「熱い心でクールな仕事を」がモットーの
メディカル翻訳者の日々の暮らし
<< November 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

「超」に関する考察

今週のグッときたセリフ

 

"15%.No more."

 

譲らない強気なところが最高ですね!

 

 

さて、ドラマを見ていても、常に翻訳のことが頭をよぎる習性は、同業の方には理解してもらえると思うのですが、この

No more

やら

No less

 

さらには

more

そして

less

 

の訳しかたも難しい。

 

治験翻訳講座で、「英語では>、<をよく使う。日本語では≧、≦をよく使う」と習いました。つまり英語では「超」「未満」、日本語では「以上」「以下」を使うことが多いということですね。

 

実際の案件でも英語では「more than (超)」「less than(未満)」が使われていることが多いですね。でも、日本語では「未満」はまだしも、「超」なんて、普通言いますか?最近でこそ、ニュースのテロップにも「○○超の」などと書かれているのを見かけますけど。

 

では、「超(の)」を使わずにどう訳すか。例えば、こんな文章。

 

英語)when scanners have a slice thickness more than 5 mm

 

日本語)スキャナーのスライス厚が5 mmを超える場合

 

出典はRECISTガイドライン(version 1.1)(英語版→、日本語訳→☆☆)。固形がんの治療効果判定のためのガイドラインで、この領域ではおなじみの資料です。

「スキャナーのスライス厚が5 mm超の場合」でも間違いではないのですけどね。何となく日本語としてしっくりこないですね。

 

こんなふうに訳す場合もあります。

 

英語)When more than one measurable lesion is present at baseline

 

日本語)ベースライン評価において2 個以上の測定可能病変を認める場合

 

「1個超の」=「2個以上の」となりますね。この訳し方は個数や日数を表す場合によく使いますね。

 

 

"more than"となっていてもあえて「以上」と訳す場合もあります。それは続く数値の細かいところまでは重要でない場合などですね。

 

機械的に単語を置き換えるだけなら、「超」は「以上」「以下」「未満」と同様に訳せばよいのですが、そうそう杓子定規にできるものではないのですね。

やはり、日本語としての「違和感」を忘れずにいることが大切なのでしょうね。

そうは言っても「言葉は生き物」。翻訳文化(文化と言っていいものか?)が培われるにつれ、時代とともに言葉も変化していくので、「超」も受け入れられていくのかもしれません。

 

 

 

 

加湿器の季節になりました。無印のライト付きアロマディフューザーで、香りも楽しみましょう。

この日はグレープフルーツとユーカリで清々しく。

 

iPhoneImage.png

 

 

 

 

 

 

ベストシーズン

紅葉狩り、今年は鶏足寺に行ってきました。長浜にあるお寺です。

 

 

 

 

ここは紅葉のジュウタンが有名らしいです。

野犬が入り込んできました。

 

 

お寺までののどかな道。トウガラシってこんなふうに実がなるんですね。

 

お土産は入浴剤。自然な感じがいいですね。

 

紅葉ってベストシーズンにつかまえるのが案外難しかったりするけど、今回はバッチリでした。鶏足寺はこれまでに行った中では最高だったかも。見に来ている人たちが思わず声をあげてしまうほど鮮やかな色合いの木々に圧倒されました。

「校閲」といい勝負

次女がテスト前の部活オフで、久しぶりに土曜日の朝、目覚ましかけて起きなくていい〜!

こんな日の前夜は心置きなくワインを飲めますね。

 


ボージョレーと好きなツマミ類。ブルサンのチーズが最高!

 

最近、自分がずっとやりたかった分野(非臨床、免疫関連、遺伝子解析など)の仕事がどんどん舞い込んで本当にうれしいですが、日進月歩の科学技術についていくには勉強が必要ですね。この歳になってこんなに勉強するとは思わなかったなあ。まあ、勉強するのが仕事のような感じですね。ミーハーレベルの知的好奇心を満足させるのにこれほど適した仕事はないかもね(「校閲」といい勝負?)。

 

気配り上手は翻訳上手

今日のショックなニュース

 

