩こりがなくなりました。はい、こんなことだけで。
以前から寝る前にヨガのようなストレッチをしていたのですが、四つん這いになって四肢に順番に体重を移動させてぐるぐる身体を回すという動きをしたとき、この椅子を使う前は左肩が「ゴキゴキ」と鳴って、「ああ、固まっていたのだな」と耳でも判断できるほどだったのに、今は鳴らなくなりました。肩こりの痛みも最近全然感じません。ああ、こんなことだけで。
たぶんいちばん効いたのは、「肘置き」。私はピアノを弾いていたので、キーボードを叩くことなんてお手の物だと思っていたのですが、長時間になると、知らず知らずのうちに負担がかかっていたのでしょうね。あと、「ヘッドレスト」は実は入力中は頭を載せることはない(つまり少々前かがみになっている)のですが、訳文の見直し作業の時、参考資料(画面)を眺めている時など、なるべく頭を載せるようにしているので、首にかかる負担が減っていると思います。本当は入力中もヘッドレストに頭を載せておきたいのですが、その姿勢ではキーボードの高さが合わない。まだ完璧に環境を整えられてはいないのです。机、床、椅子の位置をもっと合わせていきたいと思っています。

体調を崩してから、仕事中の環境についてより考えるようになりました。参考にしたのはこのサイト。

コンピュータで仕事をする人のためのRSI対策ガイド
(デスク&チェアを見直す)


デスク&チェアだけでなく、職場環境についていろいろとためになる情報を教えてくれるサイトです。

ところで、この椅子は背骨がS字カーブを保つよう「腰当て」もついていて、座るだけで姿勢がよくなるところもすごくいいです。腰を冷やさないように最近は「貼るカイロ」を腰部に貼っているのですが、その状態で「腰当て」に背骨を押し当てるようにして座ると姿勢もよくなるし、カイロが暖かくて快適です。


ドラッグストアに行くと、カイロがいっぱい売られていてビックリしました。今まであまり使ったことがなかったのですが、この冬は大量購入。だって毎日使いますから。毎日使っても1ヵ月のカイロ代はスタバのコーヒー1杯分くらい。これは安いでしょう。


☆私が使う「貼るカイロ」以外にもいろいろと取り揃え。センター入試を受ける長女に山盛り持たせました(笑)。でも、試験会場(京都女子大)は暖房がよく効いていて、暑いくらいだったのこと^_^;


カイロが安い買い物であることは言うまでもありませんが、椅子も結局は安い買い物でしたね。仕事を再開してから、周辺機器、ソフトなどはできるだけいいものを値段をあまり考えずに買ってきましたが、すべて元は取れています。「ただより高いものはない」という言葉どおり、そういうところで節約してもかえって手間がかかったり使い勝手が悪かったりで、仕事の能率が落ちるのです。よい仕事をしたいと思うなら、まず自分の状態が大切だと思うし、それにはまず自分を本当に大切にしたいなと思うのです。まあ、こんなこと言っていても休憩せずに突っ走る自分がいたりもしますが、そこも反省点。
自分を大切にするってなんだろう。いいものを十分に自分に与えるということですね。そして質の悪いものでがまんしないことですね。これはものだけではなく、情報なども含めて。そうすることで初めて他者に対しても質のよいものを十分に与えることができるし、自分自身も心から満足のいく時間を過ごすことができると思うのです。



☆アマゾン15周年記念の箱、可愛いね!

