「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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Now or Never

「朝8時からプロジェクト(→)」を約2週間やりました。いやあ、よく仕事した〜(T_T)

3つほど案件を抱えている状態が続いていたので、ちょっと小休止。次の案件は少しボリュームを落としてお引き受けしたので、もう1つの入稿待ち案件にとりかかるまではほんの束の間だけど息がつけます。今朝は1本仕上げた後、久しぶりに朝から掃除をし、こうやってブログも書いているわけです。

 

こんな仕事人間ってどうよと是非を問うのはまた楽しみながらやるとして、相変わらず忙しい自分のおしりを叩く方法を見つけました。

それは、「今決める」ということ。

 

例えば仕事中、「あ〜、これが不便だからもう少し楽になるように設定を変えよう」とか「これは勉強しよう」なんてことがしょっちゅう頭に浮かびます。

机を離れたら離れたで、「あ〜、この汚れが気になる」「ここもどうにかしたい」と家の中で目につくことがいっぱい。

で、今までの私(仕事が忙しくなってからの私)は、「まあ、とにかく今は忙しいからできない。今度ひまになったらやろう」ととりあえずペンディングしていました。そして、その「今度」はなぜか永遠にやってこないのですね。

 

なぜ先延ばしにしてしまうか。実は人間は、現時点の快楽が未来の快楽よりもいいものに見えてしまうらしく、どうしても「今を快適にしたい」と思ってしまうのですね。太るとわかっていてもおいしいものが目の前にあったら食べてしまう、というように「今の快楽」におぼれてしまうのが人間というものらしいです。

 

先延ばしにするのは、楽です。「今」だけ考えれば。でもそれだと永遠に変わりません。

さて、どうしよう。そこで私が考えたのが「今やらないなら、せめて、やるときを今決める」ということ。

例えばあることが気になったとします。でも今は忙しい(やる気がない)からできないと、すぐに先延ばしにしようとします。そこでストップをかけて、「今はできないとしたらいつする?」と具体的に考えるのです。

そうすると、実はその時期を考えること自体がめんどうだったり、用事を先に延ばしたことを覚えておいて必ずやらなければならないという状況がイヤになり、「今やったほうが楽かも」となることがあります。「今」と「後」では、今のほうが楽そうに思えるので、今やろうかなという気になるのです(スミマセン、うまく説明できませんが)。

 

結局行動力のある人というのは決断力のある人ということができるのかもしれませんね。

何でもかんでも「今すぐやろう」というエンジン全開な前のめりなやり方もあるにはあるだろうけど、ちょっとしんどい。

だから「今すぐ決める」を心がける。それだけでも結構キツイですよ、先延ばしグセのある人にとっては。

全部でなくてもいいから少しだけでも「今決める」を心がけると行動力がアップすること間違いなしです。

 

さて、その心がけで最近やったこと。

 

らっきょう漬け。

 

 

昨日の朝8時前にやっちゃいました。材料だけ購入して冷蔵庫に入れて「いつかやろう」と思っていたものです。

保存食は保存バッグで仕込むと、ビンなどを熱湯消毒する必要もなく、冷蔵庫にも入れやすいので便利ですね。

 

 

他には、トイレのカーテンを夏仕様に変えたり、ついでに窓を拭いたり。気になること、ほんの少しだけどやっちゃいました。

 

 

そして仕事関係。ワードで文字を上付きにする操作を簡単にやりたくて。これは、ある案件を納品したらやると決めていて、ちゃんと決めたとおりにやりました。

 

マウスから手を離さずに、しかもいちいちマウスを動かさずに(ポインタを上に持って行くということは目線を上に持っていくことになるから効率が悪いのですよね)上付きにする操作をやるにはどうしたらよいか?

