「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
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お友だちとのひととき

ライブの話聞かせて、とのお友だちからのお誘いでランチに。

美容室帰りだったので近場のホテルで。

 

 

 

 

これから1ヵ月、また仕事詰め。しかも今は3件同時に抱えている状態。治験翻訳講座の課題も提出しなきゃならないし、先日トライアルに合格して登録した新規エージェントからもいつ依頼があるかわからない。

相変わらず余裕がなく、シンプルライフ、余白のある時間の使い方にはほど遠いのかもしれないけど、できるだけしんどくなりすぎないやり方でこなしていきたいと思います。

 

お友だちとのひとときは、いつも頭の中が仕事でいっぱいの自分が解放される時間。これまで、学生時代、会社員時代、結婚してから社宅時代に知り合った方々、子どもを産んでからのママ友、そして最近は仕事仲間と、いろんな人とのご縁がありました。大人数でワイワイするのも大好きで、いつも良い仲間に恵まれるのですが、その時代が終わってからも付き合いが続くお友だちがそれぞれ1人はいて、そういうお友だちが自分にとっては宝です。気が合うから自然とつながって、そして深く話せる仲になる。自分にとっての友だちの定義は「その人の目の前で泣ける人」かな。実際には私は自分のことでは「泣けない女」なのですが、泣けないまでもその人にはなんでも話せる、恥ずかしい部分や弱みを見せられる、ということですね。

少し前まで、私は人の悩みを聞くことはあっても自分のことは話せなかった。泣いている友だちを励ますことはあっても、自分が友だちの前で泣き崩れることはなかった。

でも本当に悲しいことがあったときに、友だちに助けてもらった経験から、今は「いざとなったら」聞いてもらおうといつも思っています。そういう友だちの数は決して多いわけではないけど(片手で数えられるくらい)、これからの人生でも少しずつ増えていくのではないかなと思っています。なんでも話せる友だちには年に1〜2回会うだけでパワーチャージされます。だから、そういうお友だちとの時間は忙しくても大切にしたいですね。

 

 

☆駅前のデパートでクラブハリエフェアをやっていて、「生パウンドケーキ」(写真右)とやらを買ってみました。マロン風味が秋を感じさせます。プリンは母が偶然買ってきてくれたもの。

 

 

なんとなくだけど、もうこのまま年内は仕事で忙しいような気がします。少しずつ大掃除もやっていこうかな。

仕事は大好きだけど、他のことも忘れないでね。生活がグラグラしていると、結局やりたいこともできなくなってしまうから。

体が2つ欲しい

昨日はまもなくリリースされるTrados Studio 2017の説明を聞きに、SDLの秋季ロードショーに参加しました。

 

☆セミナー前の腹ごしらえはハンズカフェで軽く。誰ですか、ビール飲んでいる人は(笑)

 

 

Studio 2017の新機能には、upLIFTという新技術を用いたFragment RecallとFuzzy Reapairがあり、翻訳メモリをより簡単に活用することができるようになるそうです。

 

確かにメモリが一致しない場合にいちいち訳語検索するのは面倒(F3ボタンを押すだけなのですが)だし、あいまい一致でいちいち修正するのも面倒といえば面倒(とはいえとってもありがたい機能で、数字など簡単なものは勝手に修正してくれるのですが)だったので、それらが自動的に呼び出されていれば楽ですね。

 

また、AutoSuggestが日本語でも効くようになるらしく、これも絶対便利。いかに作業中のセルから動かずに作業を進めていくかが効率化のキモとなるので、こういうちょっとした機能がちりも積もれば山となるのです。

 

Trados案件をほとんど受けることがなく、ほぼ自分の作業効率化のためだけにTradosを使っている私にとっては、まあTradosはありがたい存在でして。ちまたでいろいろと言われているのは知っていますが、私にとっては良き相棒。少しずつでも進化していってくれたらいいなあと思います。

 

 

☆コーヒーコーナーにはなんとケーキも。SDLさん、太っ腹〜!これでお茶に行かなくてすむね、と大喜びでセミナー中にいただきました。

 

☆お土産はクリーナーとペン。クリーナーのブラシはキーボードの隙間掃除に便利だし、スクリーン掃除用のワイパーもいいですね。気がついたときにちょこっとキレイにできます。ペンは実はタブレットペンにもなるもので、スマホやiPadの操作に役立ちそうです。

 