 
勝ち組?
首相の「パートで25万円」発言、揚げ足を取られて大変ですね。「一度離職した女性がそれだけ稼ぐのはどれだけ大変か」について野党議員さんが熱弁を振るっているのをテレビで見ながら「そうそう」と同調した私。
出生率を増やすにはどうすればよいかの議論を聞きながら、「勝間さん(勝間和代さん)が、『男性の育児休暇の強制取得しかない』って言ってたよ」と夫に話を振ると、案の定「そう簡単には社会は変えられないよ」とのコメントが。そして、「そういうのが本当に女性の幸せにつながるのかな?あんたや勝間さんみたいな勝ち組ばかりじゃないんだから」との言葉。勝間さんと並べられること自体おこがましいし、仮に同じカテゴリーだったとして「それが勝ち組?」との疑問は沸き起こりましたが、まあ、夫の言いたいニュアンスは理解できます。
「大体、『一億総活躍』なんて言っているけど、活躍なんてしたくない人だっているのだから」と、夫はいつでも引いた目で世の中を見ています。そんな夫だから私にはいつも「あなたみたいに変わった人ばかりじゃないからね」と釘を刺し、私はいつもそれに歯向かって意見していたのですが、たぶん夫の言うことのほうが正しいのでしょう。

若くして財をなしたある人がブログでこう言っていました。「嘘をつく人は嘘をつかないと負けてばかりでつらいのです。ガチンコ勝負で勝ってきた人は、全部リアルで生きても人生快適なのですが、勝てない人は、リアルで生きると負けてばかりでつらいのです。だからこそ、多少嘘をついて、相手の関心をひいたり、多少嘘をついて、ズル休みしたりしたりするわけです。」
そういうことに気づいたその人は、昔は許せなかった嘘が許せるようになり、「いろいろ事情があって嘘をついている人に対し、強者の論理を振りかざさないようになりました」とのことでした。

私も昔は理解できませんでした。言い訳ばかりしていたり、嘘をついたりして自分のプライドを守ろうとする行為を。なぜガチンコ勝負しないのだと。自分の弱さを認めるところから始めなきゃ前に進めないじゃないかと。
でもそれは強者の理論なのですね。実の母にまで「あなたみたいに強い人ばかりではない」と言われてしまった私。私だって強くないんだよ、ただ自分の弱さから逃げないだけなんだよ、と決して母には理解できないであろう自分の思いを心のなかでつぶやきました。母だけではありません。夫の見立てでは、世の中の大半の人は母と同じで、私が少数派。勝間さん的な強い女性(ゴメンナサイ、勝間さんが実際にどうであるかは関係ありません)はそうそういないのです。

ただ、最近いくらかわかったことは、どうにもならないことというのが世の中にはあって、無理なこともあるのだなということ。私だって、黒いものを白くすることはできません。しようとしていました。でもできませんでした。そういう意味では私にも限界はあります。もしそこをつかれたら、正直つらいです。だって精一杯やっても無理なんだからと。ほら、私も言い訳です。あきらめています。だから、無理だと決め込んで言い訳をして行動を変えない人を責めることなんてできません。自分にもできないことはありますから。できないという判断が、環境から来るのか、気力から来るのか、体力から来るのか、そしてそれがどの程度のものなのかは人それぞれだから、「私ならできるけど」というのは意味をなさないのですね。これだけ生きてきてやっとそういうことが少しわかってきました。そして、あきらめていることがあるからこそ、これはあきらめない、ということも生まれてくるような気がします。私の場合は、正直、他の人がからむものはあきらめています。その分、自分自身でなんとかなることはあきらめたくないのです。身近で例えると、昔から子どもには多大な期待を寄せていませんでした。だって自分とは違う人間なのだから自分がコントロールすることはできないし、私の価値観が正しいとは限らない。それに、子どもの感覚の方が今の世の中に合っているのかもしれないですし。だから、極端に言えば、全く別の人間が縁あって一緒に暮らしている程度に考えています。もちろんかわいいし、大好きではあるのですが。子どもに期待しない分、自分には貪欲です。自分が成長したい、自分が成功したい。それが私の欲しいものだから。自分を叱咤激励し、時にはほめ、時には厳しく評価し、人生をプロデュースしていこうとしています。

「一億総活躍」?他の人のことはわかりません。活躍したいのかしたくないのか、それすらわからないのですから。女性として変わっているのかもしれません。大多数の人の気持ちがわからないのかもしれません。でも自分の気持ちはわかっています。

だから、もしかしたら「勝ち組(自分では決してそう思っていないのですが)」理論をいつも振りかざしているように思われているのかもしれませんが、これからも正直な思いを書いていこうと思います。

そして、いつもこのブログを読んでくださる人は、いわゆる「勝ち組」か、「本当は」そうなりたい人に違いないと思っているのです。


 
苦しいときの
今年も行ってきました。北野天満宮。



鉛筆、お守り、梅干し(!?)などを購入。すごい人混み。
今年は暖冬だからかして、梅の花がもう咲いていました。

お参りの後、四条あたりをぶらぶらしていたのですが、都会にはなぜスタバがいっぱいあるのでしょうね。5件は見ましたよ!