まずはマウスの右クリックに割り当てることを考えましたが、なんだか難しそうなので早々にあきらめました。

上付きは、ワードのショートカットキーでできるのはわかっていますが、右手も左手も使うのがめんどうなんですよね。

そこで、右手をマウスに置いたまま、左手のみでショートカットキーが操作できるよう、コマンドボタンを登録しました。

 

ワード→ファイル→オプション→リボンのユーザー設定→ユーザー設定→「ホーム」タブ→Superscript→割り当てるキーを押す

 

で、完了。左手のみで押せるキーを割り当てました。

 

マウス問題、検討事項です。マウスを使わずキーボードのみ、というのはTradosを使っていると難しそうなのです。AutoHotkeyを使うべきかもしれません。Trados自体どうよ?という話もあります。マウスを手元型にするという手もあります。ああ、それも考えなければいけないことですね。さていつ考える?それを決めないことには永遠に変わらないのでしょうね。

 

このように、まだまだやりたいことはたくさんあるけど、1つずつね。

 

”Now or Never”の精神で、とりあえず「今決める」だけでもやってみましょう!

 

 

 

 

 

 

やり方は1つではない

昨日はミズトラの会主催の「翻訳支援ツール超入門」を受講しました。

翻訳者のためのPC講座の第2回目(第1回目についてはこちら→)。

講師は第1回目に引き続き小林晋也先生です。

 

翻訳支援ツール(CAT:Computoer-Associated Translation)というのは例えばTradosやmemoQのことです。どうしても、翻訳支援ツール=翻訳メモリーツールと見なしてしまいますが、その他の重要な機能についてもしっかりと教えていただきました。個人的には品質管理の部分でもっと有効利用していきたいなと思いました。

 

様々なツールをデモしていただき、それぞれの長所や短所もわかりました。道具については何でもそうだと思うのですが、「1つのものに頼り過ぎない」ことが大切かなと思います。それぞれ得意不得意があるので、うまく組み合わせて使うことが大事なのですね。
 

ツールの具体的な説明の前に、ツールを使うことのメリット/デメリットについても、しっかりとお話しいただきました。

便利なものに頼り過ぎると自分の(いろんな意味での)体力が落ちるというのは何も翻訳に限らない話でして。

翻訳の場合でしたら、翻訳支援ツールを含めた様々な便利な道具は、「考える必要のない作業」をできるだけ短時間でストレスなく行うため「だけに」に使うという前提が大切で、決してそれによって「考えることを放棄する」ようではならないと思います。一方、「考える必要のない作業」を道具にやってもらうことは、個人的には仕事をやる上で不可欠だと思っています。なぜなら、仕事には常にスピードが要求されるからです。趣味でやっていること、じっくりやってもよい(じっくりやるべき)仕事なら話は別ですが、一般的な実務翻訳ではスピードが要求されます。そういう状況で、例えば道具を使わずに一つ一つ手作業でやっていればどうなるか。当然時間が足りなくなります。時間が足りないということは「見るべき過去訳や参考資料を見る時間が惜しくなる(ので割愛してしまい、表現などが統一されない)」「考えなければならない時間がなくなる(のでこなれていない訳文になる)」ということです。これは品質の低下につながります。ですから、機械でもやれることはできるだけ助けてもらって、人間は人間にしかできない部分に注力することが大切ではないかと私は思っています。

 

ツールによる効率化はまだまだ追いかけていきたいなと思います。一方で、本当の意味での翻訳力は地道に身に着けていくしかないと思っています。その二つは相反するものではなく、どちらも「一流の」実務翻訳者になるには必要なことだと思うのです。「一流の」実務翻訳者とはどういう翻訳者かというと、私の定義では「お客様満足度が高い」翻訳者です。今通っている治験翻訳講座でも先生は「スピードの早い翻訳者は重宝されるから」とおっしゃっています。私はいわゆる立派な翻訳者になりたいわけでもなく、同業者からリスペクトされる翻訳者になりたいわけでもありません。ただただお客様に満足してもらいたい。もちろん自分もハッピーになれる形でね。常に考えているのはお客様。会社員時代に叩きこまれた「後工程の人はお客様」という感覚を忘れず、納品文書をまずは翻訳会社さんのチェッカーさんにお届けする。そしてその先のクライアントさんに満足していただく。その繰り返しに力を注いでいきたいです。

 

この日はランチはエノテカにて。ワインを飲みたかったけどガマンしました(笑)。

 

セミナー後の懇親会は沖縄料理店で。

 

泡盛サングリア、おいしくて「赤」「白」と飲んじゃいました。

 

 

来週も「朝8時からプロジェクト→」、続けてみましょう!