えっ、今なんて言った、軽部さん?「1年後の公開」ですって?「2017年冬」ってこの冬のことじゃないの?やだ〜、待てないよ〜、金髪姿も見たいよ〜。もうクランクアップしたんでしょ?そこまで焦らさなくてもさあ。一緒に見に行こうねって夏からお誘いしていたディーン様ファンのYさんにも連絡しなきゃ(泣)

 

 

さてさて「フレンドリーな訳文」についての考察ですが(過去のブログはこちらを参照→☆☆)、お仲間からコメントをいただいたことでさらに深まってきました。

 

「専門家であるクライアントが読んで違和感のない表現」と書いていますが、読者はクライアント自身ではない場合もありますよね。例えば医薬分野では、製薬会社がクライアントでも実際の読者は患者さんとか。読者に応じた表現にしなければならないということは言うまでもないことですよね。

 

また情報の足し引きですが、それはあくまでも原文が伝えようとしている情報と「等価な情報」を訳文で提示するために必要な作業であるにすぎず、決して「勝手に」足したり引いたりするべきではないのですね。「必要十分」という一番難しいものを追い続けなければならないのです。この課題に対しては、時とともに自分が留意すべき点が変わっていくこともあります。慣れないうちは直訳調だったのに、慣れてしまうと創作に走ってしまいがち。でも初心にかえってあくまでも原文に寄り添っていかなければならないのですね。

 

それに、表現そのものが時代とともに変わっていく場合もあります。治験文書などではそれが顕著で、ああ、もうこういう表現は使わないように心がけているのだなあと思うこともしばしば。ほんと、言葉は生き物ですね。

 

結局目指すべきは、「読者の目的が一番果たせる訳文」と言ってもよいでしょうか。専門家が情報収集のために読むものなのか、申請書類としてどこかに提出するものなのか、一般の人に読んでもらいたい文書なのか、ユーザーに対する説明書なのか。なぜ今その文書(の翻訳)が必要なのか?を問いかけたら心がける点が見えてくるのかもしれません。文書の目的を把握し、それが果たせるよう心を配る。きっと気配り上手は翻訳上手ですね。

 

 

フレンドリーな訳文とは

「どうしたの」は、「寝たのかよ。子どもか」を上回る胸キュンセリフでしたね。早くも「神回(この若者ことばはわかりますか?)」との声も高まっているようです。昨夜は一番好きな曲「Ignition」を聴きながら夢見心地で寝ましたとも(ダンナ→札幌、東京方面出張中。21:45頃、「ファーストクラスでなくてもWi-Fiつながる!」と機上から喜びのLINEを送ってきましたが「取込み中」のシンプルな一言を返しました(笑))。

 

 

さて、昨夜の記事(→)で目標として掲げた「読者にとってフレンドリーな訳文」ですが、これがまたまた奥が深いですね。

治験翻訳講座で有馬先生(先生からブログにジャンジャン書いていいよ、との許可をいただいているので書かせていただきます)が「英語で100書かれていたら日本語では105くらいになるように情報を足しましょう」「おもてなしが必要ですから」と、言われていましたが、たしかに英語をそのまま日本語にしたのでは、行間の意味やわかっている前提で省略されている情報がすんなり頭に入ってこない訳文になる場合がありますね。

 

だからといって、「必要以上に」説明を足すとか、「くどい」表現にする必要はないというところが難しい。結局、実務翻訳者に求められている表現とは「専門家であるクライアントが読んで違和感のない表現」なのですね。この言葉は、治験翻訳講座で体験発表したときに同席していた某翻訳会社の担当者さんが言われたもので、「ああ、なるほど」と思ったのです。例えば、名詞型が並ぶ文章はなんだか堅苦しくて読みにくいからもっとわかりやすくしよう、なんて気遣いは、実はクライアントには無用、いや、余計なお世話、いや、「やめてくれー」という配慮かもしれず、わかっている人にとって一番情報がすんなり入ってくる文章を目指さなければならないのですね。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」というやつです。クライアントが訳文を読むときのスピードは相当速いと思われますので、そのスピード感にマッチした文章が必要です。つまりは情報をいかに適切に提示するか、ということですね。うん、難しい。足したり引いたりしながらベストなものを模索していくしかないですね。微妙なさじ加減というものはどんなことにとっても必要ですから。