ロードショーは最初のプログラムだけ参加して、その後とんぼ返り。だって〜、今朝納品分がまだ終わっていなかったのだもの(泣)

セミナー参加の分を見越して進めていたはずが、やはり最後はアップアップ。昨日は10時〜16時頃まで家を空けましたが、作業時間5時間をなんとか確保しました。夕食はハヤシライスとサラダを作るだけで精一杯。洗いものは夫、洗濯物たたみは娘たちにお願いしました。

セミナー会場の梅田スカイビルから駅に戻るまでに目に飛び込んでくるグランフロントのショーウインドウに後ろ髪を引かれながら電車に飛び乗り。ちょっとブラブラするくらいの時間があっても良さそうなものなのに(泣)

 

でもね、状況が完全に整ってからやろう、なんて言っていたら、一生できないのです。状況が完全に整うことなんてないのですよね。だから一瞬一瞬に全力投球して生きていきたい。この手にすべてをつかむことは一度にはできないのかもしれないけど。

 

すでに11月末まで仕事が入り、昨日打診された別案件も引き受ける予定。だって、面白そうなんだもの。

ああ、体が2つ欲しい。本音はやっぱりもっと仕事したいのです。

 

こんなときを懐かしく思う日がいつか来るのかしら。それとも一生現役かしら。

 

とにかく今はやりたいことだらけの自分の状況に感謝しつつ、サステナビリティも考えていきましょう。

 

 

 

 

 

 

本当のトータル志向

庭のキンモクセイが満開で、甘い香りが2階の仕事部屋まで漂ってきます。

 

 

仕事のスケジュールに余裕をもたせるよう心がけるようになってから、泣く泣く仕事を断っています。この週末も原語で1500ワード程度の案件を打診されましたが、お断りしました。手持ちの案件だけで十分だと思えるし、来週はTradosのセミナーに参加するのでスケジュールに余裕をもたせておきたいし。これを受けたら家族で焼肉食べにいけるなあ、なんてことも頭をよぎるのですが、焼肉代を稼ぐだけが私の役割ではないですよね。

 

昨日は仕事の合間にクッキーを焼きました。ココア入りとフルーツ漬け入り。ステラおばさんのクッキー風(笑)

見た目はイマイチだけど、娘たちには好評で、次女は今日の部活の試合に持っていきました。今朝ニコニコしながら、開口一番「おはよう、クッキー持っていっていい?」と聞いてきた娘。たった1人の笑顔が見られたらそれでいい、ということもあるのですね。

 

自己実現をあきらめたわけではないのだけど、自分の役割というものも楽しみつつ果たしたい。

先日、仕事でのトータル志向をやめたと書きましたが、その分生活全体をトータルで考えるようにしています。

昨日は夫が出張中で娘たちと3人の夕食だから、近所に食べに行くかぁ、とも思いましたが、結局手作り。料理は嫌いではないので。

アサリのトマトソーススパゲッティ、ほうれん草とベーコン炒め、マグロのカルパッチョを作りました。

 

 

数日前、楽天のスーパーセールで、以前から目をつけていた超人気お菓子「バニラビーンズのショーコラ」を買いかけて、ポチる手を止めました。そう言えば、夫の出張先が横浜のみなとみらいじゃなかったっけ。よし、実店舗で買ってきてもらおう。

ということで、お土産にショーコラとパリトロを。

 

 

お店はとてもオシャレで、主に女性客で賑わっていたそうです。

濃厚なチョコレートがたまらないおいしさ。

みなとみらいに行った時のお土産はこれにきまりですね。

 

ちなみにこちらも夫のお土産。学会でもらったらしいです。


今年のJSCOのテーマカラーは紫?

 

 

主婦業だけでは満足できない自分というのはわかっているのだけど、自分も含めた家族の生活が少しでも快適になるようにしたいな、という気持ちもあって。

ある試算では専業主婦の年収は約300万円、兼業主婦だと200万円超となるそうです。たとえ300万円足しても夫には追いつかない(どころか、夫は週末料理を作ってくれるので、その分の夫の家事労働代を考慮しなければならない)、なんてことを考え出すとまた仕事人間になってしまうので、数字にとらわれすぎるのはやめたいなと思います。数字の方が単純に楽しかったりするのだけどね。何も考えずに突っ走れるのだけどね。

でも、だいたい夫と張り合うこと自体、なんだか虚しい。「自立」こそが大切で素晴らしいこと、と思い込んでいると、自分ひとりだけの能力をすべてにおいて高めよう、高めようとしてしまうのですね。