本当の気持ち

1日平均5時間しか働いていない(→)という衝撃の事実に気付いた私は、再度自分の時間の使い方について考えました。

仮に5時間でよいのなら、それで1日が潰れてしまうのはなんとももったいない。

朝、用事や掃除をする前に仕事を始めてしまったら、昼過ぎには5時間がもう確保できているかも。

そう考えた私は早速自分だけのミニプロジェクトを始めました。毎朝8時から仕事を始めるというプロジェクトです。家族はその頃には誰も家にいないので、気付くこともありません。ちょうど次女が体育祭の団体発表の練習のため、少し早く登校しているので、私もお弁当作りのため少々早く起きている状態です。6時過ぎに起床すれば、家族全員のお弁当作り[詰めるだけだから簡単。ちなみに最近はつくおき生活のおかげで冷食をほぼ使わなくなりました(って自慢できるレベルではありませんが)]、洗濯(干すところまで)、朝食準備、自分の身支度と朝食を8時に終わらせることができます(またまたこれも自慢ではないのですが、私はやることが何もかもわりと早いのです。自分では意識していないのですが人から指摘されることが多いですね)。

今まで朝やっていた掃除や用事は夕方にやると決めました。

さて、1週間やってみてどうだったか。

8時から仕事を始めると、昼食までに4時間は作業できます。昼食後、あと1時間だと思うとすぐにやってしまおうという気持ちが働いて、あまりのんびりすることもなく仕事を再開できます。

5時間はあっという間です。

今までの仕事量なら、5時間終わったらその後自由なわけですから、掃除や用事を入れるにしてもかなり自由時間があるように感じます。

ところがところが、

まあ、お察しのとおり、私はもう少し仕事してしまうのですね。夕食後はせめてPCを見ないようにしているので、実質キーボードを叩く作業はやらないのですが、関連書籍を読んだり、全体的な内容を眺めたり、夫に細かいことを質問したりで、完全に仕事から離れている感はありません。そして夕食前(つまり5時間終わったあと)にはちょっとだけでも仕事したくなってしまいます。

例えば今は治験文書まるごと1つの訳に取り組んでいるのですが、納期はこちらで決められるので、1日5〜6時間で仕上げられる予定です。そしてそれ以外の時間に、他に依頼された小さな案件に取り組んでいます。分野はおもしろそうなものだけ。論文や治験関連、ちょっとしたインタビュー記事など。そういうものを2週間ほどかかる治験文書の翻訳の合間にやっています。ちょっとした気分転換にもなっています。

って、どんだけ仕事好き。

ああ、どう抗おうが好きなものは好きなんだもの、しょうがないよ〜。

まるでゲーマーのように、仕事しちゃう私。だって好きなんだもん。止められない。

理性でかろうじて、やらなきゃいけないことをやったり、バランスをとろうとしたりしていますが、本能のままだと仕事しちゃいます。

はい、だれかそれ以外の用事、全部やってください。

私は一日中パソコンの前に座っていますから〜!なんてね。

好きだから、身体を壊したくない。好きだから、家族にも反対されたくない。好きだから、気分転換も大切と思っておろそかにはしない。

根本にあるのは好きという気持ちなんです。もうどうしようもないね。それ以上でもそれ以下でもなく好きなものは好きなんです。

「朝8時からプロジェクト」をやっていると、お友だちとの平日ランチにも一仕事してから参加できます。

先日はご近所で楽しくランチをいただきました。メインの写真の撮り忘れ、ご勘弁を。


ああ、自由時間を好きなことに使おうとして、結局仕事しちゃった。ということは好きなことが仕事だったのですね。

(おかしい、なぜか改行が反映されません。読みにくくてゴメンナサイ)