 

 

 

 

 

 

快適なペース

仕事の打診時には希望納期を聞かれることが多いのですが、気持ちキツめに設定することが多いです。大体1日何枚(何ワード)できるから、(土日祝日を含めずに)何日かかるなあという感じで決めています。

 

実際に仕事を始めるときには、土日祝日は休み、納品(分納)前には1日余裕を持つ形で1日あたりの作業量を決めています。複数の案件を抱えている場合は各案件ごとに1日あたりの作業量を決めます。長期案件だと3日くらいは余裕を取ることになるので、必然的に1日あたりの作業量は受注時に考えていたものよりは多くなりますし、案件が追加されるたびに作業量は増えていきます。

 

今まではスケジュール的にアップアップの状態で、なかなか余裕が持てなかったのですが、今月は主な2つの案件について、1日の作業量の目標が夕方にはすんなりと達成できて、「えっ、うそ」という感じなのです。小さなことだけど、すごい達成感。余裕をもって取り組んでいる、なんて状態はずっとなかったし、なかば無理なこととあきらめていましたから。

 

理由の1つは引き受ける案件を絞っているということでしょうか。精通している分野、これから勉強したい分野のものに絞って受けているのです。そして極小案件(数日以内の納品)は、得意分野で「自分がやるのが一番早いだろうなあ」というもののみお受けして、調べることがいっぱいありそうなものは受けない。あっ、もちろんそれは時と場合によります。スケジュールに余裕があって、おもしろそうだからやってみたいときは採算度外視でお引き受けすることも多いです。そのような場合を除くと、引き受けるものを絞っていると「調べ物の量に対する成果物の量」が大きくなるのですね。

 

理由のもう1つは、ローラーバーマウスの導入でしょうか。従来のマウスに手を伸ばす作業がなくなり、たぶんかなりの効率化が図れているのではないかと思います。今、このブログは仕事用ではないPCで打っているのですが、もう親指がすぐ手前に来てしまう(ローラーバーマウスを探してしまう)のです。

 

それと、翻訳力のアップ。自分でアップなんて言うのはおこがましいですが、治験翻訳講座に通い始めてから原文に引きずられない訳文を作成することができるようになってきて、無駄に悩む時間がかなり減ったような気がします。

 

それらが相まって作業時間が短縮しているのではないかと思います。

 

効率が良くなったからたくさん仕事しよう、と今は思っていないので、その分、もっと俯瞰した訳文、もっと読者にとってフレンドリーな訳文になるよう心がけていきたいです。まあその作業にもそんなに時間がかかるわけではなく、普段の作業に組み込まれているのですが。

 

サクサク進むし、余裕は持てるし、単に原文から訳文に移しかえただけの成果物を生み出すのではなく、著者の見た景色を読者に提示するという目的を持って仕事をしているという実感があり、とても気分がいいです。自己満足なのですけどね。

 

この気持ちよさを忘れず、詰め込みすぎスケジュールやシンドイ仕事を引き受けることのないよう、これからもやっていけたらなあ。

深呼吸して、落ち着いて。
快適なペースをつかんでいきましょう。

 

 

 

 

ブレーキを外す

京都賞の受賞講演を聴きに国際会館まで行ってきました。

 

 

☆駅からの道で目に入った木々はもうちらほら紅葉していました。

 

この日のお目当ては本庶先生のお話。記念講演だからできるだけ一般向けにお話しされたこととは思いますが、途中からはどうしても専門用語が次々と。ギリギリ理解できたかなあという感じでした(笑)

 

iPhoneImage.png

 

お話の後半はPD-1に関するもので、非常に興味深かったです。何と言っても今をときめく(?)あの新薬の生みの親ですからね。近い将来、その薬剤の使用が第一選択治療になり、がんは感染症と同様、人類が制圧可能な疾患になると予想されていました。「がん治療のペニシリン」になるということですね。いやあ、本当にすごい。科学の進歩って地道なことの積み重ねだけど、そこから人類がどれほど多くのものを享受しているかと思えば、すべての研究者にエールを送りたいと思います。そして、私もその端の端のほんの一端を担っているという自負があります。直接的に何かを生み出すわけではないけど、そういう方々のサポートをする仕事だと思っていますから。今、仕事の8割くらいはPD-1がらみで、他のレセプター関連の案件もあり、そのあたりの仕事が当分続きそうですね。その後は、もしかしたらミトコンドリアの勉強をしなければいけないかな?またまたすごくおもしろそうですね。