本当はこの社会で生きていくのに、一人ひとりはデコボコがあってもいいし、それを互いに補っていくことが自然なことなのかもしれないのに。例えば、みんなが英語ができれば私の仕事もいらないわけで。自分の欠点、能力不足を補って高めることだけが一番いいことではないような気がするのです。狭いというか、閉じているというか。それよりは自分の得意なことを提供し、苦手なことは助けてもらう、その方がそれこそトータルでは価値があるのかも。自立した者同士だと1+1=2になるだけだけど、お互いに補えばそれ以上になるのではないかな。

ということで、夫はこう、私はこう、という考え方はひとまず置いておいて、2人の生み出すものは2人で享受すればいいと思うことで、気持ちが暖かくなるような気がします。そういう考え方に逃げたらいけない、と思い続けて「自立した女」を目指そうとしていたけど、なんだか今思えば大いなる勘違いだったような気もします。やっぱり人は1人では生きていけないから。どんな人もね。

 

 

 

原文が透けて見えない訳

「お母さん、これおもしろいから読んでみて」と長女から1冊のファイルを手渡されました。

そこには予備校の英語の先生が書かれた新聞(?)が何十枚もファイルされていて、その新聞のエッセイがとってもおもしろいのです。

これだけで1冊の本ができるかも、と思わせるくらいおもしろいそのエッセイの裏には、和訳問題の解答らしきものが書かれており、例えばこんな感じ。

 

1.[構文訳]彼は、彼女がその家にペンキを塗るのを手伝った。

 [合格訳]彼は、彼女がペンキを塗るのを手伝った。

2.[構文訳]科学者は、その山の構造の中に、地球の創造を知る手がかりを見つけることを望んでいる。

 [合格訳]科学者は、その山の構造の中に、地球の創造を知る手がかりを見つけたいと思っている。

3.[構文訳]彼は切るためのナイフを持っていなかった。

 [合格訳]彼には切るナイフがなかった。

4.[構文訳]世の中は高度な技術を必要とするが、人類は技術の進歩を先導させ、政治や観念形態が後からついていくようにする心配にさせる傾向がある。

4.[合格訳]世の中は高度な技術を必要としているが、技術の進歩を先に行かせ、政治や観念形態に後追いをさせるという、憂慮すべき傾向が人類にはある。

 

などなど。

これらがプリントの裏面に延々と書かれています。

 

「構文訳」を読むと、もとの英語がわかりますね。もちろん「構文訳」は直訳で「合格訳」はこなれた訳文であることは明らかなのですが、気をつけていないと仕事でも「構文訳」にとどまってしまうことがありますね。

思わずそのファイルに見入ってしまい、勉強させてもらいました。

 

翻訳で大切なのは、やはり「原文の向こう側にある景色を描出すること」であり、決して英単語を置き換える、構文に当てはめて型通りの訳出をすることではないのですね。英語に引きずられず、そこに書かれた「事実」を読者に呈示する感じ。

 

先日、クライアントが「原文が透けて見えない訳」を希望している、と依頼された案件を納品したところ、ざっと目を通されたコーディネーターさんから「とても読みやすい訳に仕上げていただいて助かります」とお褒めの言葉をいただきました。まだまだ精進する必要はありますが、まずは「事実のみに目を向ける」ことを心がけていくことが大切かなと思います。そして、自分の中にある表現の引出しから最適なものを取り出して「文を作っていく」、そういう感覚。

 

ああ、楽しくも苦しいこの作業。いつも頭の中は言葉でいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ムフフ

「最近、番宣いっぱい出てるから幸せでしょ」とお友だちからLINEが。

子どもたちもツイッターでの情報や写真をいつもチェックしては送ってくれます。

昨日は長女が模試の帰りに「a○a○」を買ってきてくれました。

 

みんな、ありがとね〜!

今日は日中仕事がんばるぞ〜!