ネイル更新。今月は長女の面談があるので、またもや地味めに。
T-マファッソンの「我楽しょこら」とコラボ。


この3連休、長女は朝から学校、次女は塾。なぜそんなにがんばらなければいけないのか、そんなことして意味あるの?と聞かれればちゃんと答える自信はありません。ただ、何に対してでもいいのですが、一生懸命なこと自体が尊いと私は思っているので、結果はどうであれ、子どもたちを応援したいと思います。
一生懸命だとしんどいです。プレッシャーはあるし、失敗した時に恥ずかしい。何より、欲しかったものを手に入れられなかったときのショックは、一生懸命でなかった場合と比べて大きいでしょう。でもだからといっていつもいつも「簡単に手に入るもの」「がんばらなくてもいいもの」に「楽だから」「傷つきたくないから」という理由で甘んじることは、人生を最初からあきらめていることにすぎないような気がするのです。がんばりすぎなくてもいいけど「あきらめない」。その精神を持っている人を応援したいと思うし、自分もそうなりたいです。
相変わらず、仕事が楽しく、そのことだけ考えていても結構満足な今日このごろなのですが、今子どもたちに何をしてやれるのだろうと考えた時に、私ができることは環境整備しかないなと思い至りました。衣食住、できる範囲でサポートしたい。そして、仕事でパソコンに向かっている母の背中を見せることしかない(書斎が狭いので実際には私の背中をだれも見ることができませんが(笑))。
いつか、いつか、娘たちがこうやって働いている母に何かを感じてくれたらうれしいです。

 
はちみつレモン
今年は3日から仕事を始めました。年越しで抱えている案件で、自分で納期を決めさせてもらったのに、なぜか(やっぱり)余裕がない状態。今年の目標は「欲張らない」だから、今週たてつづけに打診された新規の3件は引き受けず。そうやって少しゆとりをもたせていると、もっといいものが入ってくることがあるのです。「欲張らない」けど「あきらめない」。大きな目標を意識して、自分を振り返る。そういう時間の過ごし方を心がけていきたいです。


冬のホットドリンク作りにお役立ちの「はちみつレモン」を作りました。
生協で購入した国産無農薬レモンをはちみつに浸けて。種は除いておいたほうがよかったかなあ。
参考にしたのはこちらのサイト(→)です。




一晩で飲めるようになります。


お湯をそそげばおいしいホットレモンの出来上がり。ちなみにカップの下に敷いたマットは昔手作りしたもの。


このはちみつレモンは紅茶に注いでもいいし、炭酸やお酒で割ってもいいですね。
次はオレンジでも作ってみようかな。



 
今年の目標は?
2016年、明けましたね。
今年もよろしくお願いします!

まずは年末年始の振り返りから。
大晦日は帰省途中に梅田に寄り、娘たちのジャーニーズショップでの買い物に付き合いました(私も買ったけど(5枚)(笑))。

ランチは前から行きたかったお店、グランフロントのシティベーカリー ブラッスリー・ルービンで。
カンパーニュがやっぱりおいしかったです。




一泊ずつの実家めぐりをしましたが、次女の塾が2日の朝からあったので、本当に忙しいお正月でした。
3日は朝から娘たちが勉強に出かけたので、夫婦でアウトレットへ。
栗原はるみさんのお店でナチュラル系の福袋(1万円)を買っちゃいました。