治験翻訳講座第3回目
第3回目の治験翻訳講座、今日も「濃い」内容でした。

毎回、講座前に課題が手渡され、あらかじめ自分の訳を提出し、授業でその訳を発表し、先生の講義を受け、家に帰ってから一度提出した自分の訳をリライトしてまた提出し、そのリライト訳に対して先生が添削してくれる、というのが一連の流れになっており、リライト訳に対する添削と同時に先生自身の訳例も提示していただけます。
第2回の講座での私のリライト訳に対して、「何も訂正ありません。」と書かれてあったので安心していたのですが、先生自身の訳例を見ると、自分の訳との差が明らかで、どうしたらこの差を埋められるのか、それを今回の授業が始まる前に質問しました。

「英語の向こうにある事実を表現する」
「自分が訳したものの方が英文よりわかりやすいくらいの訳にする」

そういう意識が必要とのことでした。では、そのためにはどうしたらよいのかをさらに質問すると、
「日本語のインプット」
との答えでした。

翻訳の本質をついたこの回答に、正直ため息がでました。
順を追って解説しますと、まず「英語の向こうにある事実を表現する」というのは、「英文」に忠実になるのではなく、筆者が見た(行った)「事実」に忠実になるということ。そして、その事実を表現するのに一番ふさわしい文章を作ることにより、「自分が訳したものの方が英文よりわかりやすいくらいの訳にする」ことが可能になります。

また、「日本語のインプット」ですが、具体的には出版された本、論文などへの曝露が必要だとのことです。
私も以前より自分に言い聞かせているのが、「出版されていないもの」への曝露が「出版されているもの」への曝露を上回ることがあってはならない、ということ。どういうことかというと、例えばネット上の記述などはそれが果たして事実かどうかということはもとより、表現についても誰からのレビューも受けていない状態が多いです。そのレベルはほとんどが出版物より劣ると思われます。ですから、私は文章への曝露はSNSを含めた出版されていないものからよりも出版されているものからの方が上回るように心がけています。「ネットより本」です。それと同じようなことを先生もおっしゃっていたので、もっともっと出版物への曝露量を増やしたいと思いました(スミマセン、曝露なんて言葉は硬いですよね。要は本をもっと読むということですね)。

実は私はある翻訳会社さんのトライアルを受けたいなと思っているのですが、先方の求める条件が「原文が透けて見えないほどの筆力」なのです。現時点では自信がないので、まだ受けていませんが、この講座の受講後にトライしてみたいなと思っています。先生が書かれた「原文が透けて見えない訳文」と自分が書いた「こういう英語だからこうなったんだろうなあと推測されてしまう訳文」との差を埋めていくために邁進していきたいです。

そのための具体的な作業としては、「最初は」一度訳したあとに日本語として整え直すことが有効とのことでした。もちろん慣れてくればそういうことは頭の中で一瞬にしてできてしまうと思います。でも、最初は一歩ずつね。

今日も「determine」をどう訳すかについて喧々諤々の議論が交わされました。まず、先生は「この(ある文章中の)determine(他の単語も同様)をどう訳せばよいのか?」という質問自体が間違っているとおっしゃいました。もっともっともとの景色に注意を払わなければならない。状況によって訳語は変わるのです。大切なのは結局筆者が何を言いたかったのかということ。どんな景色を表そうとしているのかということ。ですから前後関係もものすごく重要ですし、背景知識も必要です。

「今日の授業もタフだったね〜」と慰め合いながら、受講メンバーとランチに行きました。
今日は前から行きたかったけど、いつも混んでいて入れなかったお店、トラットリア・チェーロさんへ。
自家製パスタがおいしかった〜!