 

ところで、その新薬の作用機序となる「ブレーキを外す」という概念、おもしろいと思いませんか?がん治療において、これまでは免疫力を「上げよう上げよう」としていたところに出てきた、「ブレーキを外す」ことで本来の働きを取り戻そう、という考え方。マイナスを除くことでプラスにするということ。それは医学だけでなく、あらゆる場面で参考になる考え方ですね。なにかうまくいかないとき、マイナスを取り除く方向に動いてみる、そういうことなのかな。

 

そういう意味で断捨離やミニマリズムなど、自分にとって不要なものを取り除こうという考え方は理にかなっているのかもしれませんね。得よう得よう、とするのではなく、出そう出そうとする。

ほんと、得ることばかり求めるのでは限界があるのですよね。物質面でも情報面でも。

 

なんだかとりとめのない話になってきましたので、今日はこのあたりで。

 

どうでもいいけど

今日のどうでもいいつぶやき

 

ひどいわ、役作りのためにちゃんと黒くしてから監督に会いにいったら「変わっていく役だから最初はチャラくして」と言われたので「またわざわざ」染め直したというのに。。。A紙のライターにあんな風に言われるなんて。。。

 

だいたい、批判する人とか人の悪口を言う人って内実を何も知らないでわかったようなことを言って自分が上にたった気になっているけど、その心ない一言にどんなに傷つけられている人がいるか。。。そういう想像力には欠けている。

 

楽しめている人、仲良くやっている人を妬んでいるふうにしか見えないねって、本当はみんな思っているんだよ。優しいから言わないだけでね。

 

 

 

 

 

 

2つのランチ会

今日の若者ことば

 

「黒髪予告で死んだ人」

 

解説:予告映像で黒髪になっていたのがかっこよすぎて悩殺された人は(私以外にも)いますか?という意味(だと思います)。

最初は意味がわからなかった〜。もちろん手をあげますが(笑)

 

 

 

さてさて、若者文化に首をつっこみつつ、大人の世界も楽しんでいますよ。

週末は同業者ランチ会でフレンチ(フルーブ@グランヴィア大阪)をいただきました。

 

食前酒のレモンのカクテルは爽やかでまるでスポーツドリンク(ん?)。

 

 

ワインはニュージーランド産。

 

季節を感じさせるサツマイモのスープ。

 

 

 

食後は場所を移して。

1階のラウンジでカクテルを楽しみました。

 

 

次の日は治験翻訳講座へ。

会場が変更になって、この日のランチはいわゆる大衆食堂で。

うどん(ラーメンの器に入っていますが)とカキフライ。

 

大衆食堂で「薬価が下がるんだって」とか「適応外使用がどうのこうの」みたいな話題を延々と。

興味が同じ人たちとの会話は本当に楽しくて、尽きませんね。

こんなニッチなこと、普段はなかなか話せないから。

 

 

翻訳の仕事は一人きりでやっているけど、仲間がいるのってうれしいですね。

 

 

 

ガツンときたフレーズ

目に映るすべてが

 

嫌いで

 

それ以上に

 

自分が嫌いで

 

 

CMから耳に飛び込んできたこのフレーズ。

ああでも、そう言っている(CMのなかの)高校生はまだいいよ。

 

「目に映るすべてが嫌い」で終わっている大人がいるから。

「それ以上に自分が嫌い」なんて自覚はない。いや、自覚したら生きていくのがつらすぎるんだね。

 

逆にしてみようよ。

 

自分が好き

 

そして周りも好き

 

に。

 

許してあげよう、まず自分を。十分にがんばってきたじゃない。がんばっているじゃない。

不器用だけど、本当は悪魔の心なんかない。ただただ悲しかっただけ。寂しかっただけ。苦しかっただけ。

そんな自分を許そうよ。

 

自分を好きになったら、周りのことも好きになるから。