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コート(チャコールグレー)、カーディガン(赤)、ワンピ(ブラックウォッチ)、タートルインナー(生成り)、スヌード(生成り)、スパッツ(黒)が入っていました。
これをまるごと着れば完全なるナチュラル系コーデの出来上がり。
家で仕事をしているときは、ナチュラル系の服を着ていることが多いので、重宝しそうです。


ダンスクショップで買ったマグカップ。休日のコーヒーはいつもロイヤルドルトンのマグ(こちらもすごくお気に入り)に入れていたけど、これからは気分で使い分けたいですね。
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さて、今年の目標ですが、「欲張らない」にしようかなと考えています。
ただ、私は出産してから「欲張らない」で10数年過ごし、その結果仕事の再開が遅くなったという経緯を持っているので、その目標でいいのかどうか、正直まだ迷っています。
今の私しか知らない方は信じられないかもしれませんが、「欲がないね」とよく言われていたのですよ。
子どもたちとの生活は楽しく、子どもはかわいかったし、子どもに欲を出すこともそれほどなかったので、そういう意味では満足度が高かったのですね。仕事を第一線に戻さなくても、もうこのままでいいのではないか、十分満足しているのではないか、とそう思うときもあったのです。
「足るを知る」という感じかなあ、今あるものに感謝し、それ以上望まないという考え方。それでず〜っとやってきたのですが、やっぱり私は強欲でした。いわば9割満足していても残りの1割が欲しいのですね。向上心、成長欲、と言ってもいいのかもしれません。それに、「欲がない」時代は「欲を抑えていた」だけで、本当はもっと欲しかったのです。家族の生活が滞りなく回ること、それが第一優先の生活のなか、「自分」はどこにあるの?という心の叫びがどんどん大きくなっていったのですね。欲を抑えすぎると愚痴っぽい人生になってしまいます。誰かのせいにしたくなります。だから、自分の欲に向き合って、つらくてもそれをかなえる方向に進みたい。言い訳のできない生き方をしていると、恥ずかしいこともあります。だって、自分はこれが欲しいと宣言して、手に入らない場合は惨めだし、その過程は泥臭く、キレイ事だけでは済まないのです。周りに迷惑もかけます。それでも私はこうしたいからゴメンナサイと謝らなければなりません。でもね、迷惑をかけないことだけが最優先の人生って、ほぼ死に近いと思いませんか?だから思いきって私はこれが欲しいって周りにも言っちゃおう。迷惑かけよう。案外迷惑とは思っていなかったりもするし、そういうときにこそ「持ちつ持たれつ」だと思いませんか?

ん?「欲張らない」からかけ離れていっている(笑)?
ここで言う「欲張らない」の本質とは、うまく言えないけど、「大欲」のために「少欲」を捨てよう、という感じかもしれません。
具体的には、仕事を詰め込み過ぎない、忙しくなり過ぎない、スケジュールをいっぱいにしない、ものは買い過ぎない、そういうことを目指したいのです。
右手でこれをとって、左手でもこれをとって、ときには足も使って、という芸当はもう無理かなあという気がして。
無理ではないかもしれないけど、そこまでして「とる」こと自体に重きを置いて、果たして自分は満足なのか。
しっかりと両手でキャッチしよう、という心がけと言ったらいいのかな。そしてキャッチしたものにしっかりと向きあい、それがおいしい果実であるのならば、じっくりと味わいたいのです。


よくわからない新年の目標をここまで読んでくださってありがとうございました。
今後、「ちょっと〜、言っていたことと違うよ」とお気づきになった方はどうぞお知らせくださいね。
性格はそうそう変わらないと思いますし、クセはなかなか直らないものですから。

今年もブログでもリアルでもあるがままの自分の姿をさらけ出していこうと思っています。共感でも批判でも何でもいいので、何かしら読んでくださっている方の心に響くことがあったらうれしいです。毒にも薬にもならない存在というのも死に近いと思っていますので、少々つらいけど、批判的に見られることも覚悟の上です。
今年もオン・オフともに楽しく活発な交流ができることを楽しみにしていますね!