受講生の皆さんの前向きな姿勢にいつも刺激を受けています。

最近登録したある専門分野関係のメールセミナーで講師の方が次のように言われていました。
「資格の勉強って高いですね。それでもお金を払う価値はあります。何よりも時間を節約することができます。」
これは資格にかぎらず言えることで、自分の時間をどれだけ大切に思っているかにつながることですよね。
身近な例ですと、セール品を買うためにいつもより往復1時間余計にかかるスーパーに買い物に行く、それが本当に節約になっているのかということですね。例えば数百円の節約は自分の1時間を差し出してもよいものかどうか。こういうことを考えるときは、今の自分の2倍の時給で考えるほうがよい、とある自己啓発書に書いてあったので、思い切ってその通り考えてみましょう。そうそう2倍を超える節約ができる機会はなさそうですね。逆に言えば自分の1時間を作るためなら、なんらかのサービスなりモノなりに今の自分の2倍の時給以下を払うことは安い買い物だということ。私は常にそういう風に考えて行動しています。それくらい自分の時間は大切にしたいです。もちろん仕事だけに費やすつもりはありません。実際1日5時間しか働いていないのですから。
勉強なり、ツールなり、人脈作りなりにお金をかけている人は、自分を大切にしている人だなあと思います。仕事だけでなく、自分を取り巻く環境、つまり衣食住すべてが自分を大切にしてくれるものなのかどうか。もっともっと貪欲になってもいいと思います。

どれくらい自分を大切にするか。どれくらい自分の時間を大切にするか。
そしてどうやって?
こういうことを考えるときほどワクワクするときはありませんね。



 
半年を振り返って
6月に入り、雨の日も多くなってきましたね。
こんな季節でも明るい気持ちになれるよう、ネイルは明るめのピンクのフレンチにしてみました。




今年はまだ半分過ぎていないのですが、仕事の会計上はもうこの半年を把握できる時期になりました。私は収入の管理を振り込みベースにしているので、6月中に振り込まれる額がわかれば、半年間を振り返ることができるのです。
結果は現時点では目標には届いておらず、昨年よりも売上額が若干低かったです。
作業時間のほうは、月に23日働いていると仮定すると、1日あたり5時間を切っていました。
要は働く時間が減った分だけ売上も減ったという感じです。

昨年の秋に体調を崩してから働き方を見なおしていて、とりあえず無理をせずに過ごしていました。
最近はやりたい仕事しか引き受けていませんし、仕事を詰め込もう詰め込もうとする意識はなくなってきていると思います。
そのかわり、時給を上げていきたいと思っているので、レート交渉もしましたし、自分の中に軸を持って翻訳するために、翻訳スクール(治験翻訳講座)にも通い始めました。そういうものはこれからジワジワと効いてくると思います。エクセルで案件ごとに時給を計算しているので、それをレビューし、「好きだけど時給が低くなる仕事」「好きじゃないけど時給が高くなる仕事」の傾向も見えてきました。時給が高ければ高いほどよい、というわけではないけど、「好きで時給が高い仕事」がベストですね。そして効率化。効率化ばかりを追い求めるのは、悪いことのように思われがちだけど、私は自分を楽にするための手段としか考えていません。どんな仕事にも実質的な利益と自己満足の部分とがあると思うのですが、それらのバランスをとることが一番大事かなと思っています。精神的な満足が得られることも仕事の魅力の1つではありますが、私みたいな「普通の」人間にとっては、対価も重要です。いっぱい楽しいことをするにはある程度のお金も必要。そして、「働くことが母の愛」とも思っているので、対価をおろそかにすることはあり得ません。その辺りのバランスをとって今年の後半を過ごしていこうと思います。今考えていることは、これ以上作業時間を増やすかどうか。増やして対価を得るのか、増やさずに自由時間(家族に捧げる時間も含めて)を得るのか。さてどうしようかな。

子どもたちが成長して新しいステップに進んでいくのとともに、自分自身もそのときそのときをベストな状態で過ごしていきたい。子育てほぼ終了(あとはお金だけ)のこの時期からどんな人生を歩んでいこうか。楽しみながら考えていきたいです。