 

最高にハッピーな翻訳者

少し前、久しぶりにスケジュールに余裕があった週があり、心ゆくまでダラダラしながら、いろんなことを考えていました。

ちょうどいろんな人に会っていたこともあり、そこで感じたことも含めてじっくりと自分の気持を整理していたのです。

 

この夏は仕事に狂っていました。なんとなく今の2倍は仕事できるかも、と思っていたことを実行に移してみたのです。

やれました、実際に。でもいろんなところに無理があったなあと思うのです。

成果的には満足ですが、そのための毎日はまるで綱渡り。家の中のことが滞るし、仕事と最低限の家事以外はほぼ何もできない状態だったし、「私って仕事できる!」という高揚感以外の満足感はなかったような気がするのです。

 

でもね、1回やってみたかったんですよ。本当に今の2倍できるのかって。やれました、やってみたから納得できました。

やれたけど、今の自分にとってのそれは、他のことをおざなりにしなければできない仕事量だということもわかりました。

 

私はなんでも「だれかができるなら私にだってできるはず」と思ってしまうタチです。

「彼も人なり。我も人なり」ってやつですね。

そして、「すべての分野で」最高峰を目指していました。100点を取りたかったのです。いや、1番になりたかったのです。

それができないなんてくやしくて無理、と思い、必死にやってきました。

 

でも、いろんな人といろんな話をして気づいたのが、人それぞれの状況のなかでやれることというのはまた人それぞれで、決してすべてにパーフェクトな人なんていない、ということです。

仕事ぶりもスーパー、子どもも複数いてちゃんと自分で育てている、家の中のことも完璧、自由時間も充実していていつもゆったりとした余裕の雰囲気を醸し出している、なんて人はいないのですね。白状すると、私はそうなりたかったのですが。

一つひとつの分野に長けている人はいるけど、すべてが完璧な人なんていない。

そして自分もすべてに完璧になんてなれない。

そのことにやっと気づいたのですね。

 

そして、自分の置かれた立場というものが、実はとても恵まれたものだということに気づきました。それに気づいたきっかけは、2つの全く異なる集まりでの会話でした。ある日の同業者との集まりでは、ご主人が早期退職された方が2人もいて、それはそれでご主人は幸せだよね(夫婦2人で年間800万円稼げば十分で、それ以上の収入は幸せには直結しないという話も出ました)という話になったかと思うと、次の日に出席した高校の部活の同窓会では「旦那には、石にかじりついてでも定年まで働いてもらう、そうでないと子どもたちの教育費が無理」という意見が大半で、夫の早期退職なんてありえない状況の家庭がほとんどだったのです。ああ、こんなにも違うのだ、と男性のことを思うにつれ、逆に自分は女性として「一家の大黒柱」になっていない立場が恵まれているのだなとも思ったのです。このブログをこれまで読んでくださっている方で誤解なさる人はいないとは思いますが、決して仕事を適当にしてもよい、という意味ではありません。ただ、「好きな仕事を好きなようにする」という自由度が、例えば一家の大黒柱の男性よりはあることは間違いなく、それは本当に恵まれたことなのだなあと思ったのです。

 

だから、家事の負担が自分だけ重いとか、その他もろもろのマイナス面に目を向けるのではなく、自分の恵まれている状況に感謝して、もっともっと幸せに仕事したいと思ったのです。

 

具体的には、トータル志向をやめました。1ヵ月でいくら売り上げるとかそういうことをあまり考えすぎず、今この案件を気持ちよく仕上げる。そこでは100点、いやできればそれ以上を目指す。そういう仕事のやり方に変えていこうとしています。本当に幸いなことに、目先の利益だけにとらわれずに仕事をしてもよい立場なのだから、「ハッピーに仕事をする」ということだけを目標にしたいなと思うのです。

 

実際の見た目には何も変わりません。でも仕事最優先ではなく、少し家の中のことにも気を配ったり、休憩したりしています。仕事のやり方も今までよりは「じっくりと、納得のいくように」やっています。それで案件ごとの納期にさえ間に合えば、先方に迷惑をかけることはありませんから。そうやっていくうちに自分の中の満足感が膨らんでいくのがわかりました。一瞬一瞬を納得して過ごすという感じかな。急き立てられ、追い詰められる感じではなく。

 

 

 

3連休に出かけた伊賀上野城(本文とは全く関係がありません(笑))。

 


 

 

 

今日から治験翻訳講座の和訳実践講座が始まりました。

「もとを取ろう」みたいに考えるのではなく、楽しんで受講しています。もとは取ろうと思って取るものではなく、勝手に取れることでしょうから。

 

お決まりの講座の後のランチ。

 

 

甘いのかもしれない。そんな理想なんて現実ありえない、主婦が趣味でやっているというマインドで仕事されたら困る、とおしかりを受けるのかもしれない(誰から?)。

でも、私が置かれたこの状況での「最高にハッピーな翻訳者」を目指していこうと思います。